真田幸村と真田十勇士!講談のあらすじまとめ

2022年7月18日

ホントかどうか知りませんが、

「かの諸葛孔明、楠木正成と張り合えるくらい大天才!」

と、日本史上超有名人、大軍師と評判の真田幸村!今もドラマとか小説で大人気ですよね。でもですね、幸村の「講談」を知ってる人は少ないのでは?

このページでは、真田幸村と、その下で働いた真田十勇士の講談を簡潔にまとめます!

幸村、九度山で紐(ひも)屋を開く

時代は大坂冬の陣が始まる、ちょっと前です。タヌキじじいと評判の徳川家康、虎視眈々と豊臣秀頼の大阪城をぶっ潰そうと狙ってます。

さて、その最中、我らが幸村は何をしてたかといいますと……紐(ひも)屋をやってました。

と言いますのも、天下分け目の関ケ原の合戦で、幸村が味方した大阪方が負けたからです。幸村は故郷の上田城を立ち退くことになり、家来どもには暇を出して、紀州九度山に引っ込む身の上。

以来、幸村は頭を丸めてボーズになり、十勇士たちわずかな家来だけを身の回りに置いています。自身で工夫して作った「真田紐」という木綿紐をせっせと作っては、十勇士たちに命じて諸国に売って歩かせる日々。そんなこんなで周囲からは

「幸村はとうとう紐屋の親方になったぞ」

「武士らしい性根を失くして金儲けを始めた」

と噂されていました。

一人息子の大助少年も、ちっとも武士の子息らしいしつけをされません。勝手気ままに山を駆け回ったり魚釣りをしたり……まるで百姓の子供みたいな有様。

幸村、どうしちゃったんでしょう!?

幸村、出陣!九度山を出発!

実は幸村、全然ふぬけてなんかいませんでした。

「家康は自分のことを疑っているに違いない。今は阿呆になったふりをして、いざという時は真っ先に大阪の豊臣家に味方するのだ」

と、固い決意をしていたのです。そのため、昼間は人目をあざむくために紐屋をやりつつ、夜はせっせと地雷火を作ったり大砲を作ったりしています。息子大助も、夜は父親と一緒に軍学の勉強。いやはや、一筋縄ではいかない親子なのです。

そんなある日、ついに時機到来!関東の徳川家康と、大阪の豊臣秀頼が一戦を交えることになりました。これぞ、世に名高い「大坂冬の陣」!

九度山の幸村のところへ、大阪城の豊臣秀頼からの使いが来ます。

「よしよし、出番だ!」

と、幸村張り切ります!十勇士の一人、猿飛佐助(さるとびさすけ)が「どうぞ!」と鎧兜、槍に立ちを抱えて持ってきて、着付けを手伝ってくれます。すっかり着付けて屋外に出てみれば、そこにはすでに息子大助、十勇士の面々、その他千三百騎の軍勢が勢ぞろい。真田の旗印、六文銭の旗をパタパタとなびかせています。

何でイキナリ軍勢が揃ってるのかと言うと、実は幸村、真田紐の行商をしていたのは表向き。昔の家来たちに、紐を売らせながら諸国の様子をスパイさせていたのです。すわ旗揚げとなると、すぐに集まってくるように打合せしてあったのでした。

「いずれもよくぞ馳せ集まったぞ。この度は、大阪城へ入城いたし、関東勢を打ち破って、天下を再び豊臣家のものとなし奉る首途(かどで)じゃ!」

バラリ采配(さいはい)振って幸村が檄(げき)を飛ばせば、ワーッと一同歓声を上げる。ここ、感激の場面ですよ!

