曽我物語のあらすじまとめ。10分で読めるよ!

2023年4月11日

現代ではおそらく百人中九十九人は知らない曽我(そが)物語。

でも実は、「日本三大仇討ち」の一つで、歌舞伎の世界では超有名です!(三大仇討ちは、曽我物語、忠臣蔵、鍵屋又五郎の仇討ちだよ)

主人公、曽我十郎祐成(すけなり)、曽我五郎時宗(ときむね)兄弟が、日本一の富士山麓で父の仇討ちを果たしたという、実に華々しい事件。この内容を知っていれば、明日自慢できること請け合いです。このページでは、どこよりも分かりやすく曽我物語のあらすじを紹介します。

曽我兄弟、いきなり父を殺される

時は源平の合戦が始まるちょっと前。主人公の曽我兄弟はもともと伊豆の河津(かわず)に住んでました。お父さんの名前は河津三郎祐泰(すけやす)。伊豆のとってもエライお金持ち武士です。お母さんは満江(まんこう)。兄弟の幼名は、兄を一萬(いちまん)、弟を箱王(はこおう)といいます。

ある秋の日、お父さんの河津三郎は狩りから帰る途中、いきなり曲者に襲われて瀕死の重傷……。死ぬ間際に

「わたしを狙ったのは、工藤祐経(すけつね)の家来でした……。ですから仇は祐経です。うう……父上!子供たちを頼みます。一萬も箱王もまだ幼いから不憫です」

と、実にペラペラと長い遺言をしゃべり、言い終わると同時に昇天してしまいます。

さて、ここに哀れなのは二人の兄弟。まだ一萬は五つ、箱王は三つの幼さ。しかし、さすがは歴史に残る仇討ちを果たした兄弟。一萬は父の亡骸の前で手を合わせ

「いつか、大人になったならば必ず仇を取ります!二所権現、三島大明神、氏神よ、お力を貸したまえ!」

と、とても五歳児とは思えぬカッコよさ。やっぱり武士ってすごいですね。

曽我に引っ越した兄弟

お父さんが死んじゃったので、お母さんの満江は再婚します。当時女手一つで子ども二人は育てられません……。

再婚相手は曽我太郎とゆー人。住んでるところは現、小田原市の国府津駅の近くです。当時はここを曽我中村といいました。兄弟はこの曽我家に連れ子として入ったので、「曽我兄弟」と呼ばれたのです。

でも、この曽我で兄弟は日々辛い目に遭います。所詮は連れ子の身の上。召使からもバカにされ、近所のガキどもからイジメにあい(こういう悪ガキは古今東西いるんですね)……。

しかも、この曽我太郎って裕福じゃない上に、結構小心者。兄弟のじいさん、伊東祐親(すけちか)が平家方の武士で、源氏にボロ負けしたために、「負け組の子孫を家に置いておいたら、将軍から叱られるかも……」と考え、兄弟を家から出して別の建物に追放するのです!哀れ、二人は母親にもほとんど会えない身の上に……。

「こんな悲しい目に遭うのも、元はと言えば父上が殺されてしまったため。いつか二人で父の仇を討とう」

と兄弟は手を取り合って決意します。

名場面その一。名月に雁(かり)を見る

ある明るい月夜、五羽の雁が月に向かって飛ぶのを見て、一萬が涙を流します。

「箱王よ、あれを見よ。どこへ行くのか知らぬけれども、射つつ並んで離れずに飛ぶ。うらやましいとは思わぬか……」

「兄様よ、何を仰せられます。我らも遊べば共に帰るのに、なんで鳥などうらやましかろう」

「そうではない。五つ並ぶ、先のは父、後のは母。中の三つは子供であろう。物言わぬ鳥でさえ、親子揃うて仲良く飛ぶのに、人と産まれた我らは兄弟二人きり。それを思って嘆くのだ」

「兄様、兄様は悲しいことを言う……。それを聞くと箱王も雁がうらやましい……」

二人は肩寄せ合って、父恋しさに泣くのでした……。

兄弟、危機一髪!由比ガ浜で殺されかかる

さて、兄弟の仇工藤祐経(すけつね)は、兄弟がいつか仇討ちに来るだろうとハラハラしていました。将軍頼朝の寵臣である祐経、将軍の手を使って、兄弟を片づけてしまおうと企みます。

