【曽我兄弟】曽我十郎の人生まとめ。とにかく貧乏で弟に甘い
日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ち!鎌倉幕府を開いた源頼朝の目の前で、寵臣の祐経(すけつね)を見事バッサリ!場所は日本一の富士の裾野。こんなに絵になる仇討ちも珍しいですね。
さて、この曽我兄弟。生涯に一回も兄弟喧嘩をしたことがないってくらい仲良しの兄弟。でも、その性格は全然正反対だったそうです。兄の十郎は優しく知的。弟はすぐにキレる暴れ者。このページでは、兄十郎がどんな人だったかを紹介いたします!
曽我兄弟の家族関係は?
十郎について説明する前に、まずは家族関係を説明します。というのも、家族がウジャウジャといっぱいいるからです。
これだけ抑えれば大丈夫!十郎の家族たち
〇曽我十郎祐成(すけなり) 本人だよ。
〇曽我五郎時宗(ときむね) 溺愛してる弟。
〇満江(まんこう) お母さん。よくエロい名前と言われる人。
〇河津三郎祐泰(かわずさぶろうすけやす) 曽我兄弟のお父さん。殺されたよ。
〇曾我太郎(そがのたろう) 義理のお父さん。貧乏だよ。
〇伊東祐親(いとうすけちか) 兄弟のおじいさん。戦で死んだよ。
これを見ればお分かりいただけるでしょうが、お父さんが二人いるのですね~。兄弟はもともと、河津三郎の子供らです。おじいさんは伊豆半島の伊東を全部持っている、伊東一族のリーダー。(河津は、伊東の中にある領地です)ここでは省きますが、伊東一族は超人数が多いです!兄弟が親戚を訪ねる場面が曽我物語には書かれていますが、あんまり人数が多くて、数か月かかってます!
だから、兄弟はもともと超大金持ちの跡取り息子だったのです!
だけど、不幸にして河津三郎は殺されちゃいます。おじいさんも戦で死亡。それで、兄弟は貧乏な曽我家に引き取られることに……。兄弟が「曽我」という苗字なのはこのためです。
それにしても、おじいさん、お父さん、本人と、全員名字が違うなんて超複雑ですね!
ざっくりと!曽我十郎の生涯
曽我十郎は早死にです。享年二十二歳。でも波乱万丈で、語り所満載です!ここでは見どころをピックアップして紹介します。
五歳で父が死亡!八歳で仇討ち決意
十郎の幼名は一萬(いちまん)といいます。
さて、お金持ちの河津の家に産まれ、嫡男の一萬は誰が見ても幸福な身の上だったのですが……五歳の時に状況は一変します。父親の河津三郎が、狩りの帰りに突然曲者に殺されてしまったのです。犯人は工藤祐経(くどうすけつね)。ずっと伊東祐親と河津三郎を狙っていたのです。
当時、母親一人では幼い子供を育てることはできません。満江は曾我太郎と再婚。一萬と弟の箱王(はこおう)は遠い曽我へお引越し。曽我は河津と違って貧乏な家。幼い兄弟はタダの居候に過ぎません。肩身を狭くして、
「いつか、父上の仇を取ろう。工藤祐経を倒そう」
と誓うのでした。この時、一萬は八歳でした。
十三歳で元服。弟と涙の別れ
当時、武士の子は大人になるのが早いです!一萬は十三歳で元服。曾我十郎祐成(すけなり)と名を改めます。曽我物語を読んでると、十郎はかなり酒飲みですが、十三歳から飲んでたってことですね~。親近感、親近感(わたくしも酒飲みです)。
ところで、十郎が元服したその年、弟の箱王は箱根の寺にぶち込まれてしまいます……。産まれてから一度も離れたことのない曽我兄弟。十郎は箱王を箱根まで送ってやって、別れの辛さに抱き合って泣いたのでした。
苦心惨憺……悲しき無職トウメイな日々
十郎は元服したわけですが、その後ずっと無職無収入です!これには悲しすぎるわけがありまして、十郎のおじいさん、伊東祐親は平家方の武士。源頼朝と富士川の合戦で散々やり合った挙句、自害に追い込まれたという「謀反人」なのでした!
源氏の世の中、鎌倉幕府に、平家方の武士の居場所はありません。十郎は何にも悪いことなんかしていませんが、どこにも勤め先がないのです……。しかも、工藤祐経がお父さんを殺し、その所領まで分捕ったので、財産もないのです。(どうやって食べてたのかな……?)
無職だけど、とりあえず一人前となった十郎、曽我の家を出て自分の家を持ちますが、極狭物件のボロボロのあばら家。下男は一人しかいなくて、給料は払えず、馬も一頭しかなくて餌代もない有様でした。苦労人です……。
弟帰還!早速仇討ち開始!
弟の箱王は、十七歳の時に箱根から逃げ帰ってきます。十郎はすぐさま弟を元服させ、ここに曽我兄弟の名は「曾我十郎祐成」「曾我五郎時宗」と揃ったのです。
兄弟の仇討ちの決意は、子供のころから変わっていません。祐経が将軍の狩りのお供をして那須野(なすの)へ行ったと聞き、すぐさま追っかけます!しかも歩き。神奈川県から群馬県まで行ったというから、すごい執念です。でも、この時は失敗しました。
ついに富士の裾野へ!十郎斬り死に……
那須野で失敗しましたが、十郎と五郎はへこたれません。次は富士の裾野で狩りがあると聞きつけ、すぐ出発!今度は生きては帰らないと覚悟を決め、お母さんにそれとなくお別れしました。
何しろ五万人くらいいた狩りなので、なかなか祐経が見つからずに苦労しましたが、三日目の夜についに発見!祐経の宿屋に躍り込み、とうとう仇を取ったのです。
しかし、この後、周囲にいた武士たちと乱戦となり、十郎は二十二歳の若さで斬り殺されてしまいました。
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【完全保存版】曾我物語のあらすじまとめ
十郎の性格は?
