簡潔に!山中鹿之介の講談あらすじまとめ

2022年7月19日

山中鹿之介の講談って、今は全く出版されてないです。悲しいことに……。わたしが知る限り、最後に出版されたのは昭和15年。(史実だけのなら色々あるんですが)

なので、尼子十勇士とか鹿之介について「そういう話はあるってことは知ってる。でも内容は知らない」って人がほとんどではないでしょうか?

このページは、明治時代に流行していた鹿之介と尼子十勇士のエピソードをご紹介します!貴重データですよ。心して読んでね!

鹿之介、いきなりサルにさらわれる

山中鹿之介って、超が五つくらいつく波乱万丈人生です。

お父さんは相木(あいき)森之助、お母さんは更科(さらしな)姫。甲州の武田家にお仕えする武士だったのですが、鹿之介はあろうことか、生まれてすぐにサルに拉致されてしまいます!お母さんは狂ったようになって探し回るのですが、全然見つかりません……。そしてなんと、五年間の間鹿之介は行方不明に……。

さてある日、この両親は親戚のじいさんを尋ねたのですが、この爺さんの家の庭で、遊び回っている愛くるしい男の子が……。

この子の顔を見たとたん、更科姫は「ああっ!あの子はわたしの子に違いありません!」と並大抵でない母親の直感。お父さんは「そんな馬鹿な」というのですが、あんまり更科姫が泣いて騒ぐので、じいさんに「あの子は誰です?」と尋ねますと……それはそれは奇妙な告白が。

「おお、あの子は山で拾った子じゃ。ある日わしが山に行くと、あの子が大きな鹿の背に乗って遊んでいて、その周りで大勢のサルがあのこをあやしていたのじゃ。周りを見ても親らしいものがおらんので、わしが拾って育てておるのじゃ」

これを聞いて、両親ビックリ。「それなら間違いない。あの子は我々の子だ」と確信。じいさんに「この子の名は何と付けましたか」と尋ねますと、

「おお、山の中で鹿に乗って遊んでおったから、山中鹿之介と名付けた」

と、あまりにもそのまんまな名前を……。でもお父さんは大変喜び、「それはよろしゅうございます。この子が大きくなったら、ヘンな名前の方が周りに覚えてもらうのに便利でしょう。ヘンな名前を付けて下すってありがとうございます。よし!坊主、お前の名前は山中鹿之介で決定!

こうしたいきさつで、親子は五年ぶりの再会。そして、山中鹿之介というダジャレみたいな名前に決まったのでした。

鹿之介、旅先で大谷古猪之助と早川鮎之助をゲット

さて、月日に関守なく、鹿之介は十六歳になりました。小柄で細身ですが腕はめっぽう立つ。顔立ちは優し気で女のような美少年。でも目つきは星のようだったそうです。

一人前になりましたので、鹿之介は両親の前に手をついてお願いします。

「これより旅に出て日本六十余州を巡り、あらゆる文武の士に教えを請いたく存じます。お暇をくださいませ」

両親は大変喜び、こうして鹿之介は甲州を後にしたのでした。

しばらくテクテク歩いていますと……何としたことでしょう!ある農村で、十五、六歳ばかりの若者が、高手小手に縛り上げられ、木に吊るされて、今しも火あぶりにされかけているじゃありませんか!若者の足元では、おそらく母親とみられる老婆がオイオイと泣き叫んでます。

この若者、庄屋の持ってる山から杉の木を盗みまっくたので、ついに庄屋がブチ切れ。「太い奴だ、盗人め!」と死刑にされかかってたのです。

鹿之介、お人好しですから「そんならわしが杉の木の代価を払うよ」と、若者を助けてやり、手下にすることにしました。

「わしは山中鹿之介という天下に並びないヘンな名前だ。だからお前も今後は名を改め、大谷古猪之助(おおたにふるいのすけ)と名乗れ!」

この古猪之助が、尼子十勇士の記念すべき第一番になったのです。

さらに鹿之介が道をテクテクと歩いていますと……何と、川が逆に流れてるのに遭遇!よく見ますと、長い板を持った若者が、その板をグイグイ押して、川の水を押し上げていたのです。何という怪力!

