【曾我兄弟】曽我五郎は元祖ブラコン。暴れん坊の仇討ち人生を詳しく解説
富士の裾野の大仇討ち!わずか五歳と三歳で父を殺された兄弟、曽我十郎と五郎は仇討ちを決意。苦節十八年、艱難辛苦の末に、ついに仇、工藤祐経(くどうすけつね)を討ち取ったのでした!
鎌倉時代に起こったホントの話です。この後、十郎は斬り死に。五郎は仇討ちをした罰として処刑されちゃうのですが。
さて、この兄弟、日本一仲が良かったことで有名です!十郎は優しく知的、五郎は短気で乱暴者。正反対の性格ですが、それぞれ味があります。このページでは、弟の五郎の人生と性格について紹介します!
曽我五郎の性格は?
五郎はとにかく短気です!こんな気の短い男も珍しいんじゃないかと思うほどで、常に導火線に火をつけてる爆弾みたいなやつです。子供のころから乱暴者でしたが、大人になると手が付けられません。武士だから凶器を常に携帯。キレると刀を振り回すし、弓矢で射殺そうとするし……。
手も早いですが、口も悪いです。学問はサボりまくってたくせに、悪口雑言にかけては立て板に水です!気に入らない奴がいると、面と向かってベラベラと、しかもすごい大声で悪口言い放題!……こんくらい悪口言えたら気持ちいいだろうなあ……って思っちゃうほどです。
――これだけでも十分キャラの立つ男ですが、五郎の一番の特徴は何といっても「お兄さんへの愛が熱い!」ということです。五郎はとにかく十郎が好きでしょうがない奴です。子供のころからその傾向がありますが、大人になるとさらにヒートアップ。どこへ行くにも十郎について行き、ちょっと離れると「寂しかった」と愚痴を言います。どんなにキレて暴れていても、十郎に「落ち着け」と言われるとすぐにクールダウン。
曽我兄弟は何気に腐女子に人気のあるお話なのですが(最近知った)、それも納得ですね。この五郎の十郎への愛はフツーじゃありません。二十歳の若さで女には一切興味がなくて、ひたすら十郎に「死ぬ時は一緒に」と毎日繰り返すという熱烈ぶり。これは禁断のロマンを感じますね。
お兄さんの十郎について詳しく知りたい方はこちら↓
曽我十郎ってどんな人?曽我兄弟のお兄さん、分かりやすく解説!
曽我五郎の容貌は?
五郎は怪力の持ち主です。曽我物語には「五郎の怪力エピソード」が満載ですが、その怪力にふさわしく、五郎は背が高くて筋肉質、大男だったようです。また、血の気の多い男なので色は常に真っ赤だったとか。
十郎や仇の祐経(すけつね)の証言によれば「五郎はなき父親にそっくり」とのことなので、顔は父親にだったと思われます。父親の河津三郎は「いかつい顔で角ばっていた。目は鷹のようだった」という容貌の持ち主。おそらく五郎もこういう顔だったのでしょう。
五郎が着ている衣装で有名なのは、「蝶の模様が三つ四つ入った衣装」です。これだけ聞くと何だか可愛らしいですが、上の絵を見て頂ければわかる通り、意外とシブいです。これは仇討ちした時に来ていた最後の衣装。普段は貧乏だったので、見苦しいくらいボロイ服だったみたいです。
曽我五郎の家族関係
五郎の人生を説明する前に、ちょっと家族関係を語らせていただきます。けっこう登場人物が多いので……。
- 曾我十郎祐成(すけなり) 五郎のお兄さん。五郎がぶっちぎりで好きな人。
- 曽我五郎時宗(ときむね) 本人だよ。
- 河津三郎祐泰(かわずさぶろうすけやす) 兄弟の実のお父さん。殺されちゃったよ。
- 満江(まんこう) 兄弟のお母さん。五郎と性格そっくり。すぐキレる。
- 曾我太郎 兄弟の義理のお父さん。ビンボー人。
- 伊東祐親(いとうすけちか) 兄弟のおじいさん。超金持ち。戦で死んじゃったよ。
最低限の家族だけでこれだけいるんですね~。このほかに、異父兄弟とか親戚諸々、ウジャウジャと肉親が登場するのですが……。まあ、これだけ知ってれば問題ないです!
