平家一族の泣かせキャラ二人!平維盛と平重衡

2022年5月21日

平家の公達は把握しきれないほどたくさんいますが、その中でも最高レベルにロマンチックなエピソードの人といえば、平維盛(これもり)平重衡(しげひら)です!何しろ、この二人、平家の中でトップクラスを誇る美形、そして涙なしには読めない悲劇の最期……。

この二人、平清盛(きよもり)ほどのスター性はありませんが、間違いなく平家物語に最高の華を添える二人。このページでは、平維盛と重衡の人生と、押さえておきたいエピソードを分かりやすく紹介します!

平家最高の美男子!平維盛

まずは、平維盛の人生を紹介しましょう!

ざっくりと!維盛ってこんな人

平維盛は、清盛の長男、平重盛の長男です。つまり、平家のリーダー清盛の直系の孫!超スペシャルな血筋なのですね~。その上、容姿はピカ一!平家の中で一番の美形だったとか。

ですが、彼の人生は何とも哀れです。源平の初めての大戦、「富士川の合戦」で維盛は総大将になりますが、ボロ負け。しかも、次に「俱利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」でも総大将になりますが、完敗。

二度も大敗した維盛に、一族は超冷たいです。「お前のせいで負けたんだ」と壮絶なイジメ。1183年、平家は都落ちをして西国へお引越ししていきますが、この時も「へえ~、一緒に来るの?てっきりお前は平家を裏切って源氏に降参してると思ったよ」なんてイヤガラセを言われる始末。今も昔も、イジメってイヤですね。

その後、平家一族は屋島に本拠地を置き、九州や四国で源氏と戦う日々。ですが、維盛はその間イジメを受けすぎて、うつ病状態になってしまいます!完全に精神の限界に達してしまった維盛、ついに自殺を決意し、屋島を逃亡。高野山へ渡り、知り合いの高僧に

「もう生きていくのがイヤになりました!」

と泣く泣く告白。髪を切ってもらって坊さんになり、山を下りて船に乗り、沖合へ出て入水自殺してしまったのでした……。彼はまだ二十七歳の若さでした。

維盛ってこんな顔

晩年(と言っても、享年27歳ですが)には、イジメを受けすぎてやつれ切っていたようですが、絶頂期の彼の姿はすでに伝説の域!

1.「平家花揃え」という、平家の公達をお花にたとえた史料があるのですが、そこにはこのように書いてあります。

「春の曙(あけぼの)、かすかに残る月影に山際が白む中、なやましく薫る樺桜(かばざくら)」

う~ん……顔立ちのほどは全然分かりませんが、まあ、雰囲気は伝わるかと。

2.維盛が死ぬ寸前、周囲でくっちゃべっていたボーさんの証言によればですね、

「以前、維盛が後白河院の五十歳のお祝いで青海波(せいがいは)の舞を舞ったことがあったが、頭に桜の花を飾り、露にうるおうあでやかな姿で、舞う袖が風に翻るその美しさは、まことに地を照らし、天も輝くほどだった。内裏の女房達は、桜梅の少将と呼んでいたほどだった

だそうです!

ちなみに、この時、維盛は頭を剃って坊さんになり、しかもストレスで激やせしていたそうなんですが、「それでもフツーの人よりずっと美しかった」そうですよ。

維盛エピソードその1。家族と涙の別れ……

維盛のエピソードの中で、一番有名な場面!「平家都落ち」です。

源氏の兵がどんどん迫ってくる中、平家はついに都にいられなくなって、一族総出で夜逃げ!別にどこって当てすらなく、「とにかく逃げるぞ~!」と、手あたり次第に荷物を持って、西国に逃げていきます。

この時、もちろん他の公達たちは奥さん子供を連れて逃げたのですが、維盛はそうしませんでした。奥さんに向かって

「妻よ。わたしは西国に落ちねばならぬ。お前と子供たちは都に残れ」

なんと、奥さん子供を置いていくのです!これはなぜかというとですね、維盛の奥さんの一族は、以前平家に謀反を起こした、いわば政敵だったのです(奥さんの家族はすでに殺されちゃってますが)。

一族からすでにイジメを受けてる維盛、一族が都落ちする中で、この奥さんを連れて行ったら、奥さんや子供たちまで、どんなひどい目に遭わされるか分かりません……。考え抜いた末、維盛は奥さんと子供たちを、

