曽我兄弟の絵画について
こんにちは!メルクリウスです。
このページは、わたしがAmazonキンドルで出版している「曽我兄弟より熱を込めて」の「閑話休題」という章から抜粋したものです。「閑話休題」では、当時の食生活や学問、文化などについて紹介しているのですが、案外評判が良いのでブログに載せることにしました。
興味あったら、本も読んでね。
閑話休題――絵画の話
わたしが初めて曽我兄弟に出会ったのは、「最後の浮世絵師」と呼ばれる月岡芳年の絵だった。
月岡芳年が、「月」をテーマにした一大絵巻「月百姿」。三日月を眺める山中鹿之助、月光降り注ぐ海に刀を投げる新田義貞など、月の輝く中、歴史の有名な場面を切り取って描いた百枚の絵――その中に、曽我五郎時宗の姿があった。
抜身の刀を下げ、煌々と照る月影に顔をさらし、どこか恍惚とした表情。仇討ちのその日に着ていたという、蝶の柄の小袖を身に着けている。おそらく、見事に仇を討ち果たし、祐経の宿から出て月を眺めている、その一瞬を描いたものなのだろう。端正な顔に浮かぶ万感の思い。そのすぐ後に迫る死を覚悟したまなざしが美しい。
と、エラそうに書いているが、実は恥ずかしながら、わたしは最近までこの絵が曽我五郎だとは全然気づかなかった。……わたしがこの画集を手に入れたのは高校生の頃。つまりは十年以上、結構頻繁にこのページを見ていたくせに、このハンサムな人物の正体を知らなかったのである。
いい大人になってから、真名本の曽我物語を読んだ時、あとがきに「月岡芳年が曽我五郎の絵を描いている」という一文を発見。「そんなのあったっけ……」と慌てて「月百姿」を引っ張り出し、驚愕の事実を知ったのだった。
「ああ、君は五郎だったんだね! ごめんなさい。ごめんなさい。全然気づかなかったよ」
と、馬鹿みたいに画集に平謝り。はたから見たら完全に怪しい人である。
さて、恥を明かしたところで、なぜわたしがこの絵の正体に全然気づかなかったか、その言い訳を三つお耳に達したい。
言い訳その一。どう見ても、この絵の五郎は青年じゃないのである。浮世絵なのだから、仕方ないと言えば仕方がないのだが……。五郎は享年二十歳。しかし、この絵の五郎は三十と言っても通りそうだ。寺にいたから老成したと言われればそれまでだが、せめてもう少し若々しさがあってほしいものだ。
言い訳その二。雨が降っていないのである。曽我兄弟が仇討ちを果たした五月二十八日は、雷雨であったというのが定説。しかし、この月岡芳年の絵では、空は晴れ渡り、月が輝いている。……これは数ある曽我兄弟の絵画の中でも極めて異例のことで、今も議論が続いている問題らしい。おそらく、月岡芳年としては、仇討ちを果たした後の晴れ晴れとした思いを月に託して描いた。あるいは、午後に雷雨があったが、兄弟が仇討ちを果たした深夜には、すでに雨は上がっていたという考えで月を描いた――と考えられる。これは、まあ画家の考えであるから別につべこべ言う問題ではない。
言い訳その三。これが一番文句を言いたい問題なのだが、十郎がいないのである! 兄弟そろって刀を下げていれば、あるいはうっかり者のわたしでも気づいたかもしれないが、五郎一人しか画面にいないのだ。なので、わたしは長い間
「ああ、訳ありな武士が刀を下げて立っているなあ」
としか思っていなかったのである。
……と、このように歴史的大画伯の傑作に謝罪しつつケチをつけ、そのついでに他の画家が描いた曽我兄弟の絵をいろいろ探してみた。
するとまあ、あることあること。曽我兄弟は鎌倉時代から国民的ヒーローだったので、佃煮にできるほどおびただしい絵画が残っている。祐経を狙って、雨の中松明かざして探し回る兄弟。ついに祐経に刀を振り下ろす兄弟。さらには、彼らの子供時代――月夜に雁を見て嘆く二人、由比ガ浜であわや斬られそうになる瞬間などもある。
