忠臣蔵の日本一わかりやすいあらすじ

2021年10月18日

日本人なら、誰でも一度は「忠臣蔵」の題名を聞いたことがあるでしょう。吉良上野介(きらこうずけのすけ)にイジメまくられたあげく、切腹させられてしまった殿様、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)。この内匠頭の家臣たち四十七人が、吉良の屋敷に討ち入って見事仇討ちをするという、ホントにあった大事件です。

ですが、有名なお話にも関わらず、「ストーリーを知ってる?」と聞かれると、「え~と……」となってしまう人が多いのではないでしょうか?

それもそのはず、最近、忠臣蔵のドラマも映画も少ないですしね。時代劇も減ってますし。知る機会がほとんどないのです。

ここでは、「でも、忠臣蔵のあらすじくらい知っておきたい!」という殊勝な方のために、日本一分かりやすく(を目指します)あらすじを短く簡単にお伝えします!

詳しく楽しく知りたい方はこれを読むべし↓

事件は元禄(げんろく)時代に起こった!

まず初めに基礎知識。忠臣蔵は歴史上、ホントに起こった大事件です!事件の名前は「赤穂(あこう)事件」と言います。「忠臣蔵」は赤穂事件を元にして書かれた芝居の名前なのです。とは言え、人物名は同じだし、事件の大筋は全然変えてありません。(このページでは芝居のあらすじを書きます)

赤穂事件が起こったのは江戸の元禄時代!徳川幕府の時代ですよ。将軍は徳川綱吉(つなよし)です。

でもこの将軍、徳川幕府の歴史にドロを塗るくらい暴君。ハッキリ言って「こんな奴いなけりゃいいのに……」ってみんな思うくらいダメな人でした。

どのくらいダメかと言いますと……遊びに使うお金が天文学的!しかもえらい迷信家で、「犬を絶対殺しちゃダメ!」「人間が飢えてても、犬に御馳走食べさせなきゃダメ!」「犬をちょっとでもイジメたら島流し!」という、「生類憐みの令」を出したことで有名。

この法律、どんどんエスカレートしまして、犬も猫も虫も殺しちゃダメになり、あろうことか蚊を叩き殺した武士が処刑されてしまったという悲劇まで……。

まあ、長くなりましたが、赤穂事件はこーゆー時代に起こりました。将軍がこういう人だったから、その下で働いてる大名や武士たちは大変です。ほんのちょっとしたことでお家は御取り潰しになっちゃうし、この赤穂事件の前にも、将軍のせいでつぶされた藩は二十以上あったのでした。

浅野内匠頭、御馳走役(ごちそうやく)になる

さて、播州(ばんしゅう)赤穂(今の兵庫県)の大名浅野内匠頭は、ある日老中にお呼び出しを受けて、「勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)」という役目を仰せつかります。

この役目、いったいどういうものかと言いますと、幕府と朝廷(天皇家のことですよ)は毎年新年のご挨拶を長ったらしく儀式で行っているのですが、その儀式で江戸にやって来る使者の人たちをおもてなしする役目のことです。

当たり前ですが、儀式でやって来る朝廷の使者をもてなすのですから、色々めんどくさいしきたりが多いのです。分かりやすく例えると、平のサラリーマンが「明日、イギリスの女王陛下のおもてなしをしてね!」って言われるくらいの衝撃。

内匠頭は「こんな難しいお役目をやるなんて無理だぞ……」って思ったのですが、老中に押し付けられてしまいます。

「いや、浅野殿、しきたりに詳しくなくても心配いらない。しきたりに詳しい吉良上野介が指図役になってくれる。何事も吉良に教えてもらえるから

こうして、内匠頭は勅使饗応役(別名、ご馳走役)となったのです。

イジワルじじい吉良上野介、内匠頭をいじめる

さて、ご馳走役になった内匠頭ですが、この人、ひじょ~に生真面目でいい人だったようです。殿様なのに贅沢は全然しない。趣味はお金のかからない書道に茶道。家庭では妾一人も持たなくて愛妻家。家臣をとても大事にするので、家臣たちからも愛されてました。

が、この生真面目が裏目に出てしまいます。しきたりを教えてくれるはずの指図役、吉良上野介は

「浅野はこれから世話になるわしに、たくさん賄賂(わいろ)を持ってくるだろう」

とホクホクして待っていたのですが、内匠頭は真面目すぎて「賄賂を贈るなんて汚い行為だ」と、賄賂を持って行かなかったのです。

これに吉良は大激怒。……この吉良上野介、キタナイ権力者の代名詞みたいなじいさん。あちこちで賄賂を平気でもらい、しかも公然と「賄賂をよこせ」というよーな奴だったのです。「ええい、賄賂を持ってこないとは言語道断な田舎侍。覚えておれ」と、内匠頭をいじめまくる作戦を立てたのです。

