ザックリと!平家物語のあらすじまとめ

2024年3月26日

日本人で「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声」というフレーズを聞いたことがない人はいないでしょう!ご存知、平家物語の出だしです。

平家物語は日本の軍記物語で文句なしの人気ナンバーワン。とにかく泣けるネタ満載。これでもかってほど、もののあわれがウジャウジャ。ただし!誰もが感じる欠点が……。「とにかく長い!」「登場人物多すぎ!しかも名前が似すぎ!(一文字違いばっかり……)」

読みたいな~って思っても、なかなか勇気の出ない人のために、このページでは分かりやすくあらすじをまとめました。全国の受験生、古典好きの人の役に立ちますように!

↓平家物語の本出してます。読んでね。

「平家物語より熱を込めて」

清盛大出世!すべてはこの人から始まった

おそらくは、日本史の有名人トップテンに入るだろう平清盛(たいらのきよもり)。平家の栄枯盛衰は全部清盛が原因です!栄えたのもこいつが原因、滅びるのもこいつのせいです。とにかく色々やらかしました……。

清盛のお父さんは、武士で初めて殿上人(てんじょうびと。宮殿に入ってOKってゆーお許し)を得たエライ人。天皇のお気に入りキャラでした。でも、清盛はもっとさらにお気に入りキャラになったので、とんとん拍子に大出世!

当時の武士の世界は、平氏と源氏が「都のガードマン」になってたのですが、清盛は政治のどさくさに紛れて源氏を滅茶苦茶にやっつけることに成功。「平氏が武士のトップ」とゆー独壇場を実現したのです!

……別にここまではいいのですが……トップになって、しかも天皇から太政大臣とゆー位をもらうと、またたくまに平家はおごりまくります。特に清盛のやらかしぶりは凄いです。

  1. 平家の文句言ったら打ち首。
  2. 平家以外の人たちの官位を没収。財産も削る。
  3. 後白河法皇(ごしらかわほうおう)が平家を嫌っているので軟禁する。
  4. 遷都を企む。

……マジでやりたい放題です。

こんなんだから、当たり前ですが人々の不満は爆発!「平家を討て!」とゆー声が高まるのでした。

聞くも涙……。鹿ケ谷(ししがたに)事件

宮殿の人たちも黙っちゃいません。このままじゃ、自分たちは平家に追放されて乞食になっちゃうかもしれません。そこで、鹿ケ谷という山にあるお寺に集まってコソコソ相談。「打倒平家!」の誓いを立てるのでした。

首謀者は藤原成親(ふじわらのなりちか)。その息子の成経(なりつね)。お友達の康頼(やすより)坊さんの俊寛(しゅんかん)とその他大勢(覚えなくていいよ)でした。

しかし、このたくらみはアッサリばれてしまいます。清盛は激怒して「全員死罪!」と言ったのですが、成経が平家の姫と結婚していたので、全員流罪に減刑。

でも成親は今の岡山県に流され、残り三人はムチャクチャ遠い鬼界(きかい)が島とゆー九州の島へ送られてしまいます。

島送りになった三人は、語るも涙の酷い生活。鬼界が島は火山島ですから、いつも硫黄の臭いが立ち込め、煙がもくもく。わずかに島民がいますが、しゃべる言葉はさっぱり分かんないし、食べ物もろくにありません。

三人は松の葉っぱと枝でサバイバルな小屋を建て、貝や海藻を食べたり、漁師に拝み倒して小魚をわけてもらったりと、惨めすぎる毎日を送るのでした。とうとう着ているものまでボロボロになってしまい、海藻を腰に巻くだけになってしまいます。

数年後、清盛の娘徳子(とくこ)が安徳天皇を産んだので、そのお祝で成経と康頼は許されて帰ることになります。しかし、俊寛だけは許されず、島にたった一人で取り残されることに……。迎えに来た船に、俊寛は取りすがりながら

「わしも乗せてくれ!おいて行かないでくれ!」

と泣き叫び、しかし無情にも突き飛ばされて、一人島に残ることになったのでした。俊寛はその後島を出ることはできず、ここで死んでしまいます。

以仁王の命令書

清盛に軟禁されてしまっている後白河法皇の第二皇子、以仁王(もちひとおう)は才能があって、本当なら皇太子になってなきゃおかしい身分でした。でも、後白河法皇は平家のせいで軟禁の身。以仁王も同様に平家から警戒されて、不遇の身の上となっていました。

この以仁王に、源氏の武士、頼政(よりまさ)が相談します。

「平家を討ち、政権を取り戻しましょう!」

こうしてクーデターを起こすことにした以仁王は、女装して宮殿を脱走(イケメンだったそうですよ)。寺に駆けこんで大量の僧兵を味方につけます。頼政も、七十のじいさんですが元気です。平家の武士たちを相手に戦いました。宇治川をはさんで壮絶な決戦!