絵巻物のようなものもあるが、しかし現在残っているほとんどは浮世絵だ。写楽の描いたような絵を考えていただくと分かりやすい。……はっきり言って、二人のうち、どれが十郎でどれが五郎か、説明書きがなければまったく分からない。この浮世絵を見た後だと、月岡芳年の五郎が物凄く若く見えるのだから不思議だ。
ありとあらゆる十郎五郎の絵を見た上で、わたしがもっとも素晴らしいと思ったのは、講談社が戦前に出した絵本である。その名も「講談社の絵本 曽我兄弟」。何と分かりやすい題名であろうか……。絵本であるが本格的な日本画で、時代考証も完璧。色彩は極彩色だが、まったくけばけばしさがなく上品だ。それにうれしいことに、一目でどっちが十郎でどっちが五郎かハッキリ分かる。
この絵本の中で、わたしの贔屓の絵は、仇討ちを果たした後に五郎が生け捕りにされてしまう場面である。乱戦の末、すでに侍烏帽子はどこかへ飛び、髪振り乱して武士たちを睨みつける五郎。雷鳴とどろく豪雨の中、鬼神の如き五郎の姿に、周囲の武士たちは恐れおののき、たやすく近づくすることすらできない。すでに兄は討たれ、殺気立つ五郎のまなざしは、画面の中からこちらを圧倒するものがある。
講談社は、「曽我物語がこれほど美しく詳しく、一巻の大画帳となったのは今回が初めてです」と自信のほどをつづっているが、この絵の美しさにはそれだけの価値がある。
ただし――である。かくも曽我物語を愛するわたしとしては、この絵本にも一抹の不満がある。その不満とは、またしても十郎である!
この絵本の絵を手掛けた画家は、どう考えても五郎贔屓であったと思われる。全ページをくまなく見ると、五郎がカッコよく正面に描かれている画面はたくさんあるのに、十郎がちゃんと正面向いて大きく描かれているのは表紙だけなのだ。後はほとんど後ろ姿……。しかも五郎が活躍している場面では、遥か後ろに背後霊のように描かれているだけ。
いったいこの差は何なのだろうか。十郎は何か嫌われるようなことをしただろうか。
――確かに、画家の立場も分からないではない。どう考えても、絵として映えるのは五郎の方である。常に怒りたけっていて、派手に怪力を発揮し、大勢の武士相手に大立ち回りをする五郎は、まさに「絵になる男」なのだ。対して、優しく物静か、滅多に行動を起こさない十郎は派手な絵にはなりにくい。
……しかし、曽我兄弟とはあくまで「兄弟」であるはずだ。兄と弟で一組。どちらか片方ではなく、二人で主役のはずなのだ。
それに、十郎の名誉のために言っておくが、彼は実に良い男だ。いつも慎重で冷静な十郎がいなくては、五郎は喧嘩をしまくって、仇討ちを果たす前に早死にしたに違いない。
朝に晩に、「我ら死ぬまで離れまい」と誓っていた二人。死んだ後、絵の中で兄だけが無視されたら兄弟は悲しむだろう。
だれか、素晴らしい日本画で兄弟の絵物語を作ってくれないだろうか。欲を言えばきりがないが、講談社の絵本くらいの上品さで、ちゃんと二十二歳と二十歳に見えるように。時代考証は完璧に。兄弟二人とも丁寧に、そしてもちろん二枚目に。無理かなあ……。
まとめ
お粗末様です。
曽我兄弟の絵画について長々と語りました。で、結局何が言いたいかと申しますとね……曽我兄弟はたぶん二枚目だったんだから、二枚目に描いてほしいってことです!それだけ!それだけです!
こんなことを言いますと安っぽく聞こえるかもしれませんが、ロマンは絶対に大事です!だって、義経だって沖田聡司だって、映画に出てきたとき「えっ……」てくらいカエルでゲジゲジで爬虫類な顔の役者が演じてたら、大ブーイングになること間違いないでしょう!曽我兄弟も同じです。彼らは二枚目でなければいけないのです!
色々過激なことを言いましたが、この叫びがどなたか絵の達者な方に届いたら、ぜひ格調高い絵を描いてくださいね。
最後になりましたが、もう一度宣伝……。「曽我兄弟より熱を込めて」ぜひ読んでね。立ち読みもできますよ!
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