どうでもいいのですが、この直後に「幸村の出陣を食い止めろ!」と、九度山の幸村宅に襲い掛かった松村家(関東勢の一つ)の家来三千人。幸村がひそかに床下に埋めといた地雷火で木っ端みじんに吹っ飛んでしまいました。幸村、どこまでも抜け目ないですね。

幸村、真田丸を作る

大阪城に無事着いた幸村、豊臣秀頼と君臣の契りを固める杯を固めます。秀頼は

「幸村よ、関東との一戦には、その方の采配を何分頼むぞ」

と、幸村を軍師として頼もしく思ってます。

ところが!大阪城は困ったことに、人の和が全然なっちゃいなくて、バラバラ状態だったのです!だいたいこんな感じ……

淀君(よどぎみ)と大野一族幸村たち、新しく集まった浪人グループ

淀君(よどぎみ)とは秀頼公のお母さんで、すごい気の強い女性として有名ですね。この淀君が軍事についても何やかやとやかましく口出ししてきます。これに大野道犬(どうけん)、大野修理(しゅり)、大野主馬(しゅめ)などが「その通りです、その通りです」とおべっかを使って出しゃばります。

幸村がせっかく色々な計画を思いついて申し上げても、淀君達が片っ端から反対して潰されてしまうのです。でも、淀君は秀頼公の母親ですから、どんなに悔しくても逆らえません……。

「どんな名城であっても、退いて守るだけでは、いつかは必ず落城します。兵を美濃、尾張まで進めて、関東勢を迎え撃ちましょう!」

と、幸村は勧めるのですが、淀君は秀頼を戦場に出すことに大反対。ついに籠城に決まってしまいます。

「仕方がない……。勝てないかもしれないけど、せめて関東勢と華々しく一戦しよう」

悲壮な覚悟を決めた幸村、大阪城の南の小高い地に出城を作りました。これが名高い真田丸(さなだまる)なのです。出城と言ってもただの出城と訳が違います。幸村が知恵の限りを尽くした城で、しこたま仕掛けがしてあって、この後、幾度となく関東勢をメチャメチャに討ち退けた要害なのです。

大坂冬の陣開始!初戦の大作戦三つ!

いよいよ始まりました。関東と大阪の一大決戦!

大阪の方は、数じゃ全然関東にかないません。そこで幸村、「家康の首さえとれば勝ちだ!家康にターゲットを絞るぞ!」と、しつこくしつこく家康を狙います。これで家康はノイローゼ寸前に……。

幸村の家康大作戦は、以下の三つです!

家康覚悟せよ!大助大活躍!

何と幸村、一人息子の大助を犠牲にして家康の首を狙います。大助、この時十五歳。

「大阪は全然勝ち目がないので、関東に下ります」

と見せかけて、その証拠に大助を関東陣に送るのです。大助には「隙を見て家康をぶっ殺せ!」と言い含めてあります。

覚悟を決めた大助、家康の前に引き出されたとき、「えい!家康、覚悟せよ!」と躍りかかりますが……。この時、家康がステーンと転んだので大失敗。空振りして、大助捕まっちゃいました。まあ、その後いろいろあって、大助はちゃんと生きて大阪に戻りましたが……。

偽旗の計!家康軍大混乱!

幸村の配下には名高い「真田十勇士」がいて、この中で猿飛佐助(さるとびさすけ)霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)は、とってもスペシャルな腕前の忍術使いです。

この霧隠才蔵が毎度毎度「次の関東勢の作戦はコレコレですよ」と、ぜ~んぶ探って来てくれるので、その度に幸村は完璧なはかりごとを考えることができます。さて、今度の作戦は

「白地の旗をできる限り集めろ!」

と、大量に旗を用意させ、それぞれに家康の家臣の神保、一柳、分部の家紋を書かせました。それを一隊ずつに持たせ、夜中に出発させたのです。

真夜中、神保の旗を持った一隊は分部の陣へ行き、「やあやあ、分部!よくも謀反を起こしたな!」

……夜中だから神保の旗がニセモノだとはとても見分けられません。身に覚えのない汚名に分部はビックリ。慌てて反撃します。

この調子で、一柳、神保の陣にも偽物が押し寄せてきたので、家康軍は上を下への大混乱!と、家康はわずかな兵にその場を任せ、慌てて外へ逃げ出しましたが……そこへ!