しかし、頼政軍は七十騎。平家は三百。ついに追い詰められて、頼政は平等院で重傷を負います。

「よいか、わしの首を平家に渡すな!」

と腹心の部下に言い残し、頼政は自害。泣く泣く主人の首を取った部下は、頼政の首を抱きかかえて逃亡。平家の手が届かぬよう、首を宇治川に沈めたのでした。

以仁王もまた、奈良の僧兵たちを頼るべく馬を走らせていましたが、後ろから矢で射ぬかれて首を取られてしまいました。

しかし、以仁王の「平家打倒。源氏の武士よ起て!」という命令書は、すでに東国へ渡っていたのです。この命令書を受け取ったのが源頼朝(よりとも)。この命令を受けて、ついに頼朝が立ち上がります!

富士川の合戦!平家大敗北

以仁王の命令書を携えて、「再び源氏を立て直さん」と兵を起こした頼朝。……起こしたけれども、ボロボロの負け戦。しかし不死鳥のごとき頼朝。何のと負けず立ち上がり、次々味方をつけて、とうとう富士川で平家とタイマン張ります!

富士川の合戦は日本史上に残る珍合戦ですね。平家の大将は平維盛(これもり)。清盛の直系の孫です。心優しく温厚で、礼儀正しく、家族をこよなく愛する貴公子。お父さんも「これほどの人格者はない」ってくらい評判のいい人でしたから、たぶんお父さん似です。

フツーの生活を送っていたら、これほどいい人はいないのですが……運の悪いことに、維盛はこれが初陣です。一度も戦ったことはありません。

さて、維盛の率いる平家の兵士たち。相手が頼朝率いる坂東武者(関東当たりの武士たち。荒くれもので有名)だというので、戦の始まる前からビビってます。

「坂東武者は親が目の前で死んでも、その死骸を踏んで攻めてくるというぞ。くわばら、くわばら」

そのうえ、夜になって富士川の向こうが火の明かりでいっぱいになったのを見て

「ヒャー!何十万人いるんだ」

とまたもやビビりまくり。じつは、これは周囲の百姓たちが夕飯の火を焚いてるだけだったのですが……。思い違いって怖いですね。そこへ、富士川に集まっていた何万もの水鳥が、何かの拍子に驚いてバサバサっと一斉に飛び立ったからたまりません。

何十万の水鳥が立てる音はすさまじく、平氏の兵たちは「源氏が攻めてきた」と大勘違い。「夜討ちだッ」と大慌てして、一斉に逃げていってしまいました。

源氏は一本の矢すら放つことなく、大勝利を収めたのでした。

木曾義仲起つ!清盛、ついにお亡くなり

さて、頼朝が立ち上がったその頃、信濃にも源氏の血を引くつわものの武士、木曾義仲(きそよしなか)がいました。早くに父を亡くし(当時二歳)、ひそかに木曾で養育されていたのですが、無類の強弓を引く武者として育ち、その戦略も天才的!頼朝の挙兵を聞いて、義仲も兵を募ります。

この義仲挙兵を聞いて、全国の源氏も一斉に立ち上がりました。東国、北国、近畿、四国も奮戦します。平家、かなりアブナイです。

都はすったもんだの大騒ぎ。清盛の子宗盛(むねもり)が「この上はわたしが討伐に当たろう」と言いましたが、ちょうどその時、清盛がいきなり重病になります。

この病気、一体何だったかはよく分からないのですが、おそらくは悪政の肺炎かと思われます。突如高熱が出て、翌日には早くも危篤。

「あつい、あつい」

とのたうち回り、側に寄るだけで熱気で近寄れない(絶対嘘です)とゆー有様。水をかけるとジューッと一瞬で蒸発してしまったとか。都の人々は「これぞ天罰だ。散々悪行を働いたから灼熱地獄に苦しむのだ」とささやきました。

いよいよ最期の時。妻の時子(ときこ)が、暑いのを我慢して近づいて「御遺言は」と聞くと

「わしは世の栄華を極めた。葬式はいらぬ。堂も塔もいらぬ。経もいらぬ。ただ、思い残しは源氏の反逆……。頼朝の首をはねて輪が墓前に据えよ!」

こうして、清盛は悶絶の内に息を引き取りました。享年、六十四歳。平家にとっては青天の霹靂。この清盛の死で、平家は命運は流星のごとく。滅びの一途をたどることになるのです。

義仲大活躍!俱利伽羅落としで大勝利!

