【曽我兄弟】曽我十郎の人生まとめ。とにかく貧乏で弟に甘い

2021年10月8日

日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ち!鎌倉幕府を開いた源頼朝の目の前で、寵臣の祐経(すけつね)を見事バッサリ!場所は日本一の富士の裾野。こんなに絵になる仇討ちも珍しいですね。

さて、この曽我兄弟。生涯に一回も兄弟喧嘩をしたことがないってくらい仲良しの兄弟。でも、その性格は全然正反対だったそうです。兄の十郎は優しく知的。弟はすぐにキレる暴れ者。このページでは、兄十郎がどんな人だったかを紹介いたします!

曽我兄弟の家族関係は?

十郎について説明する前に、まずは家族関係を説明します。というのも、家族がウジャウジャといっぱいいるからです。

これだけ抑えれば大丈夫!十郎の家族たち

〇曽我十郎祐成(すけなり) 本人だよ。

〇曽我五郎時宗(ときむね) 溺愛してる弟。

〇満江(まんこう) お母さん。よくエロい名前と言われる人。

〇河津三郎祐泰(かわずさぶろうすけやす) 曽我兄弟のお父さん。殺されたよ。

〇曾我太郎(そがのたろう) 義理のお父さん。貧乏だよ。

〇伊東祐親(いとうすけちか) 兄弟のおじいさん。戦で死んだよ。

これを見ればお分かりいただけるでしょうが、お父さんが二人いるのですね~。兄弟はもともと、河津三郎の子供らです。おじいさんは伊豆半島の伊東を全部持っている、伊東一族のリーダー。(河津は、伊東の中にある領地です)ここでは省きますが、伊東一族は超人数が多いです!兄弟が親戚を訪ねる場面が曽我物語には書かれていますが、あんまり人数が多くて、数か月かかってます!

だから、兄弟はもともと超大金持ちの跡取り息子だったのです!

だけど、不幸にして河津三郎は殺されちゃいます。おじいさんも戦で死亡。それで、兄弟は貧乏な曽我家に引き取られることに……。兄弟が「曽我」という苗字なのはこのためです。

それにしても、おじいさん、お父さん、本人と、全員名字が違うなんて超複雑ですね!

ざっくりと!曽我十郎の生涯

曽我十郎は早死にです。享年二十二歳。でも波乱万丈で、語り所満載です!ここでは見どころをピックアップして紹介します。

五歳で父が死亡!八歳で仇討ち決意

十郎の幼名は一萬(いちまん)といいます。

さて、お金持ちの河津の家に産まれ、嫡男の一萬は誰が見ても幸福な身の上だったのですが……五歳の時に状況は一変します。父親の河津三郎が、狩りの帰りに突然曲者に殺されてしまったのです。犯人は工藤祐経(くどうすけつね)。ずっと伊東祐親と河津三郎を狙っていたのです。

当時、母親一人では幼い子供を育てることはできません。満江は曾我太郎と再婚。一萬と弟の箱王(はこおう)は遠い曽我へお引越し。曽我は河津と違って貧乏な家。幼い兄弟はタダの居候に過ぎません。肩身を狭くして、

「いつか、父上の仇を取ろう。工藤祐経を倒そう」

と誓うのでした。この時、一萬は八歳でした。

十三歳で元服。弟と涙の別れ

当時、武士の子は大人になるのが早いです!一萬は十三歳で元服曾我十郎祐成(すけなり)と名を改めます。曽我物語を読んでると、十郎はかなり酒飲みですが、十三歳から飲んでたってことですね~。親近感、親近感(わたくしも酒飲みです)。

ところで、十郎が元服したその年、弟の箱王は箱根の寺にぶち込まれてしまいます……。産まれてから一度も離れたことのない曽我兄弟。十郎は箱王を箱根まで送ってやって、別れの辛さに抱き合って泣いたのでした。

苦心惨憺……悲しき無職トウメイな日々

十郎は元服したわけですが、その後ずっと無職無収入です!これには悲しすぎるわけがありまして、十郎のおじいさん、伊東祐親は平家方の武士。源頼朝と富士川の合戦で散々やり合った挙句、自害に追い込まれたという「謀反人」なのでした!

源氏の世の中、鎌倉幕府に、平家方の武士の居場所はありません。十郎は何にも悪いことなんかしていませんが、どこにも勤め先がないのです……。しかも、工藤祐経がお父さんを殺し、その所領まで分捕ったので、財産もないのです。(どうやって食べてたのかな……?)

