【忠臣蔵】吉良のいじめってどんなのがあったの?有名エピソード2選

2021年10月8日

忠臣蔵前半の見どころ(?)と言えば、吉良上野介(きらこうずけのすけ)が浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)をメチャクチャいじめまくってる場面。

吉良は超有名なイジワルじじい。生真面目な内匠頭を、「あいつはワイロを持ってこなかった」というサイテーな理由で、これでもかってくらいイジメまくります。そのイジメ方も、尋常じゃありません!……だから最後は内匠頭もキレて「この野郎、死ね!」と刀を抜いてしまうわけですが……。

では、いったいどんなイジメがあったのでしょうか?このページでは、有名なエピソードを中心に紹介します。

吉良が内匠頭をイジメた理由

時は江戸の元禄時代。趙が三つつくくらい生真面目な大名、浅野内匠頭は、朝廷からの使者をおもてなしする役目(ご馳走役といいます)を、老中から言いつかります。

「朝廷の難しいしきたりはよく知らないし、無理です!」

と断る内匠頭ですが、今も昔も、上司は下っ端の言うことなんか聞いてくれません。

「しきたりについては、その道に詳しい吉良上野介に教えてもらえ。とにかく頼んだからね」

と、一方的に決めつけられてしまいます。こうして、内匠頭は吉良にいろいろ教えてもらいながら仕事することになったのですが……。この時、取り返しのつかない事態が起きてしまいます!

内匠頭はとっても真面目な人。しかも結構田舎者でしたから、吉良に「どうぞよしなに」とワイロを持って行かなかったのです!吉良はこれに大激怒。

「おのれ、田舎大名め!わしにワイロを贈らないとは不届き千万じゃ!とことん嫌がらせしてやるから覚えておれ!」

……となってしまったのです。

実は、元禄時代の江戸城内は、ワイロが横行しまくっていたのです。何か仕事する時は、まずワイロを届けてご機嫌取り。

しかも、吉良上野介はワイロを無茶苦茶むさぼっていたことで有名人!当時のいろんな大名の日記にも、

「吉良の欲張りを知らない人はいない。過大なワイロを平気で受け取るし、いけしゃあしゃあと欲しい品をせびり取る」

と書いてあるほど!こういうじいさんにワイロを送らなかったので、内匠頭はこの後イジメぬかれることになるのです。

有名エピソード1、精進料理

吉良が行ったイジメ、第一号。これは講談や芝居で有名なエピソードです。

いよいよ朝廷の使者の人たちが江戸にやって来る!という時のことです。

「おもてなしの料理は何を出しますか?」

という内匠頭の素朴な質問。吉良の答えは

「では精進料理(しょうじんりょうり。法事とかに食べる、魚や肉を使わないやつ)を出しなさい」

内匠頭は「え?そうなの?」と首をひねります。「そんな葬式用の料理でいいわけ?朝廷から来る人たちに……」と疑問でなりません。でもまあ、吉良の言うことを聞けって言われてるからなあ、と考えて、その通りに用意します。

が、家来の堀部安兵衛が気の利く男だったので、「いえ、殿様。晴れの日に精進料理とはおかしゅうございます。吉良殿が間違っているかもしれません。普通の料理も用意しておきましょう」と進言。二通りの料理を用意することに。

さて、当日!吉良は内匠頭が用意した精進料理を見るなり、

「何じゃこれは!」

ととわめき放題。「お指図通りの精進料理で……」と内匠頭が言うと、

「だまらっしゃい!わしは生物料理(しょうぶつりょうり)と言ったのだ。それを精進料理と聞き間違えたのだろう。晴れの日に見るも忌まわしい精進料理とはもっての外!何も分からん田舎侍が!これでは大役はつとまらんわい。さっさとやめるがよかろう!」

と悪口のオンパレード……。この後、内匠頭は「もう一つ用意しております」と普通の料理を見せ、これはケチのつけようがなかったのですが――吉良はこの後も、内匠頭が用意した屏風(びょうぶ)をけっとばしてケチをつけるわ、家来にまでイチャモンつけるわ、とにかくひどかったのです!

有名エピソード2、畳替え

吉良のいじめパート2!これも講談や芝居に伝わるエピソード。

今回も内匠頭が

「使者の方たちが泊る宿の畳(たたみ)は、新しいものに変える必要がありますか」

と質問。吉良は「変える必要なし」と答えます。内匠頭は安心して変えないでいたのですが……この時も機転を利かせたのは堀部安兵衛

「伊達家も同じご馳走役だから、畳を変えてるか変えてないかカンニングに行こう」

とこっそりチェック。すると!伊達家の宿からは、新しい青畳の臭いがぷんぷんするじゃありませんか!