兄弟のおじいさんは伊豆の伊東を全部持ってる、超が三つくらいつく大金持ちです!お父さんの河津三郎は、伊東の河津を支配してる、やっぱり金持ち武士。何しろ伊東一族といったら日本史の教科書に出てくるくらい大勢力だったんですよ。
つまり、兄弟は武士の中でもスーパー金持ちだったのでした!でも、お父さん殺されます。おじいさんも死んじゃいます。兄弟が引き取られた先は曽我家の太郎さんち。
だから、おじいさんは「伊東」、お父さんは「河津」、兄弟は「曽我」。み~んな名字が違うんです。ややこしくてすみません!
ざっくりと!曽我五郎の生涯
曽我兄弟は短命です。兄は二十二、弟の五郎は二十歳で死んじゃいます。でも、その分、ムチャクチャ熱い人生ですよ。では、始まり始まり……。
三歳で父が死亡。曽我の家に入る
上でちょっと書いた通り、五郎の産まれたおうちはお金持ちです!現在、伊豆半島で「河津桜」(ピンク色でキレーな桜)が有名な観光名所、河津はみんな五郎のおうち!海の幸、山の幸豊富……。
ですが、ある日突如として信じられない不幸が。お父さんの河津三郎が、いきなり殺されたのです!狩りの最中、飛んできた矢でグサリと……。犯人は工藤祐経(くどうすけつね)。前々から領地問題で恨みを持っていて、この日殺害におよんだのでした。
大黒柱を失った一家は、もう暮らしていけません。母と二人の子供たちは泣く泣くお引越し。曽我(現在の小田原辺り)へ行って、お母さんはそこの曽我太郎(お母さんの従兄弟に当たります)と再婚することに。
この時、五郎はわずか三歳。幼名は箱王(はこおう)といいました。わずか三歳の子供に、父が死んだことなどハッキリわかるはずもなく、全然記憶がないままに「お父さん死亡」「領地失う」「新しいお父さんができる」と、どとーのように人生が変わっちゃったのでした。
曽我の家でイジメまくられる
お父さんが死んで、引っ越しした時まだ三歳だった箱王は、ホントのお父さんのことなんて全然記憶にありません。かなり長い間、曾我太郎をホントのお父さんだと思ってました。
でも、幼心にも色々疑問に思うことが……。ホントの曽我の子供じゃない箱王と、お兄さんの一萬(いちまん。その後の曽我十郎)は、曽我の居候に過ぎません。召使からさえもメチャクチャにいじめられる毎日。しかも、お母さんと曽我太郎の間には、何人も子どもができましたから、ますます兄弟二人は厄介者扱い。近所の子供たちからも笑われます。
箱王が、自分の生まれをはっきり知ったのは六歳の時だったと、曽我の伝承に伝えられています。近所の悪ガキに「やいやい、曽我の貰われっ子め!」と罵られてびっくりした箱王。家に帰って兄に問いただすと、
「箱王、それは本当のことだ。我らの本当の父上は殺されてしまったのだ」
と、一萬に教えられたのでした。哀れな兄弟は「自分たちがこんなひどい目に遭うのは、すべて祐経が父上を殺したからだ」と嘆き、
「いつか必ず父上の仇を討とう」
と決心したのでした。
十一で山寺にぶち込まれる
お兄さんの一萬は、十三歳で元服式を迎えました。ですが、この時、お母さんの満江はとんでもないことを考えます。
「十郎はおとなしいから問題ないが、弟の箱王は生まれついての乱暴者。このまま、兄弟二人揃って武士になったら、本気で仇討ちしようとして殺されるかも……。そうなったらこの曽我の家も幕府からおとがめを受けてぶっ潰されてしまうかも」
こう考えたお母さん、何と箱王を箱根の山寺にぶち込んでしまいます!坊さんにしてしまえば、仇討ちすることはできません。
親の言いつけは絶対の時代。箱王はムリヤリ寺に入れられて、そのまま六年間もおうちへ帰れませんでした。最愛の十郎とも引き離されてしまい、毎日、朝晩箱根権現に
「一日も早く曽我へ帰れますように」
と、泣く泣くお祈りするのでした。
箱根脱走!無断で元服
箱王、十七歳の夏。突然師匠の坊さんが
「明日、出家の式をするからね。頭を剃るよ」
と宣言。「えッ!」と仰天した箱王、「よし、逃げよう」と即決。夜陰に紛れて脱走します!箱根から曽我まではかなりの距離があるのですが……超健脚の箱王なら大丈夫なんです!