鹿之介はこの若者も気に入って、手下にして「早川鮎之助(はやかわあゆのすけ)」と名付けました。

鹿之介、いきなり結婚することになる

鹿之介、どんどん旅を続けて京都に来ました。名所めぐりが大好きな鹿之介、さっそく清水の舞台に見物に出かけたのですが、ここで思いもよらぬ事件に遭遇します。

美しいお姫様が、舞台の下の音羽の滝にやって来ていたのですが、突然バラバラッと現れた盗賊の一団、お姫様をかっさらっていこうとしました。驚いた鹿之介は、慌てて飛び出して盗賊を撃退。「大丈夫でしたか」とお姫様を救出します。

するとこのお姫様、九重姫(ここのえひめ)というのですが、一瞬で鹿之介に一目ぼれ。お父さんの中納言に「あのお武家様と結婚したい!お父様のお力で何とかしてください!」とせがみ倒しました。

娘がカワイイ中納言、翌日鹿之介を強制的にお屋敷に引っ張り込み、その場で「娘を貰ってくれ」と三々九度の盃をとらし、鹿之介がアワアワしてるうちに祝言が済んでしまったのでした。こうして、鹿之介は中納言家のお婿さんになり、しかも数日後

「よいか婿殿。この九重姫の姉の八重姫は、出雲(いずも。今の島根県)の尼子家の当主尼子義久(よしひさ)公の妻となっておる。だが尼子家は今大変没落しており、隣の国の毛利(もうり)家に押されまくっておる。おぬし、尼子家に仕えて、義久公を助けてやってくれ

と命令……。何が何だか分からないうちに、鹿之介は尼子家にお仕えすることになったのでした。

鹿之介、兵庫県で横道兵庫介をゲット

鹿之介は尼子家にお仕えすることになったので、出雲目指して旅をすることになりました。その途中、兵庫県を通りかかったのですが……。ここでも鹿之介は災難に遭ってる人に遭遇します。

道路の真ん中で、大男のひげもじゃ武士に、若い美形の武士が散々怒鳴られて「ええい、抜け!抜かぬか!勝負しろ」とギャーギャー言われてるのです。けれども若い武士は困り果てて

「それはムリです……」

とオロオロ……。鹿之介が「どうしたの?」と尋ねると、「実は……一応太刀を腰に差してるけど、鞘の中身は空っぽなんです。お金に困って売り払っちゃったので」としどろもどろ。

お人好しの鹿之介、これを聞いて気の毒に思い、自分の太刀を貸してやります。「おお、かたじけない!」と若い武士、この太刀を使って見事に勝利。「生きるも死ぬもあなたと一緒です」と、すっかり鹿之介に心酔して、この若い武士も鹿之介の手下になりました。

兵庫の横道で知り合ったので、「横道兵庫介(よこみちひょうごのすけ)」と名付けました。

こうしたいきさつで、鹿之介が道々手下にした連中が、その後の「尼子十勇士」なのです。

鹿之介、菊池音八を討ち取る

さて、ようやく尼子氏の上月(こうづき)城に到着した鹿之介。ご当主の尼子義久(よしひさ)

「中納言家から話は聞いた!お前は若いが大変な豪傑だとか。どうかいつまでも尼子家に尽くしてくれ」

と大喜びで、下にも置かない扱い。でもですね、他の家臣たちは面白くありません。ぽっと出の鹿之介が大事にされてるなんて我慢できず、

「何だ、あいつは。チビで細っこくて、風でも吹けば飛んでいきそうじゃないか」

と散々馬鹿にします。

ここで鹿之介、つらつら考えました。「よし、何か手柄を立てて、自分の実力を認めさせてやろう!」

鹿之介が目をつけたのは、近ごろ城下を騒がせてる悪者、菊池音八(きくちおとはち)です。

この悪者、身の丈は二メートル越え、虎ひげで声は割れ鐘のごとし。そこらじゅうの店は襲う、古文を引き連れて女をさらう、捕まえに来た役人は殺す……。頭は悪い、性格は悪い、顔も悪いと、とにかくダメな奴なんです!

鹿之介、いきなり大路に立札を立てます。

「菊池音八なる大馬鹿者、良民を苦しめる段、不届きにつき、上月城主尼子式部少輔の臣、山中鹿之介幸盛、近日菊池音八の首をはねるものなり」

これには菊池音八大激怒!怒り狂って鹿之介に勝負を挑んだのですが、鹿之介は軽くあしらった上、瞬殺!またたく間に鹿之介の武勇は城下に知れ渡ったのでした。

鹿之介、毒酒に倒れる

一目置かれるようになった鹿之介、軍を率いて周辺勢力と戦うようになります。またたく間に山名を倒し、返す刀で毛利を撃退!富田月山城を取り戻します。そこで尼子義久は、鹿之介を富田月山城の城主に定め、鹿之介はこの城に立て籠もって、毛利と戦うことになったのです。