無職だけど、とりあえず一人前となった十郎、曽我の家を出て自分の家を持ちますが、極狭物件のボロボロのあばら家。下男は一人しかいなくて、給料は払えず、馬も一頭しかなくて餌代もない有様でした。苦労人です……。

弟帰還!早速仇討ち開始!

弟の箱王は、十七歳の時に箱根から逃げ帰ってきます。十郎はすぐさま弟を元服させ、ここに曽我兄弟の名は「曾我十郎祐成」「曾我五郎時宗」と揃ったのです。

兄弟の仇討ちの決意は、子供のころから変わっていません。祐経が将軍の狩りのお供をして那須野(なすの)へ行ったと聞き、すぐさま追っかけます!しかも歩き。神奈川県から群馬県まで行ったというから、すごい執念です。でも、この時は失敗しました。

ついに富士の裾野へ!十郎斬り死に……

那須野で失敗しましたが、十郎と五郎はへこたれません。次は富士の裾野で狩りがあると聞きつけ、すぐ出発!今度は生きては帰らないと覚悟を決め、お母さんにそれとなくお別れしました。

何しろ五万人くらいいた狩りなので、なかなか祐経が見つからずに苦労しましたが、三日目の夜についに発見!祐経の宿屋に躍り込み、とうとう仇を取ったのです。

しかし、この後、周囲にいた武士たちと乱戦となり、十郎は二十二歳の若さで斬り殺されてしまいました。

曽我物語のあらすじを詳しく読みたい方はこちら↓
【完全保存版】曾我物語のあらすじまとめ

十郎の性格は?

曽我十郎は「思慮深く、物静か」だったことで有名です。それから、「尋常じゃなく我慢強い」性格です。曽我物語を読んでると、十郎がマジメに怒ってるシーンは一回しかありません(工藤祐経にムチャクチャ馬鹿にされたとき)。でもこの時ですら、黙って黙々とお酒飲んでただけ。彼は生涯で、怒ってわめいたりすることはなかったようです。

話し方も理路整然。感情的になることがほぼなくて、「言葉優しく説く」と物語にはよく書いてあります。それから、大変な風流人でもあります。十郎は武士ですが、正直、武芸よりも学問が好きでした。万葉集とか古今和歌集を大事にしていて、歌を詠むのが好きだったそうです。また草花が好きで、狭い庭に千草や卯の花を植えて、よく手入れをしていました。

でも、十郎の性格で一番いいところは、やっぱり「優しい」ってことです。誰に対しても優しいですが、とにかく弟に優しいです!ほんの子供のことから弟を溺愛。弟が泣いてると必死に慰め、字を教えてやったり、弓矢を作ってやったり……。大人になってからも、貧乏暮らしの中で弟に不自由させまいと必死です。「我らは決して離れまい。死ぬ時は共に死のう」と、毎日、朝晩に誓っていたんだとか……。

腐女子ならずとも、何となくBL的要素を感じる兄弟ですね。

曽我五郎について詳しく知りたい方はこちら↓
曽我五郎は元祖ブラコン。暴れん坊の仇討ち人生を詳しく解説

十郎ってどんな顔?どんな姿?

これは昔の絵本の表紙ですが、右が十郎、左が五郎です。二枚目ですね~。

色白でほっそりとした姿。顔立ちはとても美しく、聡明さが現れた瞳をしていたそうです。十郎は周りの武士たちからも「色が白い」とか「スラリとしてる」とか「美少年だ」とか言われていました。(五郎は言われてない……似てなかったのかな?)五郎の証言によると、「兄上は一目見ただけで母上を思い出すほどよく似ている」そうなので、きっと女顔だったのでしょう。

十郎の着ているもので、一番有名なのは「群千鳥(むらちどり)」の衣装。全体に千鳥という鳥が書かれている衣装です。討ち入りした時にこれを着ていました。太刀は黒巻鞘。キリッとした狩りの装束ですね。

でも普段はとってもビンボーなので、相当垢じみたボロボロの服を着ていました。映画とかで結構キレイな格好をしてますが、あれは嘘ですよ。

兄が十郎、弟が五郎なのはナゼ?

ところで、長男なのに「十郎」と付けられたのには訳があります。それは、一萬が曽我の家で、連れ子の厄介者として扱われてたからです。つまり「どーでもいい奴」ということで「十郎」なんて付けられちゃったのです。晴れの元服式だったのに、お母さんは悔しくて大泣き……。

この何年か後、十郎は弟の箱王を元服させてやりますが、「弟にはいい名をつけてやりたい」と、エライ武士のところに行って「五郎」と付けてやりました。曽我兄弟が「兄は十郎、弟は五郎」と、順番がおかしい名前なのは、こうしたわけなのです。

でも、「自分は屈辱的な名前を付けられたけど、弟には恥ずかしくない名をつけてやりたい!」って頑張るあたり、十郎は優しいですね!