「ああ!畜生!騙された!」

あわてて帰った安兵衛は、すぐさま内匠頭の報告。内匠頭は真っ青です。吉良が宿のチェックに来る日は明日。変えなきゃならない畳は二百枚以上あるのです!

「どうしよう……間に合わぬか」

とオロオロする内匠頭。でも、この時も安兵衛が「ご安心ください!」と励まします。「江戸じゅうの畳屋を引っ張ってきて、何とか今晩中に全部変えます!」

すぐさま馬に乗った安兵衛、江戸じゅうの畳屋にお金をバラまき、家中の武士たちも総動員で畳替えを開始。畳屋が必死に畳を張り替え、武士たちが畳を抱えて走り回り、ついに朝までに二百枚以上の畳を全部変えたのでした!

翌朝、畳チェックに来た吉良上野介。

「金に糸目をつけねば、何事もうまく行くものでござるよ」

と、このときもネチネチと嫌味を言ったそうです。

史実に伝わる吉良のいじめ

「精進料理」「畳替え」は、いわゆる巷(ちまた)説。なので本当にあったかはハッキリしません。でも、畳替えについて言えば、義士の残した手紙の中に同じ内容が書いてあったので、おそらく本当です。

ハッキリと分かっている吉良のいじめは、最も多かったのが「悪口」です。それも半端じゃなかったそうで……。当時、武士たちの間では「面と向かって悪口を言うのは、殺人罪と同じくらい酷い侮辱」と考えられていました。悪口を言われたのに黙ってやり過ごした武士なんかは、「情けない奴」と、きついおとがめ(城から追い出されるとか)を受けたという例もあります。なのに吉良は、周りに超身分の高い人が大勢いる前で、内匠頭に悪口を言いまくったそうです。

それから、「時間を騙した」というイジメ。吉良は勝手に儀式の時間を変更し、その時間を内匠頭に伝えず、恥をかかせたりしたそうです。

吉良は内匠頭の上司じゃない!

よく最近のマスコミで言われるのが、「吉良は内匠頭の上司的な存在だったから、内匠頭がヘマをしたら吉良の責任になる。だから内匠頭にそんなにひどいイジメなんかしなかったはず」というもの。

でも、実はこれは大間違いです!吉良は内匠頭の上司じゃありません!吉良は幕府から「ご馳走役の内匠頭にアドバイスしてください」と頼まれた、いわゆるアドバイザー。内匠頭がヘマをしようが何をしようが、何の責任もありません。

しかも、吉良は「高家(こうけ)」という特別な身分でした。高家とは、織田家、太田家など、ヤバい位の名家に名づけられた特別なグループのことです。吉良なんか特に身分が高くて、ご先祖はなんと足利将軍家です!

つまり、吉良は徳川将軍家も遠慮しなきゃならないくらいの家柄。将軍家から特に頼まれて「内匠頭にアドバイスお願いしますよ」って言われてる立場。だから、その気になれば内匠頭なんかイジメたい放題だったのです。

他にも被害者が!証拠のお手紙

実は、吉良にイジメられたのは、内匠頭だけじゃありませんでした!

伊予の大名、加藤遠江守(とうとうみのかみ)や、戸沢下野守(とざわしもつけのかみ)も、その気の毒な被害者です。彼らは現在いじめられている内匠頭を案じて

「自分も去年、日光御社参の折、吉良から言語を絶する振る舞いを受けた。何事も御用を第一大切に考え、忍耐をなさるように」

「自分も吉良を斬ってしまおうかと思ったが我慢した」

という忠告の手紙を送っています。「言語を絶するイジメ」って、どんなものだったのか……。たぶんすごかったんです。

それから、吉良の親戚も気の毒な被害者!吉良の息子は上杉家の養子になっていたのですが、それをいいことに吉良は上杉家にたかり放題。そのおかげで上杉家は経済破綻寸前に追い込まれてしまったのです。

吉良の娘の嫁ぎ先(津軽家の分家)も嫌がらせを受けてます。せっかくお正月に御馳走をふるまったというのに、「新潟のコメはうまいが、津軽のコメはまずい」と暴言を吐いたんだとか……。

性格悪すぎです!

やっぱり吉良はやな奴だった!

さて、吉良のいじめエピソードをいろいろ紹介しました。

最近は吉良の領地の吉良で、塩田とか土手を作ったことを例に挙げて「吉良は名君だった!」と言われていますが、これは大間違いです。ハッキリ言って、領主なんだから、領地の塩田や土手を作るのは当たり前です。当時の他の領主も、そうした財政に力を入れています。領地の外でいじめをしまくってたら、それは名君なんかじゃありません。

何が言いたいかと言いますと……つまり吉良はやっぱりヤな奴だったのです!

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火