「都に残した方が、まだ安全だろう……」

と、永遠の別れをすることにしたのでした。

奥さんを振り切って館を出、馬に乗る維盛。すると向こうから子供たちが「父上!行かないで!」と走ってきます。子供は二人で、六代(ろくだい)という若君、あと幼い姫君です。

「父上、どうして置いていくの?連れて行って!」

と、子供たちは大声で泣き叫びます。維盛は「迎えに来るから、暫く待っていてくれ」と、誤魔化そうとしますが、子供たちはちゃんと嘘を見抜いています。

「嘘だ!父上はわたしたちを置いていくんでしょう。そんなの嫌だ、連れて行って!」

維盛は無理矢理引き離して、馬を走らせます……。でもその後から、子供たちや奥さんの泣き声が追ってくるのでした。

「ああ、この声は、きっと死ぬまで耳から離れないに違いない……」と維盛は泣きます。無理もないことですね。

維盛エピソード2。那智沖で入水!

維盛きわめつけエピソードは、やっぱりその最期です!

平家のリーダー宗盛(むねもり)は、維盛をイジメまくったあげく、「維盛は病だから」と決めつけて、一の谷の戦いに参戦することも許しません。屋島の本拠地に置き去りに……。

ここにいたって、ついに何かがプッツリと切れてしまった維盛。「ああ、もう生きていたくない……」と自殺を決意してしまいます。

「せめて最後に、一目妻子に会ってから死のう」

と、わずかな家来だけを連れて屋島を脱走。都目指して小舟を漕いでいきます。

が、何という不運でしょう。すでに都の周辺は源氏の味方の兵でいっぱい。平家の御曹子である維盛は、都に近づくすることすらできなかったのです……。

すべてを諦めた維盛は、高野山にいる知り合いの高僧、滝口入道を頼ります。

「平家一門の中に、わたしの居場所はありません。あろうことか、わたしが平家を裏切って源氏に降るかもしれないと疑っている始末です。せめて最後に妻子に一目会いたいと思いましたが、それすら叶いません。せめて、入道の手で主家を叶えて頂き、御仏の元へ参ろうと思います」

涙なしには聞けない言葉!入道も涙をこぼして「分かりました」と承諾。

それから、維盛はここまでついてきた家来、武士二人と下男一人に「わたしはここで果てるつもりだ。お前たちは帰って、幸せに暮らしてほしい」と語ります。

この家来たち、重景(しげかげ)石童丸(いしどうまる)、下男は武里(たけさと)といいますが、この三人の忠義心はまさに鉄石。「情けないことをおっしゃいますな!どこまでもお供いたします!」と涙を流して申し上げ、武士の二人はその場で髪を切ってしまうのです。

下男の武里も髪を切ろうとしましたが、これは維盛に止められました。「お前は生きて帰り、わたしの鎧と刀を息子に渡してほしいのだ」と命じられるのです。

さて、髪を切って袈裟(けさ)を着た維盛主従と、滝口入道は山を下りて、小舟で那智沖に出ます。船を漕ぐのは下男武里です。

「南無」と叫んで次々に海に飛び込む維盛主従……。これを見た下男武里は「ああ、殿!わたしも一緒に……!」と、泣き叫びながら飛び込もうとします。しかし入道が必死に取り押さえて

「お前は死んではいけない!維盛殿の遺言通り、一族の方々に維盛殿の最期を伝えなければならないのだぞ」

と説得したのでした。

維盛関係者

維盛に関係の深い人たちを紹介します。

平維盛

本人だよ。

奥さんと子供

美人の奥さん。維盛が十五歳の時に結婚。でも奥さんのお父さんは藤原成親(なりちか)、平家の政敵だよ。

息子の名前は六代(ろくだい。この子もけっこう有名人だよ)。

あと姫が一人。

重景(しげかげ)

超、熱い家臣。維盛と同じ二十七歳で後追い自殺したよ。

石童丸(いしどうまる)

これも熱い家臣。十八歳で殉死したよ。

武里(たけさと)

忠義な下男だよ。特技、船をこぐこと。維盛の最期を平家に伝えたよ。

平宗盛(むねもり)

平家のリーダー。とにかく維盛をイジメまくった奴。

木曾義仲(きそよしなか)

俱利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで、維盛に圧勝した源氏の大将だよ。カッコいいんだけど、維盛にとっては疫病神だね。

牡丹の花と言われた将軍!平重衡(しげひら)

平重衡は、清盛の五男。「清盛と二位殿(清盛の奥さん、時子)から最も愛された」と言われたほど、愛されまくった息子です!その活躍は実に華やか、でも最後は悲惨です……。