こうして、吉良はことあるごとに内匠頭をいじめたい放題。大勢のエライ人の前で恥をかかせたり、ご馳走のメニューを、わざと違うものを教えたり……。しかも散々人前で悪口を言ってののしったり。

天皇家のお使いをもてなさなきゃならないという大任を背負ってるだけで、ものすごいプレッシャーの内匠頭。この吉良のいじめで、だんだんストレスの限界に。精神的にヤバい状態になっていったのでした。

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吉良のいじめってどんなのがあったの?有名エピソード2選

上野介待て!刃傷、松の廊下!

何日も吉良のいじめに耐え続けてきた内匠頭。その日はいよいよ、使いの人たちが江戸城で挨拶する日です。内匠頭は緊張しまくってお城に行ったのですが、すると吉良が

「儀式に変更があったので、老中様からお書付が来ましたぞ。これを読まないとお役目をしくじります。皆さん読みなされ」

と、他の人たちに順々に渡していきます。ところが、内匠頭が読もうとすると、「そなたには見せられぬ」と、さっと取り上げてしまったのです。

「お待ちくだされ!」と追いかける内匠頭。どんどん歩いて行ってしまう吉良に、松の廊下でやっと追い付きます。

「見せて下され!」「ならん、そなたのような不心得者には見せられん!」「そのような……わたくしもご馳走役の一人ですぞ!」と必死の言い争い。しかし吉良は絶対に書付を見せようとはせず、大勢の大名たちの前で、いきなり内匠頭を扇(おうぎ)でパシッと殴りつけました。

当時の作法では、「扇で殴りつける」は最大の侮辱です。今の感覚では「皿を料理ごと投げつけられる」より酷いかも……。

これにとうとう、堪忍袋のキレた内匠頭。

「待て!上野介!重ね重ねの遺恨(いこん)、覚えたるか!」

と叫ぶや、刀を抜いて斬ってかかりました。刀は見事、吉良の烏帽子を真っ二つ。しかし金輪に当たって、額を傷つけただけでした。

「ちっ、仕損じたか!」

なおも追いかける内匠頭。吉良は悲鳴を上げて逃げます。が、ここで「殿中でござる!殿中でござるぞ!」と、内匠頭は後ろから別の侍に組み付かれ、とうとう吉良を討ち取ることができずに終わったのでした。

内匠頭切腹

いかなる理由があっても、城内で刀を抜けば切腹はまぬがれません。内匠頭はその日のうちに切腹を命じられてしまいます。

ところが、このような争いごとがあった場合、「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)」といって、二人とも同じく罰を受ける、という家康公以来の掟があるのですが、

「吉良上野介は何のおとがめもなし。屋敷に戻って十分療養するように」

との決定が下されました。

このえこひいきな判決に、城内は大揺れ。「片手落ちだ」「あからさまな贔屓(ひいき)だ」と誰もが反対します。

これは、吉良が将軍の片腕である柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と親密な関係にあったので、柳沢が吉良をかばい、このような決定になったのです。おもいっきり「黒い政治」で、内匠頭は犠牲になったのでした。

内匠頭はその夕方、お預かりになった大名の屋敷で切腹します。

「風誘う、花よりもなお我は又 春の名残を、如何にとやせん」

このあまりにもうますぎる辞世の句をスラスラと書き、「この歌を国元の大石内蔵助(内蔵助は赤穂の家老です)に届けてほしい」と遺言して、命を絶ったのでした。享年、三十四歳です。

頑張れ早駕籠、赤穂へ走れ!

城主は切腹、お家は御取り潰し!

この衝撃の知らせを、家臣たちは一刻も早く国元の赤穂へ知らさなければなりません。早水藤右衛門(はやみとうざえもん)、萱野三平(かやのさんぺい)の二人は、すぐさま早駕籠に乗って走りました。

江戸(東京)から赤穂(兵庫)までは、通常では十七日かかる道のり。なのですが、この二人は根性が違います!昼も夜もぶっ通しで走り続け、ご飯も食べず、トイレ以外はいっさい駕籠から降りずに不眠不休。なんと四日半で赤穂についたのです!

