曽我兄弟歌舞伎演目――矢の根について
こんにちは!メルクリウスです。このページは、わたしがAmazonキンドルで出版している「曽我兄弟より熱を込めて」の「閑話休題」から抜粋したものです。「閑話休題」では当時の食生活や学問について紹介しているのですが、案外評判が良いのでブログに載せることにしました。
興味があったら、本も読んでね。
歌舞伎の話――矢の根
正月になると、必ず歌舞伎で「曽我もの」を演じていた江戸時代。毎年、毎年、飽きもせず凝りもせず、何と百年以上も!
毎回、同じ話ではさすがに芸がない。なので曽我ものは何百種類も作られた。現在、そのほとんどは失われてしまったのだが、大体のジャンルを紹介すると
〇対面もの。兄弟が祐経の顔を覚える場面。
〇討ち入りまでの苦労譚もの。兄弟がいろいろ冒険している場面。大体、五郎が暴れてる。
〇世話もの。貧乏に苦しんでる場面。兄弟の召使鬼王が、生活費のために妹を売り飛ばしたりする。
〇討ち入りもの。クライマックス! 兄弟、獅子奮迅の大立ち回り。
ざっと分けると、この四種類が王道。この中で最も人気があって数が多いのは、「討ち入りまでの苦労譚もの」。
「討ち入りもの」は一番数が少ない。現代人の感覚では「どうして?」という感じだが、よく考えてみれば当たり前。「兄弟が富士の巻き狩りで祐経を討った」という話は、すでにストーリーが決まっているので一種類しか作れない。対して「討ち入りまでの苦労譚もの」は、父親が殺されてから十八年間分。いくらでもエピソードが作れるというもの。そのため、この苦労譚は数限りなく、二次創作の宝庫となったのだった。
何しろ十八年! その間、様々な出来事が起こる。由比ガ浜で殺されかかるし、五郎は寺にぶち込まれるし、その寺から脱走するし、勘当されるし――とにかく出来事が盛りだくさん。
その「苦労譚」の中でも、特に正月用に愛された物語がある。「矢の根」というタイトル。今回はその物語を紹介しよう。
時は鎌倉時代――母親に勘当されて、兄、十郎の小さな家に移り住んだ五郎時宗は、正月の朝に一人で留守番していた。十郎はどこかに外出中。
留守番しながら一人で何をしていたかと言うと、常に勇ましく、常に怒っている彼のこと。仁王襷(たすき)を締めて、矢じりをシャーコシャーコと研ぎながら、
「おのれ、工藤祐経。この矢で貴様の首を射抜いてやるぞ」
と張り切っていたのだ。
この、五郎が研いでいる矢、普通のサイズでは遠い客席から見ると、何をやっているのか分からないので、歌舞伎では人間サイズの馬鹿でかい矢を、座布団サイズの砥石で研いでいる。……こんなに巨大な矢では、すでに矢ではなくて槍じゃあないかと疑問がわくのだが――それは歌舞伎なのでどうでもいいのだ。突っ込み禁止のこと。
さて、五郎は恨みつらみをブツブツ唱えながら、矢じりを研ぎまくっていたのだが、ここいらで休憩しようと思って煙管(きせる)を取り出し、ちょっと一服。
鎌倉時代にタバコは存在しないのだが、これも歌舞伎なので突っ込み禁止。五郎がもしタバコを知っていたら、あの性格では間違いなくヘビースモーカーになっていたに違いないので、広い眼で見てあげねばなるまい。
年始の挨拶に客人が訪れる。
「あけましておめでとうございます、五郎さん。これはお年玉です」
と、七福神の宝船の絵をプレゼント。喜んで受け取った五郎、この絵を見て何を思いついたかと言うと、
「こりゃ、いいものをもらった! この絵を枕にして、祐経の首を引っこ抜く初夢でも見よう」
と、実に物騒な発想。宝船の絵を床に敷き、その上に枕代わりに砥石を置いて、ごろりと横になると大の字になって寝てしまった。
まだ十代の彼、一瞬で眠りに落ちる。ぐうぐう鼾(いびき)をかいていたのだが――その夢に、忘れもしない兄の姿。
しかし、兄、十郎のその顔――まるで幽霊のように蒼白となり、髪は乱れて、物悲しいその声。
「五郎――五郎よ」
と、枕上に立って弟を呼ぶ。
「五郎、弟よ、すぐに来てくれ。わたしは今、工藤祐経に捕らえられている。このままでは……。五郎よ、お前を信じている。わたしを救いに来てくれ……」
苦しい夢。息詰まるほどの辛さ――。
「兄様(あにさま)……兄様!」
手を伸ばし、その腕を捕らえようとした刹那、消えてしまった兄の姿。