「かつての将軍の敵である、伊東祐親の孫が二人生き残ってます。将来必ず、祖父の仇として将軍を狙うに違いありません」

まんまと引っかかった将軍、「兄弟を由比ガ浜にて首を斬れ!」と命じました。

「二人を鎌倉へ連れてゆく」と、使者の梶原(かじわら)源太がやって来ると、母は号泣。「かわいい子供たちの代わりに、わたしを殺してください」と泣き叫びます。でも、将軍の言いつけなので連れていかないわけにいかない。ムリヤリ連れていかれてしまいます。

哀れ、兄弟は由比ガ浜に連れていかれ、二人並んで座らせられます。

「一萬殿、箱王殿、そなたらはここで死なねばならぬ。何か言い残すことはないか」

一萬はきっぱりと「恐れずに首を斬られたと言って下さい」

箱王はためらって「わたくしも兄様と同じです。でも……母上にあと一目……」

すると、一萬が「箱王、見苦しいぞ」と手をつかみます。すると箱王は涙を拭いてニッコリ笑いました。首切り役の武士も、この姿にはかわいそうに思いましたが、仕方がありません。「では」と刀を振りかぶって、一萬の首を斬ろうとします。

と、そこへ!何というナイスタイミング!

パカパカと馬を馬を飛ばして走ってくる使者。「お許しがあった!早や、兄弟は曽我へ帰りたまえ!」

頼朝の重臣、畠山重忠(はたけやましげただ。分かる人には分かるエライ武士)が「あの二人はまだ幼いから可哀想です。殺さないでください」と命乞いをしたため、間一髪で兄弟は命が助かったのでした。

一萬元服。箱王は寺にぶち込まれる

さて、一萬は十三歳になって元服します。当時は十三歳は立派な大人です。お父さんの河津家は滅んでしまったので、「曽我十郎祐成(すけなり)」とゆー名前をもらいます。

曽我兄弟は、兄が十郎、弟が五郎なので、「なんでお兄さんが十郎なの?」と不思議に思いますが、これは一萬が曽我の家で「連れ子の厄介者だ」と蔑まれていたため、「十郎」という超格下の名前を付けられてしまったのです。(弟はその後、別の立派な武士に元服させてもらったのでいい名前をもらいました)

この時、弟箱王は十一になっていましたが……この弟は悲劇の道をたどることに……。何と、お母さんの満江が

「箱王は乱暴者で全然言うことを聞かない。仇討ちをする気満々だ。でも祐経は将軍の一番のお気に入りでトップエリートだから、絶対に仇討ちなんかできっこない。諦めさせるために坊主にしてしまおう」

と、箱根の寺に閉じこめてしまったのです。

生涯、一度も兄弟喧嘩をしたことがないほど仲良しだった曽我兄弟。別れの辛さに抱き合って涙を流し、離れ離れになったのちも、互いを恋い慕って嘆くのでした。

箱王、寺を脱走!勝手に元服する

哀れや、強制的に寺にぶち込まれてしまった箱王ですが、この弟、なかなかの行動派です。

「何が何でも兄の元へ帰る!一緒に仇討ちを果たす!」

と決意している彼、何と十七の歳に夜陰に紛れて寺を脱走!必死に山を駆け下りて、兄十郎の元へ帰ったのでした!

六年ぶりの再会にうれし泣きの兄弟。……弟も行動派ですが、兄もまた決断が早い。

「お前が脱走したと分かったら、寺は大騒ぎになる。母上も理解してくれないに決まっている。脱走したことがバレないうちに、今すぐ元服して武士になってしまおう」

即決するや、箱王を元服させて「曽我五郎時宗(ときむね)」と名乗らせたのでした。

ちなみに、五郎の名付け親(元服させてくれるエライ武士)になったのは北条時政。源頼朝の奥さん、北条政子のお父さんです。実は曽我兄弟の伯父さんに当たるんですよ。

名場面その二。五郎、松を引っこ抜く

さて、曽我五郎時宗は大変な怪力の持ち主でした。この怪力エピソードが、曽我物語には結構あります。

北条時政が五郎を元服させたとき、「五郎よ、一つ力試しをしないか。庭に工藤祐経の植えた松がある。あの枝を折ってみよ」

と話を持ちかけると、五郎は「祐経の植えた松なら、松と言えども仇と同じ!」と、いきなり松に抱きつくや、その松を根元から引っこ抜いてしまいます!(ホントか?!)