これは早駕籠の歴史に残る快挙だと言われています。

赤穂についたときは、二人とも気絶寸前、息をするのもやっとの有様。当然です……。が、武士って容赦ないので、たどり着いた二人を城内の武士たちが「起きろ!用件を言わんか!」と頬を叩きまくって仔細を語らせたんだそうです。

大石内蔵助登場。四十七士集合!

さあ、いよいよ忠臣蔵の主人公、大石内蔵助の登場です!大石内蔵助は赤穂藩の城代家老(史実では違うのですが)。赤穂きっての知恵者と有名です。

この頃、赤穂城下は大混乱!町ではみんな、店は締め切り、仕事をやめてオロオロ……。ましてや城の中は上を下への大騒ぎです。内蔵助はすぐさま、全藩士たちを残らず呼び集め、これからどうするかを夜昼ぶっ通しで会議させます。

城内の意見は三つに分かれました。

「江戸へ行って、吉良を討ち取る!」

「この城に立て籠もって、城受け取りの軍勢と戦おう」

「一同腹を切り、殿のお後を追おう」

仇討ち籠城切腹と、会議は白熱する一方で、全然まとまりません。そして内蔵助はと言えば、なぜか黙ったままで何も意見しない……。

実はこれは、内蔵助はすでに仇討ちの決意を固めていたのですが、命を賭ける覚悟のある者でなければ同志にできないので、人々の心を試していたのです。そうして、城に残った金を人々に渡していくと、どんどん人数は減っていって、最後には六十一人になりました。

……赤穂城で、最後の大評議が開かれます。内蔵助は「殿さまのお後を追って、切腹しよう」と、人々にその用意をさせました。全員、白装束を着て命を捨てる覚悟。スラリと刀を抜きます。内蔵助はそれを見済まして、

「待て、切腹は取り止め」

と一言。人々は仰天して

「何だと!ご家老、我々を馬鹿にするのか」

と怒り心頭。しかし内蔵助はあくまで冷静。

「皆の者、殿様のお後をお慕いするのに、お土産を忘れてはなりませんぞ」

「はて、お土産とは?」

人々が首を傾げると、

「吉良上野介の首じゃ。殿の仇、上野介の首を持って行かなければ、我ら家臣として殿に合わせる顔がありませぬぞ」

ここで、初めて内蔵助は仇討ちの意思を示したのでした。会議⇒退職金⇒切腹、と三段階で彼らの意志の固さを試し、家臣たちをふるいにかけていたのでした。

家臣たちは内蔵助の深い考えが初めて分かり、「我ら一同、ご家老に一命をお預けいたします!」と、仇討ちの同志になったのでした。(この時は六十一名でしたが、病気や貧乏などで脱落者が出、最終的には四十七人になります)

さらば赤穂城……

大石内蔵助は、すぐさま城明け渡しの準備にかかります。受け取りに来た役人は、年貢帳から武器、わらじ一足にいたるまでピシッと整理され、城内はピカピカに掃除されているのにビックリ。

「オオ……まことに見事な城明け渡し。内蔵助殿は大した人物じゃ」

と目を見張ります。

その晩、内蔵助は内匠頭が切腹した時に用いられた短刀を握りしめ、月下の赤穂城を見上げます。

「ああ、この城を見上げるのもこれが最後……。まさか自分の代で赤穂がお取り潰しになるとは。おのれ、上野介!かならずこの恨みは晴らすぞ!」

と、心に深く誓うのでした。

内蔵助について詳しく知りたい方はこちら↓
実は小男……大石内蔵助ってどんな人?

大石内蔵助遊びまくり。仇討ち大丈夫?

さて、赤穂はお取り潰しになったので、赤穂藩士たちは全員リストラ。無職になって、赤穂から出ていかなければなりません。大石内蔵助も赤穂を出て、京都の山科へお引越ししました。

ところが!あんなにカッコよく「殿の仇を取る!」って宣言したくせに、内蔵助は引っ越したとたん、ムチャクチャ遊びまくります!

それも半端な遊び方じゃありません。超豪勢な屋敷を建て、毎晩毎晩、祇園(ぎおん)に入り浸り。芸者を何人も侍らせて飲めや歌えの大騒ぎ。五日も十日も泊りがけで飲み続けなんて当たり前!月に何度かしか家に帰りません。まさにサイテーすぎる遊び人です!