ざっくりと!平重衡の人生

重衡の人生の序盤は華やかです!華やかな容姿、軽やかな性格。まさに宮廷の花形!女房達にはキャーキャー言われるし、帝の覚えもめでたいし、軍人としての活躍も最高!重衡は平家の中でもトップの武将で、一門から絶大の期待をかけられていたのです。

だから清盛も、母親の時子も、重衡を溺愛。思いっきり将来を楽しみにされてた重衡だったのですが……。源平合戦で重衡の人生はまたたく間にどん底に……。

平家一門の命運をかけた一の谷の合戦で、重衡は無念の生け捕りになってしまいます。京都に護送されて監禁の身の上に。

都のラスボス、後白河法皇は「平家がパクっていった三種の神器と、重衡の身柄を交換しよう」と平家と取引して、三種の神器を御所に戻そうとしたのですが、この申し出を平家は一瞬で拒否。重衡はそのまま鎌倉の源頼朝のところへ送られてしまいます。

頼朝は捕虜ながらも堂々として、文武優れた重衡をメチャクチャ惜しんだのですが、平家の御曹子を生かしておくわけにいきません。あわれ、重衡は奈良の僧院に護送され、坊主に首を切られて死んでしまったのでした。享年、二十九歳でした。

重衡ってこんな顔

重衡はとにかく美形です!宮中にお仕えしてた時は、彼のファンも大勢いたくらい。とにかく華やかで、「平家花揃え」にはこんな風に書かれてます。

「牡丹の花が咲き乱れる朝ぼらけに、初ほととぎすの声が聞こえてきたような」

……維盛の時と同じで、これじゃ顔立ちは全然分からないのですが……まあ、雰囲気をお楽しみください!

重衡エピソードその1。着物ドロボーをした重衡

「平家公達草紙」によれば、平家一門の公達と高倉天皇が宮中でヒマを持て余していた時、重衡が

「よし!ドロボーの真似をしよう!中宮の局に入って、衣類をドロボーしようじゃないか!」

と、いいの?って感じのアイディア。

その夜、天皇が中宮の局に渡った時、平家の公達一同、お供をするフリをしてついて行って、ごっそりと衣類をドロボー。翌朝、天皇が「実は遊びだったんだ」と訳を話して中宮に衣類を返却したんだとか。

重衡エピソードその2。乳兄弟に裏切られた重衡

平家一門が惨敗した、一の谷の決戦!

重衡も善戦むなしく、今は退却を余儀なくされ、馬を飛ばして必死に海岸目指して逃げます。重衡と馬を並べて走るのは、乳兄弟で「死ぬ時は共に」と誓った第一の愛臣、後藤兵衛盛長(ごとうひょうえもりなが)です。この時、盛長は重衡の秘蔵の名馬、夜目無月毛(よめなしつきげ)に乗ていました。

必死に走り続けて、ついに海岸にたどり着いた二人!が、その時

「あれこそ平家の大将軍!待て!」

源氏の名将、梶原源太景季(かじわらのげんたかげすえ)の一隊に見つかってしまったのです。

横手には多くの軍船が浮かんでいますが、今にも敵兵に追いつかれそうで、乗り込むことができません。重衡と盛長は、ますます馬を飛ばして、浜辺を必死に走り続けるしかできませんでした。

なかなか重衡に追いつけない梶原源太、彼は弓の名手でしたから、ギリギリッと矢を引き絞って、ひょうっと重衡の馬を射抜きました。

「アッ!」と叫んで、止まってしまった重衡……。馬は倒れこそしませんでしたが、もう動けません!

さて、大将の馬が使えなくなってしまった、このような場合、臣下が自分の馬を差し出して、自分は敵を防いで大将を逃がす――というのが、いわゆる「臣下の道」なのです。ましてや、盛長は重衡の乳兄弟、乗っているのは重衡秘蔵の馬です。

それなのに、次の瞬間、盛長はとっさに馬に鞭を当てて、主人を見捨てて逃げ出しました。「馬を取られる。殺される」という恐怖に駆られて、盛長は恐慌状態に陥ってしまったのでした。