が、ここで一大事が……。

尼子の宿敵、毛利元就(もうりもとなり)が刺客を放ったのです。この刺客、ただの刺客と訳が違います。名前は徳市(とくいち)。大変な美声の琵琶法師です。失明したため琵琶法師になりましたが、元は武士だったので忠誠心と覚悟は筋金入り。

「わたくしが必ず、山中鹿之介を冥途に送って見せます」

と不敵な高笑い。尼子城下へと旅立って行ったのでした。

大胆不敵な徳市。彼が接近したのは城主義久の弟、九郎左衛門です。この九郎左衛門、つねづね

「隙があれば義久を亡き者にして、自分が尼子家の領主になりたいものだ」

と考えている悪者。徳市はこいつを利用したのです。

「もしもし、わたしは毛利の臣下徳市。わたしが鹿之介を殺しますから、その隙に九郎左衛門殿は義久を生け捕りにして毛利に送ってしまいなさい」

「なるほど!そうすればオレが尼子領主になれるな!」

と、こういう談判をして、徳市は九郎左衛門の力を借り、

「この琵琶法師は近来まれな美音であるから、ぜひ宴で歌わせるといい」

というお墨付きをもらって、鹿之介の富田月山城へ向かったのでした。

さて、鹿之介は危険が近づいていることなど全然知りません。やって来た徳市を見てニコニコ。「さっそく今晩の月見の宴で歌ってくれ」と、十勇士を集めて宴を開いてしまいます。徳市はここぞとばかりに大熱唱。鹿之介たちは大喜びです。

徳市は内心してやったり。鹿之介たちが月を眺めている隙に、盃に毒をベッタリ。「御返杯を……」と盃を鹿之介に返します。

当時の風習では、宴の席の人々は全員回し飲みしますから、これで鹿之介も十勇士たちも、みんな同じ盃で飲んでしまったのです!

「アッ」と、いきなり倒れる鹿之介!他の人々も次々ダウン!徳市は得意になって「ワハハハハハ」と高笑いしていたのですが……、ここに一人だけ、まだ盃に口をつけていなかった男が。

「おのれ、琵琶法師!わしはまだ貴様の盃を受けていないぞ!思い知れ!」

十勇士の一人、寺本生死之介(てらもとしょうしのすけ)という男が徳市に躍りかかってバッサリ!生死之介はすぐさま半死半生の鹿之介を助け起こし、医者を呼んだのでした。

尼子義久、毛利の人質に!尼子家、絶体絶命!

寺本生死之介は「鹿之介殿がこんなことになるとは……。もしかしたら、御主君もヤバいかもしれない!」と気が付き、すぐさま上月城へ向かいます。

すると予感的中!例の悪者、九郎左衛門が義久を捕まえて「ワハハハハハ!これかれはオレが尼子城主だ!」といい気になっているのです!

これを見てすぐに「これはヤバい」と危機を覚えた寺本生死之介。

「よし!九郎左衛門の味方になったと見せかけて、毛利の安芸の国までついて行ってご主君を守ろう!」

と、とっさの判断。九郎左衛門は義久を毛利の安芸の国へ連れて行ったのですが、生死之介は「へへー」と九郎左衛門に膝を折って、どこまでもご主君義久について行くのです……。皆さん、ぜひこの生死之介の忠誠に感激してください!

五月早苗介、若君を救出!

十勇士の一人、五月早苗介(さつきさなえのすけ)は、義久が捕まってしまった時、上月城にいました。

「この上は、若君だけでも守らなければ!」

早苗介は若君、勝久(かつひさ)付きの家臣だったのです。すぐに城の奥へ走っていき、勝久と二人で馬に乗ると、

「ええい!道を開けろ!刀の錆になりたいか!」

十重二十重に取り巻く敵陣を一直線に駆け抜け、勝久を守って逃げ切ったのです!早苗介はその後、勝久を連れて京都へ逃れ、東福寺(とうふくじ)に匿ってもらいました。

不死身の鹿之介、復活!

さて、毒を盛られてぶっ倒れた鹿之介、あれからどうなったでしょう?

徳市がもった毒、これは鶏毒(ちんどく)とかいう猛毒で、「今まで誰一人、助かった者はない!」といういわくつきの毒だったのです……が、さすがは鹿之介!しばらくは意識不明だったのですが、元気いっぱい復活しました!