時政は「おお、あっぱれじゃ!」とホメましたが……この松、この後どうしたんでしょうね?後始末が大変そうです。

五郎、勘当される

勝手に武士になった五郎。お母さんの満江は、五郎を坊主にするつもりでしたから、これを知って怒り狂いました。「ええい、愚か者め」と、怒りに任せて五郎を勘当。五郎はムチャクチャ泣きましたが、聞く耳持ちません。この後、三年間も家の敷居をまたがせなかったのですから、相当しつこい性格です。

さいわい、十郎はこの時曽我の家を出て一人暮らしをしていましたから、五郎は兄の家で一緒に暮らすことになりました。

十郎、大ピンチ!酔っ払いに殺されかかる

兄弟は交代交代で鎌倉へ通い、仇の工藤祐経を殺すチャンスをうかがっていました。でも、何分、曽我(今の小田原辺り)から鎌倉は遠い。日帰りは無理なので、途中で大磯の宿屋に泊まっていました。

ところがある日、十郎がこの大磯の宿屋に泊まった時に、思いもよらぬ出来事が起こります。当時のエライ武士、和田義盛(よしもり)が八十人の家来を連れて、同じ宿で酒盛りを開き、酔っぱらった勢いで十郎に喧嘩を仕掛けたのです。ムリヤリ十郎を座敷へ連れ込んで、「歌を歌え」「舞を舞ってみせろ」と、イチャモンをつけまくり。いつの時代も、めんどくさい酔っ払いはいるんですね。

でも、当時は酔った勢いで殺し合いが始まる世の中。全員武士だから凶器を持ってます。このまま喧嘩になったら、一人対八十人。絶対殺されます。十郎大ピンチです!

しかし、なんとこの時、曽我で留守番していた五郎が、テレパシーで十郎の危機を察知。すぐに馬に乗って駆け付けて、見事兄を救い出したのでした。

富士の裾野の巻き狩りに行く

十郎が二十二、五郎が二十歳になった年、将軍の源頼朝が富士の裾野で大規模な巻き狩り(山の上から獣を追い落として、ふもとで待ち受けて狩りをすること)を開くことになりました。祐経は寵臣ですから、確実に参加します。

「よし!我々も狩りに行こう。二度と曽我へ帰らぬ覚悟で行くぞ!」

兄弟は勇ましく誓い合い、曽我の母にお別れを告げに行くことに。お母さんはまだ五郎が武士になったことをしつこく怒っていましたが、十郎が迫真の名演技で「勘当を解いてくれなかったら、この場で五郎の首を斬って捨てます」と脅迫。これにはお母さんもさすがにビビって、五郎の勘当を解いたのでした。

翌朝、兄弟は母にいとま乞いをして、二人揃って富士へ出発。狩りの人々の中に潜んで、祐経を狙うのでした。

ついに本懐成就!仇討ち成功する

富士の巻き狩りで仇を狙う兄弟。しかし、なかなか機会に恵まれず、ついに三日目を迎えます。……明日は鎌倉へ帰る日。今日でないと祐経を討てません。

「何としても今日やらねば。今夜、祐経の止まっている宿に忍び込んで、一気に殺ろう」

決心して、その晩祐経の宿へ向かいます。外は土砂降り。二人は松明の明かりで、「これが最後の見納めだ」とお互いの顔をつくづく見てから、サッと祐経の宿に入りました。

が、ここで一大事!何と祐経が宿にいなかったのです!実は、祐経はその晩酒盛りして酔っ払い、別の宿へ行って寝てしまっていたのでした。

「これはいかん!それ、探せ!」

と、手あたり次第探し回る兄弟。途方に暮れていましたが、そこに天の助け。夜回り番の本田次郎が「あっちだよ」と親切に教えてくれて、とうとう祐経を発見。松明を放り出し、眠っている祐経に忍び寄り、いきなり枕を蹴飛ばして

「起きろ祐経!曽我兄弟が参ったぞ!」

と叫んで斬りかかりました。苦節、十八年。ついに仇を討ったのでした!

十郎討ち死に。五郎からめとられる

仇討ちを果たした兄弟、このままトンズラしたら曽我の家がおとがめを受けるので、討ち死にの覚悟です。

「皆々、聞きたまえ!曽我十郎祐成、同じく五郎時宗が、仇討ちを果たしてここに休んでいるぞ!手柄をしたい者は、我ら兄弟を討ち取ってみよ!」

と叫んで、群がる武士たちと華々しく戦ったのでした。兄弟合わせて五十人を斬ったというけどホントかな?