何と夜明け前には十郎の家に到着!ワープでもしたのか?ってくらいのスピードです。「兄者人、コレコレしかじかで逃げてきました」と手短に説明。
「しかし、わたしは坊主になりたくありません。兄者人と一緒に父上の仇を取りたいんです」
すると、この兄もまた決断が早い早い。
「よし、箱王。夜が明けたら大騒ぎになるだろうから、バレないうちに元服してしまおう!この兄に任せろ!」
と、その場で馬を駆って北条時政(ときまさ。北条政子のお父さんで超エライ人)の家に押しかけます。この人に頼み込んで、その朝の内に元服式を済ませたのでした。
こうして、兄弟の名は「曾我十郎祐成(すけなり)」「曾我五郎時宗(ときむね)」と揃ったのです。この後、兄弟は「曽我兄弟」と呼ばれます。
キレたお母さんに勘当される
さて、五郎は「将来坊さんにする」予定だったのが、「勝手に武士になった」わけです。このことを知ったお母さんは大激怒。
「この愚か者め!どこへでも足の向くまま行ってしまうがいい!二度と子とは思わぬ。さっさと出ていけ!」
と、親子の縁を切られてしまいます。五郎はムチャクチャ泣いて、「たった一人の親に憎まれるのは辛い」と嘆きまくりまくりましたが、そこはちゃんとお兄さんが慰めてくれます。
「お前にはいつも兄がついているぞ。五郎、お前はもう箱根には戻らないのだから、兄と共に住もう。我らは生涯離れまいぞ」
というわけで、五郎はこの後死ぬまでの三年間、兄と二人暮らしをすることになります。
いよいよ仇討ち出発!その前に勘当を解いてもらう
十郎が二十二、五郎が二十歳の年。将軍源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを行うことになりました。この時の情報を入手したのは五郎です。(世の中のニュースを即キャッチするのが特技)
「吉報だ!富士の裾野で巻き狩りがある。祐経も同行するぞ。兄者人、狩場なら殺りやすい。すぐに行こう!」
もう二度と帰らない、という覚悟を決めて、曽我を発つことにした兄弟。でもその前に、五郎の勘当を解いてもらうことにします。
「兄様、死ぬ前に、一度でよいから母上に、わたしも自分の子だと言ってほしいのです」
「よし、分かった。ではすぐに行こう。勘当を解いてもらおう」
こうして二人は、勘当を解いてもらうべく曽我の館に向かいます。五郎のために、十郎は必死になってお母さんを説得。
「五郎は一度はお心に背きましたが、孝行を尽くしております。形こそ僧侶にはなりませんでしたが、父上のために心から念仏を唱えております、母上……」
十郎の理路整然とした説得に、さしもの強情なお母さんもついに納得。「されば、五郎を許しましょう」と折れます。山寺に六年、勘当されること三年――五郎が曽我の家に入れてもらえたのは実に九年ぶり!ようやくお母さんに会うことが叶った五郎は嬉しすぎてものも言えません。兄弟抱き合って、うれし泣きに泣くのでした。
この「勘当を解いてもらうエピソード」は、「曽我物語真名本」から。曽我物語は何パターンかありまして、「仮名本」、「流布本」「講談」「歌舞伎」と、それぞれ違うお話があります。五郎とお母さんが超言い争うとか、五郎がお母さんにメチャクチャ罵倒されて泣きむせぶとか……。もっと詳しく知りたい人は、また別のページで紹介するから楽しみにしててね。
巻き狩りで祐経を追い詰めろ!