実はこれ、仇討ちを怖れた吉良上野介が、スパイをたくさん内蔵助の周辺に送り込んだので、それをごまかすために遊んでいたのです。

しかし、「吉良のスパイをごまかすため」なんて全然知らない同志たちは、この様子を見てガッカリします。

「あんな奴、もうオシマイだよ」

と、けっこうな人数が内蔵助に呆れ果てて、仇討ちを諦めてしまいました。

大石内蔵助、奥さんと別れる

吉良のスパイがなかなか諦めないので、内蔵助も覚悟を決めます。

ある日、いきなり奥さんのりくに離縁状を突き付けて、

「これ、りく。お前とは今日限り離縁するによって、荷物をまとめて里へ帰れ」

奥さん、「え!」と、ひっくり返るくらい仰天します。そこへ内蔵助のお母さんがやって来て

「これ!内蔵助、りくと離縁するということは、殿様の仇を討ち、お恨みを晴らそうとしてのことでしょう。わたくしやりく殿におとがめがあってはならないと思っているのでしょうが、そのような気遣いは無用ですぞ」

さすが、お母さんはよく分かっていますが……内蔵助は「肉親といえども、仇討ちの本心をバラしてはならん」と用心しているので

「いえいえ、仇討ちなんて全然考えていません。さっさと離縁して、好きなだけ遊びたいのです」

とどこまでも空とぼける。これにはお母さんもついにキレます。

「ええい、不忠者!このようなろくでなし、もはや子とも思いませぬ!」

こうして、奥さんのりく、年取った母親、小さい子供たちは全員、奥さんの里へ出ていったのでした。

長男の大石主税(ちから)はこのとき十四歳。ですが、この主税は四十七士の一員(最年少です)でしたから、お父さんの内蔵助と一緒に討ち入りに参加することになります。

がんばれ義士たち!吉良を探れ!

内蔵助が遊びまくってる一方、他の義士たちは実に生真面目に吉良の様子を探るのに苦心していました。その苦労は実に痛ましく、語るに涙……。ここでは代表的なものを三つご紹介します。

杉野十平次(すぎのじゅうへいじ)蕎麦屋になって、吉良邸の回りを売り歩く。そのうち、吉良邸の門番と仲良しになった十平次は、「水をくれ」と言って、邸内に忍び込むことに成功した。

前原伊助(まえばらいすけ)は吉良邸の真ん前に小間物屋の店を開店(米屋の場合もある)。そこをアジトにして、吉良邸に出入りする人物をチェックしていた。

堀部安兵衛(ほりべやすべえ)は、吉良の顔を知るために、ある日吉良の駕籠(かご)の前に飛び出す。吉良が「何者か」と駕籠から顔を出したので、「上杉家の家臣でございます。御挨拶を……」と手をついて、吉良の顔を見ることに成功した。

この他にもホントに色々あるのですが、長くなるので省略。とにかく義士たちは苦労したんです!

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堀部安兵衛、生涯に仇討ち三回!忠臣蔵の大立者

全員江戸集結

さて、内蔵助が妻子と離別して、しかもその後もメチャクチャ遊びほうけているので、吉良のスパイたちも

「こいつは心底から女好きなんだよ……。かなりヤベー奴だよ、見るに堪えないぜ」

と判断して、吉良に「大石は仇討ちの決心はありません」と報告。江戸に帰っていきます。

これを知った内蔵助、「よし!これで安心して江戸へ行けるぞ」と思い切り、京都や大阪に散っていた同志たちに連絡します。

「全員江戸に集結!十月までに江戸へ集まるぞ」

内蔵助も山科の屋敷を引き払い、垣見五郎兵衛(かきみごろべえ)と変名を使って、江戸へ入ったのでした。

やったぞ、絵図面ゲット!

四十七士全員集まったはいいですが……肝心な問題がまだ未解決でした。

吉良邸って物すごく広いので(学校二つ分くらい)、地図が必要なんです。いざ討ち入っても、肝心の上野介がどこら辺にいるのか目星がつかないと、どこへ行ったらいいのか分かりません。下手したら逃げられます。

この「絵図面問題」を解決したのは、岡野金右衛門(おかのきんえもん)という義士。まだとっても若い二十三歳。大変な美青年だったそうです。

この岡野金右衛門のことが好きになってしまったのがお艶(つや)という娘、十七歳。このお艶、吉良邸を建てた大工の娘だったのです。これを知った義士の神崎與五郎(かんざきよごろう)が、

「あの娘の家には、吉良邸の絵図面があるはずだ。娘を口説けば、絵図面を持ってきてくれるだろう」

と岡野を説得します。岡野は真面目な性格で、騙すのは大変気が引けたのですが……討ち入りの成功はこの一事にかかってます。しぶしぶ引き受けて、お艶から絵図面をゲットしたのでした。