木曾義仲と平家の軍勢は、加賀・越中の国境で相対して陣を取ります。木曾勢は五万。平家は十万。

「このままでは勝ち目はあるまい」

と考えた義仲、奇抜な作戦を打ち立てます。夜間、足元もおぼつかない真っ暗闇の中、牛の大軍の角に松明を結び付け、「それッ」と坂の上から平家の陣目がけて突き落としたのです

まさしく、火の川がなだれ落ちてくるかと見え、平家の兵たちは大パニック。しかも両側から木曾軍が挟み撃ちにしてきて、浮足立った平家勢はワアッと逃げ出しました。

たった一つ残った退路である俱利伽羅(くりから)谷の方へ逃げたのですが……夜のことで見えなかったのですが、断崖絶壁。七万の兵たちは次々に落ちていったのです。

死骸は積み重なって谷となり、今でも人骨や鎧が出てくるとか……。

このときの平家の大将は平維盛(これもり)。富士川に続いて、またもや大敗北を喫してしまったのです。このため、平家における維盛の信頼は大失墜。維盛は一族の中で身の置き場がなくなって、苦しむことになります。

平家一門都落ち。おごれる人も久しからず……

木曾義仲はどんどん都に迫ってきます。平家は俱利伽羅落としで大敗北。軍隊の主力はほぼ壊滅してしまったので、「もうだめだ!木曽軍を迎え撃つことはできない」と、ついに都を捨てて逃げることを決意しました。

女や子供も連れて、平家一門全員そろって夜逃げです。ただ一つ心強かったのは、安徳天皇と三種の神器があることでした。天皇の「勅命」にすれば、どこへ逃げても食料や兵を集めることができるからです。

さて、このとき哀れだったのは平維盛(これもり)でした。富士川と俱利伽羅で大将だったのに敗北した維盛は、平家の中で居場所がなく、「情けない奴だ」と見られていました。ハッキリ言って、初陣がこんな大戦争だった彼は運が悪すぎたのです。

今回の都落ちで、ほとんどの人は妻子を連れていきましたが、維盛の妻は公家の出でした。ですから、維盛は「こんなに育ちのいい妻を、先の分からない戦場に連れていけない……」と考え、都に置いていくことにしました。妻と二人の子供たち(男と女一人ずつ)は、維盛の鎧にすがって泣き叫び

「わたしたちも連れていってください」

と訴えます。維盛は「わたしは一門の人々と共に西国へ落ちてゆかねばならぬ。厳しい戦場にどうして女子供を連れていけよう。よいか、わたしが討ち死にしても、決して尼になどなってくれるな。子供たちを頼む……」

と言い残し、泣きながら後にしたのでした。

義仲、都入り。でもすぐに討たれる

木曾義仲は平家を追い落として、とうとう都へ入ります。平治の乱で源氏が負けてから二十数年ぶり!木曾義仲は「平氏を倒して都に返り咲く」という源氏の悲願を、ついに果たしたのでした。

義仲は五万の精兵を従え、自身は見事な黒馬にまたがり、緋おどしの鎧に身を固めて、実に堂々たる姿。しかも背の高い美男でした。

が、都の人々はこの義仲をはなからバカにします。というのも、義仲は木曾の山奥の出身。花の都を初めて見て驚きまくり。しかも言葉は木曾の訛り丸出しで、完全な「田舎者」だったのでした。

当時の京都の人々は、田舎者をムチャクチャに馬鹿にして、猿か狼みたいに見下し、人間じゃないみたいに見ていたのです。そのため義仲を「木曾の山猿」と呼んで、せっかく平家を追い出したというのに恩をあだで返しました。

当たり前ですが、義仲の部下たちも「山猿、山猿」とバカにされまくり。大将も自分たちもバカにされて黙っているような武士たちじゃありません。仕返しとばかりに物を略奪。女をかっさらう。それに京都のど真ん中で馬のエサに困ったので、田んぼの稲を勝手に取って行って馬に食わせました。