富士の巻き狩りにやってきました!兄弟は狩場を駆け回って、仇祐経を探します。しかし、狩りに参加する人数は六万人!その中を探すので容易じゃありません。全然見つからないまま日数がたち、ついに狩りの最終日の三日目……。
「明日には祐経は鎌倉の館に帰ってしまう!今夜のうちに倒さねば、もう機会はないぞ!」
兄弟二人覚悟を決め、夜になったら祐経の宿へ押し寄せることにしました。
深夜。突如空は真っ暗になり、ものすごい豪雨となります。雷が鳴り響き、天地がひっくり返ったような大嵐です。二人は祐経の館に忍び込み、祐経を叩き起こして、ついに見事バッサリと斬り倒しました!五郎は物凄い大力だったので、祐経を斬った時、力があまって、その下の畳を切り裂き、刃の先が床板まで達したんだとか……。
十郎が死亡。五郎からめとられる
祐経を倒した後、兄弟は押し寄せてきた武士たちと斬り合います。この時、不幸にして最愛の兄、十郎が斬り死にしてしまいました。十郎は最後まで弟の名を叫びながら息を引き取ります。五郎は兄の死骸に取りすがって、狂ったように泣き叫びます。
しかしこの時、卑怯な武士、堀藤次(ほりのとうじ)が「五郎はどこへ逃げるか。兄を見捨ててどこへ行くか」と嘲ったので、五郎はブチ切れます!まるで鬼のよーな形相で掘藤次を追跡!「ひー!助けてくれ!」と、堀藤次が将軍の宿へ飛び込むと「ふざけるな!待て!」と五郎も飛び込む!
この時、御所五郎丸という大力の若者が女の着物をまとって後ろから忍び寄り、がバッと五郎に組み付いて「さあ、捕まえたぞ!神妙にいたせ!」と叫んだのですが、五郎はものともしません!五郎はさらに上を行く怪力。五郎丸をずるずる引きずって
「ええい、どいつもこいつもぶっ殺してやる!」
と猛り狂っていたのですが……ここで、ついに命運つきます。あんまり暴れたもんで、床板が外れたのです(あんがい安普請だったんですかね?)。「アッ」と叫んで庭に転げ落ちた五郎。またたく間に五、六人の武士たちに押さえつけられ、ぐるぐる巻きにからめとられてしまったのでした。
ついに首を斬られる
捕まった五郎、次の朝、将軍頼朝の前に引き出されます。
頼朝は「寵臣の祐経を殺した憎い奴」と思って、かなり切れていたのですが……この時、五郎があまりに堂々とした態度だったので、感動してしまいます!この時の五郎と頼朝の会話が、曽我物語の見どころ。
頼朝「五郎、今回祐経を斬ったのは、今思いついたことか。それとも以前から計画していたことか」
五郎「随分、考えの浅いことをおっしゃるものだ。以前から狙っておりました。兄が九つ、わたしが七つの年から思い定め、機会を狙っておりました」
頼朝「なぜ、罪もない侍どもも多く斬ったか」
五郎「将軍のおひざ元でこれだけのことをつでかすからには、千万もの侍を斬ってやろうと覚悟しておりました。しかし、まともに斬り合いもせぬ奴ら。わずかに肩先を斬ってやっただけです」
頼朝「なぜ、我が陣屋まで斬り込んだか。この頼朝の命も狙っておったのか」
五郎「もちろん、恨んでおりましたとも。日本一の将軍を冥途の供とすれば、さぞかし愉快だろうと思っておりました」
ホントはもっと長いのですが、とりあえずここまで!この後、色々あって、頼朝は五郎を惜しんだのですが、「仇討ちをした者は死刑」という決まりがあるので、五郎は斬首とされてしまいます。でも五郎は
「兄様が五郎を待っている。我らは死ぬ時は一所と誓った仲。こうして一瞬たりとも離れていることは耐えがたい。早く首を斬れ!」
と叫んで、自ら死刑を望み、カラカラと高笑いして討たれたのです。
曽我五郎の持ち物は?