他の連中もなぜか復活!十勇士は一人も死者なしという奇跡の数字。

復活した鹿之介、「よし!ご主君を助けに行くぞ!」と、さっそく安芸の国へGO!たどり着いて見ると、御主君義久はいましも安芸の国の港へ到着。そこの大きな宿屋についたところだったのですが……鹿之介はお医者に変装、その宿屋を爆弾で爆破というムチャクチャな方法で、まんまと義久を取り戻したのでした。

鹿之介、銀閣寺で妖怪退治をする

御主君は取り戻し、鹿之介も復活。寺本生死之介も毛利からまんまと逃げてきて、ここにようやく主従が勢ぞろいしました。さて、これからどうやって出雲を取り戻すか?

ここで鹿之介が、「考えがあるから将軍家に行ってきます。しばらく待ってね」と意味深な言葉。

おりしもその時、将軍家は大勢のお供を連れて銀閣寺に遊びに行ってました。と、突然ものすごい雷鳴。土砂降りの中でひっきりなしに雷が落ちるという、凄まじい天気に!将軍が驚いたのは当然ですが、あろうことか、銀閣寺の庭にイキナリ雷獣という妖怪がドーン!と現れるという珍事まで起こりました。

「やや!あの妖怪は何だ!召し取れ!」

……なんつっても、誰もそんな勇気ないです。アワアワと大慌て。

そこにひらりと身を躍らせたのが鹿之介。エイ!と雷獣に組み付くや、あっという間に縛ってしまいました。

これには将軍も大満足。鹿之介は「鹿蔵」という変名を使って、将軍家の下男になったのです。

義久、無念の死。勝久、なぜか将軍家の姫に惚れられる

鹿之介が鹿蔵になってしばらくたって、大阪に身を潜めていた義久はポックリ死亡してしまいます。鹿之介や十勇士の面々、その悲しみは言うに及ばず……。

この頃、若君の勝久はどうしていたかといいますと……勝久は相変わらず京都の東福寺でお小僧さんをやってたのですが、この頃はもう立派な若者に成長してます。それも「花のように美しかった」らしくて、超絶美形。この寺のボーズは絵描きとして有名だったので、勝久を梅の木の前に立たせて絵を描き、それを将軍家に献上しました。

するとですね、この絵を見た将軍家の姫、白縫姫(しらぬいひめ)が一瞬で撃沈。

「この若君と結婚出来たら死んでもいいわ」

というくらい恋に迷ってしまいました。

恋の病はなかなか重傷だったらしく、伏せってしまって食事ものどを通らない状態。これには将軍も放っておけません。慌てて勝久を白縫姫の婿にあてがうことにし、勝久は持ち前の美貌のおかげで将軍家のお婿さんという大出世を遂げたのでした。

大軍をゲット!出雲奪還!

頃もよし。鹿之介は将軍家に出雲奪還の宿願を伝えることを決意します。

ある日、勝久が将軍家にご挨拶に来た時のこと。勝久は庭で草履取りをしている鹿之介の鹿像に目を止めて、

「あ!将軍。あれは我が尼子家の家臣、山中鹿之介幸盛です」

と言上。将軍はたいそう驚いて、

「鹿蔵よ。お前は音に聞く名将、山中鹿之介であったか。なにゆえ、草履取りなどしていたのか。察するところ、わしに何か願いがあって、このような下郎奉公に甘んじていたのであろう」

「ハハッ。実は……」

と、今は鹿之介も遠慮することなく、尼子家再興、出雲奪還の悲願を熱血にトーク。将軍は目に涙を浮かべて、

「オオ。お前こそ真の忠臣。よしよし、軍勢を貸してやろうぞ」

と、鹿之介に軍勢を与えてくれたのでした。

それからの鹿之介は獅子奮迅の働き!あっという間に毛利の軍勢を撃破しまくり、富田月山城をはじめ二十の城を奪還!尼子はかつての勢いを取り戻したのでした!

義久公の供養。万歳十勇士!

富田月山城を取り戻した尼子勢。鹿之介はすぐさま皆を一堂に集め、亡くなった義久公の供養をします。

「お慶びください!年月はかかりましたが、このように城を取り戻しました。ご安心下さいませ」

鹿之介が生けるものに対するように申し上げれば、十勇士たちはワッとその場に突っ伏して泣いたのでした。

終わり!

まとめ

いや~、長かったけど終わりました!

読めばわかると思いますが、鹿之介の講談は「お城を取り戻すまで」で終わっていて、「鹿之介最期」はまるごと削られてるんですよね。

これは鹿之介が暗殺されちゃってるからで、「読んでて悲しすぎるから」と、城奪還後は作られなかったんですよ。昔の人は物語の楽しみ方が上手ですね!

著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

出版した本(キンドル版)

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Posted by 坂口 螢火