哀れなり、木曾義仲……。せっかく大手柄を立てたのに、都で略奪、暴力沙汰を働いた罪で、後白河法皇が「義仲討つべし」の命令を下します。昨日まで都の救世主だった身が、一夜にして追われる羽目に……。

源頼朝は弟の義経(よしつね)に義仲を追わせます。ほとんどの軍勢を平家追討に向かわせていた義仲。多勢に無勢で防ぐこともできず、逃亡の身の上。最後の最後に妻の巴御前に

「巴、お前は落ち延びよ。義仲は最後まで女を連れていたと言われては恥になるわ」

と彼女を逃がし、自害しようとした瞬間、額に矢が当たって壮絶な最期……。最後まで側にいた忠臣、今井兼平(かねひら)

「これ見たまえ、東国の殿ばら。自害の手本を見せん」

と叫んで、太刀の先を口に差し込み、馬上から真っ逆さまに飛び降りて死んだのでした。

義経、大手柄!一の谷の合戦

さて、ここからは義経(よしつね)の大活躍です!義経は頼朝の弟、戦の神様と呼ばれる大天才。でも寂しがり屋のブラコンで、人付き合いの才能はゼロだったみたいですね。だから家臣からは「この殿をお守りせねば……!」と人気があったみたいですが。

とにかく、平家にとっては天才義経の登場は最悪のタイミングでした。平家はこの時、猛将の平教経(のりつね)が頑張って四国を平定、その後、一の谷(現、兵庫県)に陣を構えて源氏の攻撃に備えました。

ここは背後は「ヒヨドリ越え」とよがれる断崖絶壁。目の前は海で、日本一の海軍を持っている平家は、この海からいくらでも物資を調達することができました(源氏は海軍を持ってません)。つまり一の谷は平家にとって「最強の砦」と思われたのです。

ところが!命知らずの義経は、この「ひよどり越え」の崖を何十騎という兵を率いて一気に駆け下り、平家の背後に奇襲をかけたのです!

馬術に長けた東国の武者たちは、切り立った断崖を見事に下ったのでした。肝をつぶした平家は逃げまどい、慌てて船に乗り込んで、何とか安徳天皇と三種の神器だけは守り抜きましたが、大敗北を喫してしまったのでした。

哀れ維盛。ついに自害……

さて、富士川と俱利伽羅で敗れた大将、維盛はその後どうしていたか?

彼は「散々負けた情けない奴」とレッテルを張られ、清盛亡き後棟梁となっている宗盛(むねもり。清盛の息子)から白い眼で見られて、一族の中で身の置き場のない状態でした。全然大事な役目をもらえないし、妻子とも離れ離れ……。とうとうノイローゼ状態になって、「妻に一目会って死にたい」と思い詰めるようになっていました。

一の谷の合戦の時も戦うことを許されず、遠い屋島(瀬戸内海)の城で留守番をさせられる情けなさ。堪らなくなった彼は、家出して妻に会いに行こうとします。でも、源氏の目が厳しく、とても都まで行けません。諦めた彼はお寺で出家し、そのまま小舟を海に出して身投げしてしまったのでした。側にいた数人の家来には

「お前たち、今までよく仕えてくれた。もうわたしのことは忘れて、新しい主人を持って幸せに暮らしてくれ……」

と言ったのですが、「維盛様の他に主人はございません」と、家来たちも泣きながら後を追って身投げしたのでした。

平家、屋島で扇を射られる

一の谷で負けた平家は、屋島の城に閉じこもります。もちろん追っかけていった源氏の義経。島ですからフツーは回線を考えるところですが……源氏には海軍がありません。

そこで戦の神様義経、何と台風の中で船を出して、追い風を受けて猛スピードで馬と兵たちを屋島に送ったのです!それも、平家の本陣がある裏側。まんまと島の後ろについた義経は、ここで島の山賊やら海賊やらを手なづけて、またもや平家の背後を奇襲!裏をかかれた平家は、またもやボロ負けしたのでした。

さて、この戦にはオマケがあります。

海に逃げた平家の人々、一方源氏は船を持ってないから、陸地でボーッと睨んでるだけです。いい気になった平家は小舟を出して、一人の女が扇をひらひらと振り、

「悔しかったらこの扇を射てみよ」

と誘います。すると、源氏の中でも特に弓の名手と名高い那須与一(なすのよいち)