「盛長!なぜだ!わたしを捨ててどこへ行く!」

重衡は驚愕して叫びましたが、盛長は振り返りもしません。背中につけた平家の赤印を引きちぎり、どんどん走って、見えなくなってしまいます。

誰よりも愛した臣下に見捨てられた重衡は、「もはやこれまでだ」と覚悟を決めました。

このままでは、源氏の兵が追い付いて、敵に首を切られてしまいます。大将軍として、そんな恥さらしな真似はできません。急いで鎧を外し、腹を掻き切ろうとしました。

しかし、それすら間に合いませんでした。梶原源太の家臣が、あわやというところで飛びかかって、

「なりません、大将軍!いましばらく!」

と、自害を止められてしまい、縄でからめとられ、無念の捕虜となってしまったのでした。

重衡エピソードその3。三種の神器と交換

一の谷で生け捕りになってしまった重衡。いったん都に護送されて、源氏の武将の館に幽閉されます。

さてこの時、都は大変なことになっていました。平家は都落ちする時に、「安徳(あんとく)天皇」と「三種の神器」とまるごとパクって行ってしまったのです。天皇と三種の神器が都にないなんて、日本史上前代未聞の大事件です!

ここで、後白河法皇が一計を案じます。「今回捕虜になった重衡を、三種の神器と引き換えにして交換しよう!」

ですが、重衡は苦い顔。「たとえ重衡の命を、千も万も積んだとしても、平家は絶対承知しませんよ」

それもそのはずで、神器がないと安徳天皇は「天皇」としての資格を失ってしまいます。そうすると、平家は勅命(ちょくめい。天皇の命令)を使って、兵や武器や食料を集めることができなくなってしまうのです。

法皇は使者を送って平家と交渉しましたが、無論平家は「絶対ダメ」と拒否。こうして、重衡は捕虜にされたまま、平家の元へ生還する望みを絶たれてしまったのでした。

重衡エピソードその4。白拍子の千手前と恋愛

生け捕り重衡の身柄は、京都から鎌倉に移されます。鎌倉では狩野介宗茂(かののすけむねもち)という人の館に預けられました。

さて、狩野介は頼朝に「捕虜だけど存分にもてなすんだぞ」と言われていたので、館に着いた重衡に風呂を使わせてやります。重衡は久しふりで風呂に入ったのでほっと一息ついていたのですが、この時

「背中を流しましょう」

と言って湯殿に入ってきたのが、二十歳くらいの美しい乙女でしたので、重衡は仰天します。実はこれ、狩野介が「ごつい武士に身の回りの世話をされるより、優しい女性に世話をされる方が嬉しいだろう」と気遣って連れてきた女性だったのです。

この女性の名は千手前(せんじゅのまえ)といって、白拍子でした。千手はその後も、夕食の席でお酌をしたり、舞を舞ったりして重衡を慰めました。

「よろづの仏の願よりも、千手のちかひぞ頼もしき。枯れたる草木もたちまちに、花咲き実なると説い給う」

と、千手が歌えば、重衡も琵琶を取って歌いました。

「ともしび暗うしては、数行虞氏(ぐし)が涙。夜深うして、四面楚歌の声」

その後、千手は首を斬られることが決まっている重衡の「一夜妻」となったのですが……千手は重衡のことが忘れられず、三年後に病死してしまったのでした。

重衡関係者

重衡にゆかりの深い人たちを紹介します。

後藤兵衛盛長(ごとうひょうえもりなが)

重衡の乳兄弟だったけど、重衡を見捨てて逃げちゃったよ。

後白河法皇

重衡と三種の神器を交換しようとしたけど、失敗したよ。

両親

お父さんは平清盛、お母さんは時子だよ。

源頼朝

重衡が結構気に入って、捕虜だけど手厚くもてなしたよ。

狩野介宗茂(かののすけむねもち)

重衡が鎌倉にいる間、館に預かってた人。重衡に千手前をプレゼント。

千手前(せんじゅのまえ)

重衡とラブラブになった白拍子だよ。

重衡の最期

重衡は平清盛がまだ生きてた時、清盛から「奈良の寺院の僧兵たちをぶっ潰せ!」と命令されて、奈良の寺院と戦って焼き討ちにしたことがありました(これは失火が原因なんだけど)。このことを奈良の僧兵たちは超恨みに思っていたため、

「重衡の身柄をよこせ!」

と頼朝に要求。重衡はボーズたちに首を切られて死んでしまったのです。享年、二十九歳です。

まとめ

長々とご苦労様でした!

維盛と重衡の人生をまとめました。二人とも若いですね……。平家の公達は、壇ノ浦で死んだ人がドラマとかでもクローズアップされて有名ですが、他の場所で死んだ人たちの中にも、重要人物が結構います!見逃さないでくださいね。

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火