これだけあれば、あなたも五郎になれる?五郎が持ってるグッズを紹介します!
蝶の模様の衣装
五郎が討ち入りするとき来ていた衣装です。蝶の模様が三つか四つくらい入ってる小袖です。
刀
五郎が持ってる刀は、フツーの太刀じゃありません。えらく怪力だったので、天秤棒のように長い刀を持っていました。(講談によるとそう書いてあります)
扇
仮名本の曾我物語では、五郎が十郎の笛で舞う場面があります。このとき使ってるのが「金地に日輪」の扇です。日の丸の白いところが金色という、けっこう派手な扇ですね。
法華経の経本
箱根の寺で念仏を教わったので、経本を持ってました。でも、お勉強をサボって剣術ばっかりしてたので、念仏はヘッタクソでした。一応、武士になった後も父親の供養のために念仏を唱えてたそうですが……念仏の中でも一番短い法華経だけです。
曽我五郎怪力エピソード
曽我五郎は半端じゃなく怪力です!ここではその怪力エピソードを四つご紹介します。
五郎、松の木を引っこ抜く
これは講談で有名なエピソード。五郎が元服した時、名付け親(元服式で大人の名前を付けてくれるエライ武士)の北条時政が
「五郎殿、そなたは力が強そうだ。一つ、庭に生えてるあの松の木を引っこ抜いてみてくれ」(これは「枝を折ってみてくれ」というパターンも)
と、トンデモナイ注文。しかし、相手は五郎です!裸足で庭に駆け降りるや、「エイッ」と掛け声勇ましく、松の木をメリメリと引っこ抜いてしまったのでした!
五郎、力比べをする
これは仮名本の曾我物語エピソード。ある時、十郎がピンチに見舞われます。酔っ払い武士八十人に囲まれて嫌がらせの数々。下手したら殺されちゃうかも……。そこへ、五郎が「兄者人の一大事!」と助けに来ます!
そこでまあ色々ありまして、中でも大力の武士朝比奈三郎(あさひなさぶろう)と力比べをすることになったのです。五郎が太刀を杖に突っ立ち、朝比奈三郎は五郎の草摺(くさずり。鎧の裾のところ)をつかんで「えいや、えいや」と引っ張る。
朝比奈は必死に頑張るのですが、五郎はビクともしません!とうとう草摺がブッツリ切れて、朝比奈はコロコロと転がってしまったのでした。
五郎、御所五郎丸を引きずる
これはどの曾我物語にも書かれてるエピソード。仇祐経をやっつけた後、将軍の宿へ飛び込んで行った五郎。後ろから七十五人力というトンデモナイ大力の若者、御所五郎丸が
「得たりや、おう!」
と五郎に組み付きました。しかし五郎はその上を行く怪力の持ち主!「ええい、うるさい!」と、背中に五郎丸を組み付かせたまま、ずるずると引きずって歩いて行ったのです。
これには五郎丸も冷や汗……。「誰か来てくれ~!」とヘルプを呼び、人海戦術でやっと五郎を捕まえたのでした。
五郎、大岩を投げる
これは曽我の土地に伝わってる伝承。ここには「五郎の投げ石」と呼ばれる大岩が、いくつか山の中に点在しています。
この大岩、もともと一つの岩だったのですが、ある日五郎が力試しにこの岩を持ち上げて、山の上から「エイッ」と投げつけたところ、バラバラになってあちこちに飛んでいったんだとか。……ここまでいくと人間離れしてるような……。
五郎と十郎仲良しエピソード
五郎はお兄さんの十郎ととにかく仲良しです!生涯に一度も兄弟喧嘩をしたことがないとすら言われてます。ここでは有名どころの仲良しエピソードを紹介。
二人で雁を見て泣く