涙……家族と別れる義士たち

大高源吾(おおたかげんご)が、吉良邸で茶会が開かれることを聞きだし、十二月十四日に吉良が確かに在宅していることが分かります。

「十二月十四日に決行す!皆の者、身辺整理せよ」

大石内蔵助が全員に指示を出し、義士たちは家賃を払ったり、店を開いていた者は店仕舞いしたり……。死んだ後に面倒が残らないようにします。また、残る家族に遺言状(暇乞い状)も書きました。家族が江戸に住んでいた者は、別れの挨拶に行きます。

この「義士の家族との別れ」で有名なのが二人います!ここではその話を簡単に紹介します。

赤垣源蔵(あかがきげんぞう)(赤垣は芝居の名前。本名、赤埴。「あかはに」と読みます)はたいそう仲の良い兄がおり、別れを告げに言ったが、あいにく留守にしていた。しかたがないので床の間に兄の着物をかけ、その着物の前に土産の酒を置いて、涙ながらに別れを告げた。

勝田新左衛門(かつたしんざえもん)は義理の父と、妻と幼子がいた。父は「お前は仇討ちをするつもりなのだろう。隠さずに言ってくれ!」と尋ねるが、「親兄弟にも隠す」と誓っていたので言えない。とうとう怒った父は「出ていけ」と怒鳴りつけ、新左衛門は妻に「父上と坊やを頼むぞ」とだけ言って出ていった。

名場面です!日本人なら、この別れのシーンではぜひ泣いてください!

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上野介覚悟!いざ討ち入り!

いよいよ、十二月十四日!義士たちはかねてから集合場所に決めていた蕎麦屋(史実では、堀部安兵衛と杉野十平次の借宅)に集まり、きりりと討ち入り装束に着替えます。

「いざ、討ち入りぞ!万一にも吉良を討ち漏らしたるその時は、屋敷に火をつけ、猛火の下で一同、割腹のこと!」

大石内蔵助がカッコよく宣言して、四十七士は出発。吉良邸へと走ります!外は大雪、四十七士は二手に分かれ、表門と裏門へ回りました。

ドーンドーンと内蔵助が陣太鼓を打ち鳴らし、表門の者たちはそれッと縄梯子で邸内へ潜入!裏門の者たちは門を打ち破って、いっせいに躍り込みました!吉良邸には用心棒が四人いたのですが、

〇堀部安兵衛が清水一学(しみずいちがく)を討ち取り、

〇大石主税が鳥居理右衛門(とりいりえもん)を討ち取り、

〇武林唯七(たけばやしただしち)が和久半太夫(わくはんだゆう)を討ち取り、

〇堀部弥兵衛(やべえ)と堀部安兵衛父子が小林平八郎を討ち取りました。

さあ、大詰め!後は仇上野介を探すばかりです。ところが、いざ寝所に入ってみると……布団はもぬけの殻!

「やや!吉良のじじいがいない!」

全員真っ青。あわてて探し回ります。と、外の炭小屋からヒソヒソ人の話し声。ここか!と間十次郎(はざまじゅうじろう)と武林唯七が躍り込み、そこに隠れていた吉良を引きずり出しました。

「吉良殿。我ら旧浅野家臣、四十七人、殿のお恨みを晴らさんと、今宵推参(すいさん)。いざ、ご自害なされ!」

内蔵助が短刀を差し出しますが、吉良は黙ってるだけで切腹しません。「卑怯!」と内蔵助がグサリ。間十次郎が首を落として、ついに殿様の仇を討ち取ったのでした!

日本晴れの引き上げ

さあ、四十七士の引き上げです。さしもの大雪も今は止み、日本晴れの朝です。

吉良の首を白布でくるんで槍に引っ掛け、江戸の街中を堂々と泉岳寺(せんがくじ)へと歩きます。泉岳寺の、殿様のお墓の前に仇の首を備えるのです。

約十キロの道のりを歩き通し、四十七士は殿さまのお墓の前に集まりました。

「殿、お慶びくださいまし。ただ今、仇を討ち取って参りました!」

と、内蔵助が申し上げ、義士たちはいっせいにワアッと泣き出します。それから、内蔵助が一番、間十次郎が二番、武林唯七が三番……という順で、皆線香をあげたのでした。

芝居と講談はここまで!この後、四十七士は全員切腹となり、泉岳寺に葬られるのです。

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火