「家康待て!我こそは大阪城の軍師、真田左衛門佐幸村だ。大御所の首級ちょうだいに参ったり!」

と、パカパカと馬を走らせてきたのは、他でもない幸村!家康は肝をつぶして必死に逃げます!しばらくは追いかけっこが続いたのですが、家康の馬があまりにも名馬すぎて、四メートルの川を一気に飛び越え、幸村は家康に逃げられちゃったのでした。

幸村十八番の影武者作戦

ある日、軍の巡察に見回っていた家康。……でも、この巡察のことも猿飛佐助が「家康が巡察するよ!」と探って来たから、幸村には筒抜けです。

さて、のんびり巡察していた家康だったのですが、イキナリ!

「やあやあ、徳川殿。真田左衛門佐幸村見参!勝負勝負!」

鎧武者が現れてこう叫ぶや、サッと翻った六文銭の旗。およそ五百人の伏勢が現れて、バンバン鉄砲を撃ってくるのです。

「ヒャアッ出たア!」と、慌てふためいた家康、とっさに反対側に逃げますが、するとまた「やあやあ、我こそは真田左衛門佐幸村!尋常に首を渡せ!」と、ここにも幸村が!

パニックに陥った家康、あっちへ行き、こっちへ行って逃げまどいますが、その度に幸村が出現して「首を渡せ!」と、鉄砲隊率いて襲い掛かってくるのです。

「ヒ~!何人幸村がいるんじゃ!」

と、すでに家康は半泣き状態。気が付けば、付いてきてる家来は、忠臣の大久保彦左衛門たった一人に……。と、その時!

「アハハハハハ、我が影武者のはかりごと。さざえ尻の陣形のどん底へ追い詰められたな。我こそは正真正銘の真田左衛門佐幸村。最後の覚悟めされよ」

本物の幸村が出てきました。今までの幸村は全員影武者だったのです。

幸村は槍を散々繰り出して家康を狙います!が、この時も家康はラッキーにも葦(あし)の茂みの中に転げ込み、じいっと息を潜めて幸村をやり過ごしてしまいました。

関東川の大作戦、二十二段構え

さて、関東側もやられっぱなしじゃありません。

「こんなに苦戦するのは幸村が軍師として控えてるからだ。どんな犠牲を払っても幸村をやっつけよう!」

と腹をくくりました。

そこで、徳川家康の知恵袋、本田佐渡守(さどのかみ)の提案。

「我々の軍は、大阪とは比べ物にならない大軍。この軍の攻撃をただ一か所、真田丸に向けます。二十二段の陣構(じんがまえ)をいたし、先手の三段や四段は捨て殺しとし、次から次へと新手を繰り出せば、いかに幸村と言えども、兵は疲れ、矢玉も尽き果てて、我が軍の勝利は疑いなしと存じます」

う~ん、つまり人海戦術です。あまりにもヤバい方法ですけど、結局この方法以外は考えつかなかったので採用となりました。

幸村の秘計、大抜け穴!

家康はすぐさま、二十二段構えの陣形を組み、真田丸はすっかり囲まれてしまいました!

でも、幸村はニヤニヤと余裕の構え。実は、幸村にはとっておきの作戦があったのです。実は幸村、この真田丸を作る以前から、大阪城について徹底的に調べていました。その時、この大阪城を作った太閤秀吉が、地下に抜け穴を作っていたことを突き止めていたのです!

その抜け穴、真田丸から茶臼山(ちゃうすやま)まで伸びています。(もちろん、これを承知で真田丸を作ったのです)茶臼山は家康の本陣。そこで幸村、得意の影武者作戦を使います。

真田丸に残したのは、いつも影武者を引き受けている、十勇士の穴山小助(あなやまこすけ)。幸村は猿飛佐助や霧隠才蔵らを率いて、抜け穴を通っていきます。家康軍は真田丸に釘付けです。

抜け穴を抜けて、ワアッと攻め入った幸村勢!手薄だった家康の本陣は大混乱です!猿飛や霧隠ら忍者たちは次々と火を放ち、その他大勢は槍を持って攻めかかり、さすがの家康もどんどん追い詰められます。大阪勢、ついに勝利なるか?