ちゃんと彼女がいるよ!その名も虎御前

十郎の相手っていうと、弟の五郎しか思い浮かびませんが、実はちゃんと恋人がいます。あんまし女らしくない名前ですが、「虎御前(とらごぜん)」といいます。

出会い方は何というか……あんまし感心しません。十郎と五郎は「自分たちは仇討ちするから、どうせ早死にするだろう」と、結婚の意思が全然ありませんでした。でもお母さんが

「十郎、そなたいつまで独身でいるのですか。はやく身を固めなさい」

と説教。「……うるさいなあ。仕方がない。結婚したら後々面倒だから、とりあえず親から説教されないために遊女と関係を持っておこう」と考え、大磯の宿屋に行って出会ったのが虎御前だったのです。

虎御前はけっこういい女で、十郎は情が移って「一緒に暮らしたい」と思ったそうですが、五郎が「それは嫌だ」と言ったのでやめたんだとか。十郎はやっぱり弟の方が可愛かったようです。

大体この兄弟、ちょっと普通じゃないところがありまして、弟の五郎は一時たりとも十郎と離れているのがイヤなタイプ。十郎が女通いしている時もついて行ったそうです。……それってどうなんですかね?

虎御前は十郎が早死にしちゃった後、出家して諸国を放浪。死ぬ間際に、満開の桜の下で笑っている十郎の幻を見たんだとか。泣かせますね。

虎御前について詳しく知りたい方はこちら↓
曾我兄弟の恋人について

十郎の史跡

現在も、十郎にまつわる史跡が残ってます!

曽我兄弟の菩提寺、城前寺(じょうぜんじ)には、「十郎の忍び石」というけっこう大きな岩があります。(最近位置が変わりました。本堂の左側にあります)

この岩は、笛の名手だった十郎が、よく腰かけて笛を吹いていたというロマンチックな岩なのです。パッと見、ただの庭石ですけど、由来を聞くと素晴らしい岩ですよ!

まとめ

長々と失礼しました。

曽我十郎にはホント、エピソードが盛りだくさんです!ちょっと書ききれないので、ここではざっくりと性格だけまとめました。エピソードは他でまた紹介しますね。

【関連記事】
【完全保存版】曾我物語のあらすじまとめ
曽我五郎は元祖ブラコン。暴れん坊の仇討ち人生を詳しく解説
「曽我兄弟より熱を込めて」の疑問に答えたよ!
曾我兄弟が飲んでたお酒ってどんなもの?
曾我兄弟の絵画について
鎌倉時代の武士の学問について
曽我兄弟歌舞伎演目――矢の根について
歌舞伎――寿曽我対面について

著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

出版した本(キンドル版)

山中鹿之介と十勇士より熱を込めて山中鹿之介と十勇士より熱を込めて
「我に七難八苦を与えたまえ」という名言で有名な、山中鹿之介。 本書では、「山中鹿之介の史実の人生」と、「鹿之介と十勇士たちの講談エピソード」をエッセイ調にまとめました。通勤時間に読める鹿之介入門書です!
平家物語より熱を込めて平家物語より熱を込めて
平家滅亡という、日本史を揺るがす大事件に巻き込まれた人々。平家物語に登場する、木曾義仲、文覚上人、平維盛、俊寛僧都など、一人一人の人物の人生を、ショートショートでまとめました。彼らの悲劇の人生を追いながら、平家物語全体のストーリーに迫ります。
曽我兄弟より熱を込めて曽我兄弟より熱を込めて
妖刀・膝丸の主としても注目の曽我十郎祐成・五郎時宗兄弟。 どんな困難にもめげず、父の仇討ちを果たして散った若き二人の物語が 講談調の語りと徹底した時代考証で鮮やかに蘇る! 鎌倉期の生活や文化に関する解説も満載の一冊。
忠臣蔵より熱を込めて忠臣蔵より熱を込めて
日本三大仇討ちの一つ、忠臣蔵。江戸時代に、主君浅野内匠頭【あさのたくみのかみ】の仇を討つために、四十七人の家臣たちが吉良上野介【きらこうずけのすけ】の屋敷に討ち入った、実際にあった大事件である。
あなたの星座の物語あなたの星座の物語
星占いで重要な、黄道十二星座。それぞれの星座にまつわる物語を詳しく紹介。有名なギリシャ神話から、メソポタミア、中国、ポリネシア、日本のアイヌ神話まで、世界中の星座の物語を集めました。

Posted by 坂口 螢火