曽我十郎は「思慮深く、物静か」だったことで有名です。それから、「尋常じゃなく我慢強い」性格です。曽我物語を読んでると、十郎がマジメに怒ってるシーンは一回しかありません(工藤祐経にムチャクチャ馬鹿にされたとき)。でもこの時ですら、黙って黙々とお酒飲んでただけ。彼は生涯で、怒ってわめいたりすることはなかったようです。
話し方も理路整然。感情的になることがほぼなくて、「言葉優しく説く」と物語にはよく書いてあります。それから、大変な風流人でもあります。十郎は武士ですが、正直、武芸よりも学問が好きでした。万葉集とか古今和歌集を大事にしていて、歌を詠むのが好きだったそうです。また草花が好きで、狭い庭に千草や卯の花を植えて、よく手入れをしていました。
でも、十郎の性格で一番いいところは、やっぱり「優しい」ってことです。誰に対しても優しいですが、とにかく弟に優しいです!ほんの子供のことから弟を溺愛。弟が泣いてると必死に慰め、字を教えてやったり、弓矢を作ってやったり……。大人になってからも、貧乏暮らしの中で弟に不自由させまいと必死です。「我らは決して離れまい。死ぬ時は共に死のう」と、毎日、朝晩に誓っていたんだとか……。
腐女子ならずとも、何となくBL的要素を感じる兄弟ですね。
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十郎ってどんな顔?どんな姿?
これは昔の絵本の表紙ですが、右が十郎、左が五郎です。二枚目ですね~。
色白でほっそりとした姿。顔立ちはとても美しく、聡明さが現れた瞳をしていたそうです。十郎は周りの武士たちからも「色が白い」とか「スラリとしてる」とか「美少年だ」とか言われていました。(五郎は言われてない……似てなかったのかな?)五郎の証言によると、「兄上は一目見ただけで母上を思い出すほどよく似ている」そうなので、きっと女顔だったのでしょう。
十郎の着ているもので、一番有名なのは「群千鳥(むらちどり)」の衣装。全体に千鳥という鳥が書かれている衣装です。討ち入りした時にこれを着ていました。太刀は黒巻鞘。キリッとした狩りの装束ですね。
でも普段はとってもビンボーなので、相当垢じみたボロボロの服を着ていました。映画とかで結構キレイな格好をしてますが、あれは嘘ですよ。
兄が十郎、弟が五郎なのはナゼ?
ところで、長男なのに「十郎」と付けられたのには訳があります。それは、一萬が曽我の家で、連れ子の厄介者として扱われてたからです。つまり「どーでもいい奴」ということで「十郎」なんて付けられちゃったのです。晴れの元服式だったのに、お母さんは悔しくて大泣き……。
この何年か後、十郎は弟の箱王を元服させてやりますが、「弟にはいい名をつけてやりたい」と、エライ武士のところに行って「五郎」と付けてやりました。曽我兄弟が「兄は十郎、弟は五郎」と、順番がおかしい名前なのは、こうしたわけなのです。
でも、「自分は屈辱的な名前を付けられたけど、弟には恥ずかしくない名をつけてやりたい!」って頑張るあたり、十郎は優しいですね!
ちゃんと彼女がいるよ!その名も虎御前
十郎の相手っていうと、弟の五郎しか思い浮かびませんが、実はちゃんと恋人がいます。あんまし女らしくない名前ですが、「虎御前(とらごぜん)」といいます。
出会い方は何というか……あんまし感心しません。十郎と五郎は「自分たちは仇討ちするから、どうせ早死にするだろう」と、結婚の意思が全然ありませんでした。でもお母さんが
「十郎、そなたいつまで独身でいるのですか。はやく身を固めなさい」
と説教。「……うるさいなあ。仕方がない。結婚したら後々面倒だから、とりあえず親から説教されないために遊女と関係を持っておこう」と考え、大磯の宿屋に行って出会ったのが虎御前だったのです。
虎御前はけっこういい女で、十郎は情が移って「一緒に暮らしたい」と思ったそうですが、五郎が「それは嫌だ」と言ったのでやめたんだとか。十郎はやっぱり弟の方が可愛かったようです。
大体この兄弟、ちょっと普通じゃないところがありまして、弟の五郎は一時たりとも十郎と離れているのがイヤなタイプ。十郎が女通いしている時もついて行ったそうです。……それってどうなんですかね?
虎御前は十郎が早死にしちゃった後、出家して諸国を放浪。死ぬ間際に、満開の桜の下で笑っている十郎の幻を見たんだとか。泣かせますね。
虎御前について詳しく知りたい方はこちら↓
曾我兄弟の恋人について
十郎の史跡
現在も、十郎にまつわる史跡が残ってます!
曽我兄弟の菩提寺、城前寺(じょうぜんじ)には、「十郎の忍び石」というけっこう大きな岩があります。(最近位置が変わりました。本堂の左側にあります)
この岩は、笛の名手だった十郎が、よく腰かけて笛を吹いていたというロマンチックな岩なのです。パッと見、ただの庭石ですけど、由来を聞くと素晴らしい岩ですよ!
まとめ
長々と失礼しました。
曽我十郎にはホント、エピソードが盛りだくさんです!ちょっと書ききれないので、ここではざっくりと性格だけまとめました。エピソードは他でまた紹介しますね。
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