「待て、兄様!」
飛び起きた五郎だったが、すでに兄の姿はそこにない。
「今のは夢であったのか……。しかし――しかし……」
とても、ただの夢とは思えぬ。あの白い顔、苦しげな息、わたしを呼ぶあの声――。
「兄様がわたしを呼んでいる! 兄様が危機に陥っているのだ。すぐに行かねば!」
五郎は決断すると速い。すぐさま家を飛び出し、ちょうどそこに、馬子の畑右衛門(はたえもん)が大根を背負った騾馬を曳いているのを見つける。
「馬をよこせ! すぐだ!」
驚いた畑右衛門は無論断るが、五郎は急いでいる。兄の命がかかっている。構ってなどいられない。
「ええ、許せ! 兄のためだ!」
畑右衛門を殴り飛ばすと、馬をかっぱらい、大根を鞭代わりにして兄の元へ走るのだった。
以上が、正月の恒例演目「矢の根」のあらすじである。
読めば一目瞭然だと思うが、これは「十郎が大磯で和田義盛の郎等たちに喧嘩を吹っかけられ、五郎が助けに駆けつけた」という、曽我物語のエピソードに手を加えたもの。
十郎の危機を五郎が虫の知らせで察知したこと、五郎が裸馬に乗って大磯へ急いだことなどは、曽我物語そのまま。異なるのは、十郎が「仇の祐経に捕らえられている」という点。
史実では、まあ、絶対にないだろうというシチュエーションなのだが、わたしはこの無理矢理な設定が実に好きだ。
和田の郎等に囚われの十郎、救いに行く五郎、というくだりは、曽我物語の中でも特に二人の兄弟愛が光る場面である。この芝居では、十郎を捕らえているのを大悪党の祐経に変え、さらなる緊迫感と、兄弟と祐経の間の因縁の深さを産み出している。小説や映画などではまずできない、一幕で終わる歌舞伎だからこそ可能だった設定だ。
――悪党祐経に父を奪われた曽我兄弟。しかし、兄弟は至上の兄弟愛によって貧困も差別も乗り越えてゆく。どのような苦境に陥ろうとも、お互いさえあれば……。しかし今、あの祐経が兄の十郎をも奪おうとしている。遠く離れた五郎はそれを夢で知った。なぜ分かったのか。それは聞くのも愚かしい。常に慕い合う兄弟であれば、それは当然のことだったのである。
この後、馬にまたがった五郎は、花道を堂々と疾駆して客席を去るのだが、その姿はまさに威風堂々。馬を奪われた馬子の騒ぎや、鞍のない馬、鞭の代わりの大根など、五郎の目には何一つ入らない。兄への愛に全身を燃やし、なりふり構わぬ五郎は、正月の演目にひときわの華やかさである。
さて、五郎はこの後、十郎を助け出すことができたのか? 祐経の館ではどのような騒動が巻き起こったのか? いろいろ細かい現代人は気にしてしまうところではあるが、歌舞伎の世界では、この後の出来事はまるっきり無視。誰もそんなことは考えないという、思えばすごい世界なのだ。
曽我ものの芝居は、どれもこれも結構短くて、このように一幕であっという間に終わってしまう話がかなりある。例えばこの「矢の根」のように、「兄様よ。今、五郎が参る!」とひた走る五郎の激情に観客が共感し、拍手喝さいを送り、その熱気の中に終わる――という、いわば「瞬間の芝居」なのだ。
その瞬間の緊迫感と情熱に酔いしれる。後先かまわぬ江戸っ子の粋。それが、歌舞伎の醍醐味なのである。
まとめ
この話は、「曽我兄弟のあらすじ」を知らなければちょっと分かりにくいのですが……よ~く知りたい人は、あらすじも読んでね。
「矢の根」は、実はメルクリウス的に一番生で見たい芝居です。いつかお金に余裕ができたら見に行きたいですね……。「曽我兄弟より熱を込めて」を読んだ方はご存知でしょうが、わたしは五郎が十郎を助けに行く、この場面がメチャクチャ好きなんですよ!しかも!歌舞伎裏話では、この「矢の根」の十郎役は、「死んでない」し、「生きてるけど幽霊っぽく出てくる」とゆーことで、演じるのが実に難しいんだとか……。だから超、名優が演じなきゃならないんだそうですよ……。観たくないですか!大名優が演じる十郎!
長々しゃべりましたが、とにかく言いたいのはですね、「十郎、五郎の仲良しシーンがとにかくいい」ってことです!
興味あったらわたしの本も読んでね。立ち読みも大歓迎!
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