これは子供時代の一萬と箱王エピソード。ある秋の夜、二人は月を眺めていたのですが、五羽の雁が仲良く飛んでいくのを見て
「ああ、鳥ですら親子揃って飛んでいくのに、我らには父がない……」
と、二人抱き合って泣いたのでした。
これはむか~しの講談本の表紙。ちょっと古びすぎててすみません。
いつも一つの布団で寝る
これも子ども時代エピソード。この二人、仲が良すぎて毎日一つの布団の中で寝ていたと書いてあります(真名本、仮名本曽我物語)。
近所の人に噂される
五郎、箱根脱走後のエピソード。この二人、常に一緒でどこへ行くにも二人並んで歩いてました。そんな仲良し兄弟はご近所でも有名人。
「的矢のごとき(的と矢のように一体という意味)二人」
とか
「五郎は身に添う影のごとき(体にくっついて歩く影のようにという意味)」
とか言われてました。……「影のごとき」と言われてたのは、弟だから兄の後ろに控えているという意味の他に、おそらく五郎が色黒なのも含まれてたと思われます。
走れ五郎!十郎救出!
「曽我五郎の怪力エピソード」で少し紹介しましたが、ある時十郎が大磯の宿屋でトンデモナイ目に遭いました。その日たまたま、十郎が泊っていた宿に、八十人もの武士たちが泊って酒宴を開いたのです。べろべろに酔っぱらった武士たちは
「この宿に曽我十郎祐成もいる」
と聞いて、十郎を無理矢理酒宴に引っ張り込む。しかも酔っ払いにありがちな嫌がらせの数々……。全員凶器を持ってますから、下手に怒らせたら八十対一人。絶対殺されます!十郎絶体絶命です!
この時、家で留守番していた五郎が謎のテレパシーで十郎のピンチを察知。「兄者人が危ない!助けに行かなければ!」と、裸馬に乗って風のように駆け付けたのでした。
五郎、十郎の死骸を抱いて泣く
……これは胸の痛むエピソードですね。十郎が斬られてしまった後です。十郎は斬られた瞬間、必死に五郎を探しましたが大雨の中。しかも五郎は離れたところで戦っていたので、姿が見えません。
「五郎はなきか!祐成は新田四郎に討たれる……」
と弟の名を叫んで死亡。これを聞いた五郎は狂ったように十郎の元へ駆けつけます。まだ周りには大勢の武士たちが刀を振り回して、自分を殺そうとして押し寄せてくるのですが、五郎は刀も投げ出して兄の死骸にすがり付き、大声上げて泣いたのでした。
五郎、十郎の首実検で泣く
ここはまさに曽我物語のハイライトシーンです!裁判にかけられた五郎の前に、「お前の兄、十郎は確かに死んだのか。これより首実検を行う」と、十郎の首が引き出されてきます。
五郎はそれまで堂々とした態度で将軍の質問に答えていたのですが、十郎の首を一目見るなり、がっくりとうなだれて子供のように泣き出します。
「なぜ先に行く、兄者人。この世に我らより契り深い兄弟はあるまいに……」
となく五郎の姿に、周りの武士たちも思わずもらい泣き。ここは「さあ、この場面で泣いてください!」という場面ですね!
まとめ
長々と失礼しました。読むのも大変ですね。
古典の中に怪力キャラはたくさんいますけど、その中でもとりわけ曽我五郎が人気者なのは、何と言っても「兄弟愛が熱い!」という性格のせいでしょう。現代人の感覚では、ちょっと常軌を逸したところもあるのですが……まあ、そこは鎌倉時代の熱血な武士ですからね。時代が違うということでお目こぼしください。
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