この戦いで、十郎は新田(にた)四郎に斬られて討ち死にします。最後の瞬間、

「五郎はなきか!祐成(すけなり)は新田四郎に討たれる。手負いでなければ、お前は鎌倉殿に申し開きせよ。死出の山で待つ!」

と叫びました。五郎は兄の死骸にすがって号泣しますが、この時堀藤次(ほりのとうじ)とゆー卑怯な武士が「五郎はどこへ逃げるか」とせせら笑ったのに怒り狂い、逃げ回る堀藤次を追って、将軍の宿まで踏み込んで暴れました。しかし最後に、御所(ごしょ)五郎丸が女の着物を着て油断させて後ろから組み付き、さらに人海戦術で大勢の武士たちが手足に飛びつき、とうとう五郎はぐるぐる巻きにからめとられたのでした。

五郎首を斬られる

米俵(たわら)みたいに巻かれた五郎は、翌朝将軍の前に引き出され、尋問されます。

この尋問がなかなかに感動的で見どころ満載。将軍は「この謀反人が」とキレていたのですが、五郎は堂々たる態度で言い返します。

五郎「祐経は我らの父を殺害し、あまつさえ領土を奪いました。以来、恨みを忘れた日とてなく、常々隙を狙い続けておりました。こうして本望を遂げた上は、この首が千に斬られたとしても恨みには思いません」

頼朝「では五郎よ、なぜ無関係な侍も次々に斬ったか」

五郎「これほどの謀反を起こすからには、千万の侍を斬る覚悟でいました。しかし、どれも臆病者ばかりでまともな斬り合いもせぬ。わずかに肩先を斬っただけです」

頼朝「なぜ我が陣屋に討ち入ったか。この頼朝に恨みがあったか」

五郎「無論、恨んでいましたとも。将軍は我が一門を滅ぼし、仇の祐経を寵愛しておられた。閻魔王の前で将軍を斬ったというのも愉快なことだと思ったが、五郎の運が尽きてこのように召し取られたのです」

これを聞いて、頼朝は五郎の態度に感激します。そして「助けて、召し使いたい」とまで言いますが、五郎は兄とともに死にたいと思っていたので「兄が五郎を待っている。一時も早く首を斬りたまえ」と望みます。

五郎は死ぬとき、キッと四方を見わたしてカラカラと高笑いし、そのまま首を斬られたのでした。

曽我兄弟、興味あるなら

曽我物語は内容も面白いですが、何といっても一番の見どころは、十郎と五郎の熱い語り合い!!とにかくセリフが熱い!カッコいいです!こればっかりは、物語の中で味わってほしいですね。

このたび、坂口は曽我物語を講談調で本に書き下ろしたので、その中から少々抜粋……

「こちらを向け、五郎。見飽きぬその顔を見せてくれ」

(略)

「兄者人(あにじゃびと)……、兄とお見上げするのもこれが限りか。ああ、よく見せてくれ」

この顔よ、この姿よ、例え我が身が朽ちるとも、心は決して君の上を去らず。

これはいざ仇討ちに踏み込む、その寸前の場面。現在の小説では絶対にお目にかかれない、時代ものならではのカッコよさですね!

1月30日に紙の本で出版されます。「曽我兄弟より熱を込めて」という題名。興味があったら是非読んでね。

まとめ

本当はもっといろいろ「祐経を狙ったけど失敗する事件」とか「十郎の恋人のエピソード」とか「親戚に、仇討ちに協力してもらおうと頼むけど断られる事件」とかがあるのですが、ここでは省略……。

曽我兄弟の仇討ちがあったのは、1193年の5月28日。ちょうど、頼朝の永遠のライバル後鳥羽上皇が死んで、晴れて鎌倉幕府を打ち立てた直後の出来事。時期が時期だけに幕府は震撼。一大事件でした。

でも、そういう政治的な面もさることながら、曽我物語が「日本三大仇討ち」の一つにまで数えられるほど人気なのは、涙ぐましい兄弟愛のためでしょう。

涙なしには読めない、兄弟愛のエピソードはAmazonキンドルから出版している「曽我兄弟より熱を込めて」に盛りだくさんに紹介してます!ぜひ読んでね!

曽我兄弟より熱を込めて

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

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Posted by 坂口 螢火