秀頼、淀君に止められる

ここで幸村、秀頼公に連絡します。

「この時をはずさず、君のご出馬にあいなり、一挙に関東勢を打ち砕きましたなら、勝利は確実です」

秀頼公、これを聞いて大いに喜び、「では自ら馬を陣頭に進めて、勝負を一挙に決しよう!」と張り切ったのですが……ここにまた出しゃばったのが淀君です。

「この母を振り捨てて出陣なさるお心か。ああ、お情けない……」

とオイオイ泣いて引き留める。これには秀頼公もあきれ果てて、無理にでも出陣しようとしたのですが

「どうしても出陣なさりたいのなら、母はこの場で自害して果てます!」

と、懐剣抜いて自害しそうな有様!とうとう、秀頼公は出陣できなかったのです。

一方、幸村は秀頼公の出陣を待っていたのですが、とうとう出陣は取り止め。「あとちょっとで勝てる!」というところまでいったのですが、これでとうとう勝利をつかむことができなかったのです。

関東との和議。家康の難題

さて、関東と大阪は熾烈な争いを続けていましたが、どうにも決着がつきません。それでとうとう、家康は和議を申し入れることにしました。

と言っても、大阪がたやすく和議を受け入れるわけがないので、家康は朝廷を動かして、天皇の勅命をいただき、大阪を黙らせることにします。

大阪も勅命をいただいては嫌とは言えません。一も二もなく和睦することに決定。ところが……この後、関東は無理難題を大阪に突き付けるのです。

「この度、勅命によって城攻めは取りやめる。ついては、仲直りのしるしとして、三カ条のうち、どれか一カ条承知なされたい」

1.淀君を人質として関東に送ること。

2.新たに召し抱えられた諸国浪人を、一人残らず暇を遣わすこと。

3.大阪城の外堀を埋めること。

これに秀頼は死ぬほど悩みます。これを聞いて幸村は

「我々、深山の家来どもにお暇をください。また合戦が始まることがあれば、我々は必ず必ず馳せ参じて、忠義を尽くします」

と申し上げる。秀頼は涙を流してこれを聞きましたが、

「いやいや、今まで我を助けて大功を立ててくれた忠臣に、どうしてそのようなことができるだろう……」

と、ありがたいお言葉。と、ここでまた淀君が出しゃばります。

「外堀を埋めればよい。和議が整って戦争さえ止めば、差し支えあることではあるまい」

と言うのです。自分が人質になる気など毛頭ありません!外堀が埋まったら大阪城の主税は半分に減らすことになるのに、とんでもないことです!でも、秀頼公の母親の鶴の一声だから、みんな逆らえない……。結局、大阪城の外堀を埋めることになってしまいました。

内堀まで埋められる!

何とか和議ということになって、関東からはのべ八万人という大人数の人夫たちがやって来ました。どんどんと外堀をうずめていきます。

外堀と言っても、堀だけじゃありません。堀に付随している櫓だの城門だのも壊されていくのです。それを見ている大阪勢は無念この上なく……。

取り壊された後は広大な原っぱとなり、残されたお城はまことに小さくなりました。と、ここで大問題が!人夫たちは外堀が終わった後、内堀まで埋めていくのです!

「なんてことをするんだ!すぐやめろ!」

「そんなこと言ったって……全部壊せと言い使ってます。文句があるなら江戸の将軍家に聞いてくださいよ」

慌てて使者を立てて江戸に早駕籠たてて行ってみれば、家康の子、秀忠将軍

「そりゃこっちに言われても困りますね。駿府(静岡県)の父上に聞いていただかないと」

ということで、また東海道を逆戻り!……結局、日数がかかりすぎて、この間に内堀は全部埋め尽くされてしまったのです。何とあくどい家康の罠!