「南無、八幡。護らせたまえ!」

と、ただ一矢に扇を射抜いてしまったのでした!源氏はワーッと大喜び。平家はまさかの不吉な事態に、シーンと静まり返るばかりでした。

壇ノ浦の合戦。平家、ついに滅亡する

一の谷、屋島と負け続けの平家。ついに壇ノ浦まで追いつめられます。ここが天下分け目の戦い。これに破れたら、もう平家は滅びるしかありません。もう後には引けません。

壇ノ浦は現在でも、複雑な潮の流れが特徴の浦。午前中は潮が東へ流れ、午後には西へと凄まじい勢いで変わります。平家は午前中の東への流れに乗って源氏を破るつもりでした。午前中に戦を終わらせるつもりだったのです。

ところが、義経はこれを見破っていました。兵をすべて小舟に乗せ、午前中の間逃げ回って時間を稼ぎました。そして、午後に潮の流れが逆になったとたん、一気に反撃に出たのです。これにより、平家の命運はついにつきました。

この壇ノ浦で、多くの悲劇が伝えられます。

平家の守り神と謳われた平教経(のりつね)は、義経を狙うも逃げられ、兜も太刀もすべて投げ捨てて仁王立ちになり、「我と思わん者は、教経に組んで生け捕りにせよ!さあ、かかれ!」と叫んで仁王立ちになります。「よしきた!」とかかっていった武者たちを、教経はグッと両脇に抱えて、「死出の山の共せよ」と、海に飛び込んだのでした。

清盛の妻、時子は「もはやこれまで」と覚悟を決め、まだ八歳の安徳天皇を甲板に連れていきます。「最期に伊勢神宮、そして仏様の国のある西の方へお祈りなされませ」と、自分も祈りをささげ、矢が飛び来る中、「怖い」と泣く安徳天皇を両腕に抱いて、

「波の下にも都がござりますぞ。ここは醜い恐ろしい世でございますから、尼と共に美しい仏様の国へ参りましょう」

と、海に身を投げたのでした。ここを読んで泣かない奴は日本人じゃありません!

こうして、日本の半分を治め、栄華を極めた平家一門は、西海についえたのでした。

平家物語おススメ本。漫画もあるぞ

平家物語の入門書、四冊紹介しましょう。

時代ロマンシリーズ

「時代ロマンシリーズ」
河村恵理の時代ロマンシリーズ。

短編集です。飛鳥時代から江戸時代までいろいろあるのですが……平家物語の話がかなり多いです。坂口のおススメは六巻。平家の武将たちの悲恋がたくさん載ってますよ。この作品のすごいところは、全部実話ってことです。平家物語を読むと、「エッ!この話もホントだったの?絶対創作だと思ってた!」ってことがかなりあります。

あぶない丘の家

「あぶない丘の家」
萩尾望都の「あぶない丘の家」

時代ものと全然関係なさそーですが、短編に「あぶない壇ノ浦」って話があります。短いのに、鎌倉VS後白河法皇の関係図がすんなり理解できるのが、さすが巨匠のなせるワザ。

これに出てくる頼朝がカッコいいんですよ……!義経もピュアで美形でいいキャラです。

平家物語

「平家物語 ポプラ社 世界の名著 18 」

知られざる名作とはこのこと!よくもまあ、こんな長い話を、面白いとこだけ抜き出してまとめたもんです。中高生向けに書かれた作品ですが、大人が読んでも面白いです。(ラストだけ滑りましたが……)

概要を知りたい人は必見ですね。表紙の義経がカッコいいのも美味しいポイントです。

平家物語より熱を込めて

わたしの本です!読みやすいよ!(たぶん)

「平家物語より熱を込めて」

まとめ

やれやれ、長かったですね。ここまで真面目に読んでくださった方は、さぞかし古典の好きな方か、物好きな方とお見受けします。

ホントは平家物語はもうちょっと長いです。最初は清盛のお父さん忠盛(ただもり)から始まり、終わりは安徳天皇の母、建礼門院(けんれいもんいん)の死まであります。(建礼門院も身投げするのですが、すぐに源氏に捕まって助かったのです。その後尼になって一門の菩提を弔ってました)

平家物語は登場人物が多くて、それぞれが際立った魅力のあるキャラクターです。平家だけでなく、源氏で滅ぼされたキャラクター(義仲とか義経とか)にもスポットライトを当てたところが、また面白いですね。

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

出版した本(キンドル版)

山中鹿之介と十勇士より熱を込めて山中鹿之介と十勇士より熱を込めて
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Posted by 坂口 螢火