さらば大阪城……大坂夏の陣

まあ色々な小競り合いがありまして、またもや関東、大阪の雲行きは怪しくなります。ようやっと大坂冬の陣が終わったと思ったのに、何と五カ月後にはまた決戦!

でも、大阪ははなから負け決定です。何しろ、外堀も内堀も埋められて裸城なんですから、全然守ることができません。

幸村は必死に手配りします。まず、大和で後藤又兵衛(またべえ)が先陣。その後ろに真田幸村、毛利勝永薄田隼人の軍勢がこれを助ける、という計画。

関東からはまず伊達政宗が襲い掛かってきます!後藤勢はあっという間に打ち破られる。それを伊達勢は追いかけますが、伏勢の鉄砲隊がこれを倒します。

関東勢はまたも井伊、小笠原勢がなどの大軍が進んできますが、これを防いだのは木村重成(しげなり)。八千の手勢を率いて片っ端から打ち破ります。

しかし、何といっても関東と大阪とでは、兵力に大変な差があります。次第次第に大阪側は追い詰められ、後藤又兵衛、木村重成、薄田隼人も討ち死にしてしまいました。

幸村の秘計、捨てかまど

大御所家康はどんどん軍を進めて、平野というところまで来た時、畑の中に兵糧を焚いたらしいかまどがいくつも捨ててあるのを見つけました。

「あれは大阪の軍勢が陣を捨てて逃げ去った後だな。ちょうどいい。この釜度を使わせてもらおう」

皆大喜びで夕飯の支度にとりかかります。いくつかのかまどに薪を入れ、火をつけたその時……。

ドカーン!と物凄い爆発!実はこのかまど、幸村の計略。火を入れたとたんに爆発するように、火薬を仕込んであったのです。

見る間におびただしい死者。でも家康は超ラッキーなので、偶然助かっちゃいました。

幸村、薩摩落ちの計略

優れた武将は残らず討ち死にしてしまい、今はこれまでと幸村も覚悟を決めました。

その夜、幸村は秀頼公の前に出て

「木村、薄田、その他の諸将も相次いで討ち死に。もはや落城はまぬがれません。つきましては、家来のものを秘かに城外へ抜け出させて、船の支度をさせてございます。夜に紛れてお逃れ下さいませ。海路、九州薩摩へ参りましょう。島津家を頼み、機会を待つのです。何といっても家康はすでに七十を超えております。家康さえ世を去りましたならば、島津を力を合わせ、再び天下を豊臣のものになさんこと、たやすいことと思われます

と、秀頼を説得。淀君のことは、「乱軍の中で無事に連れてくのはムリです」と諫言して、幸村は秀頼を連れ、十勇士たちと共に抜け穴を利用し、無事に逃れ去ったのでした。

大阪落城。あわれ穴山小助

幸村たちが逃れ去った後、関東勢の目をごまかすために、十勇士の穴山小助あくまで幸村の影武者として頑張ってました。必死に防戦に努め、ついには原隼人(はやと)という豪傑にグサリと槍で突かれて落命。皆さん、この忠心に泣いてください!

幸村討ち死に!という知らせに気負い立った関東勢。一気に大阪城を落とします。淀君もこの城と共に落命。天下の名城大阪城は、ついに猛火の中にほろんだのです。

アッサリ死んじゃった秀頼

さてこのようにして、大阪を逃れた幸村たちですが、秀頼公は哀れにも、島津の御殿の中で病気になり、あっという間に死んでしまったのです。

幸村もこれにはガックリ。恨みを呑んで死んでしまったのでした。

まとめ

いや、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

最期に一言。史実では、秀頼公も幸村も大阪夏の陣で死んでしまったことになってます。でも講談では昔から、「城を逃れて薩摩で死んだ」ということになってるのです。

著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火