平安貴族の日記に残る天体現象!彗星、超新星、オーロラまで!

2024年10月10日

こんにちは、坂口螢火(けいか)です。

ただ今、保元平治物語についての本を執筆中なのですが、その中の「閑話休題」(コラム)の章を抜き出して、ブログで公開します!今回は、「古代の天体について」です!

閑話休題――古代の天体について

本編に少々出てきたが、保元元年(一一五六)に彗星が出現したらしい。

この彗星、一体何という彗星であるかよく分かっていないのだが(ホントはただのデマで、彗星なんか現れなかったとも)……。実は日本には、こうした天体現象についての記録がかなり多く残っている。

特に平安時代の記録は膨大。これは、当時の貴族たちが「公的な日記を書いて記録を残しておく」というお仕事をこまめにしていたためで、彼らは政治はもちろん自然現象についても、かなり正確な記録を残してくれている。

百人一首を編纂したことで知られる、かの藤原定家(ていか)の『明月記』には、天体記録が何と百件以上! 『明月記』なんてタイトルまで付けていることから推しても、よっぽどお空が好きな人だったのだろうか? 他の貴族の日記やら、陰陽寮の記録まで合わせると、もう手が付けられないほどの量。

ここでは、彼らが見た天体について、簡単ながら紹介いたしたい。

 

冬天に美しく輝くスバルとふたご座の、ちょうど中間あたりに位置する超新星「かに」。十七世紀の天文学者ロスが望遠鏡で発見し、「かに」と名付けたことで知られている。……どうでもいいが、この天体、どう見てもカニに見えない。むしろザリガニか三葉虫っぽい形をしているのが気になるポイント。

この超新星、現在も秒速一五〇〇キロで膨張しまくっており、逆算すると約九百年前にその凄まじい大爆発が地球からも見えたはずなのだが……、これを記録していたのが、我らが藤原定家だったのである!

「後冷泉院、天喜二年(一〇五四)四月中旬以後丑時客星(かくせい)(見かけない星)(中略)東方に見え、(中略)大きさ歳星(木星)のごとし」

計算上もピッタリの年代。大きさも方角も、実に具体的で有難い。ちなみにこの観測は、当時ピカイチの陰陽師、安部泰俊(あべのやすとし)が行ったそうで、この人物、かの有名な安倍晴明(あべのせいめい)の子孫である。天体観測は代々の安部一族が継承していたお仕事で、明治になって陰陽寮が崩壊した一八七〇年、最後の当主晴雄(はるたけ)の代まで行っていたというから実に驚き。……してみると、「かに」の最初の発見者はロスではなく安部泰俊だったといえそうだ。やはり安倍晴明の血筋は、子々孫々まで優秀なのだろうか?

この超新星ほどの派手さはないが、彗星の記録もなかなかのもの。

我が国の彗星記録は世界的に見ても素晴らしい。初めて記録されたのが、なんと六三八年、『日本書紀』に書かれたものだというから驚異的である。おそらく、この頃遣唐使の小野妹子(おののいもこ)が、中国から天文学を伝えたためだろう。

『日本書紀』には、この五十年後の六八四年にも彗星観察記録があるが、これはハレー彗星であったことが、最近の研究から分かっている。

さて彗星といえば、我らが左大臣、藤原頼道(よりなが)殿の存在を忘れてはいけない。彼こそは一一四五年のハレー彗星出現を、日記『台記』に非常に詳しく書き留め、天文学に重要な貢献をした大偉人なのである。

十四歳で正二位権大納言、十六歳で内大臣となった早熟天才少年の彼、兄忠通(ただみち)と争いながら出世街道を猛スピードで驀進(ばくしん)中の二十五歳の時に、彗星が現れたという。

最初は五月三日に天文博士、安倍晴道(はるみち)から報告を受け、その後は実際に自分でも見たという。明け方東天に見え、その後日没後の西空に移り、五月下旬には恐ろしいほどの光彩を放って見えた。六月二十七日には見えなくなったというのが最後の記述。同世代の平清盛(きよもり)、西行(さいぎょう)法師、源義朝(よしとも)も見たはず。

この彗星出現、あまりにも世を騒がせたために、年号が天養(てんよう)から久安(きゅうあん)に改元が行われたほどの大事件だった。早世された近衛天皇の時代であったから、この後わずか十七歳にして天皇が崩御された時、誰もがこの彗星の怪異を思い起こしたに違いない。

超新星、彗星の他にも、何と日本でオーロラが見えたという記録も残っている。

最も有名なのは天正十年の京都の記録で、

「北の空から赤気(せっき)が迫ってきた。その中に白い箇所が五個ほどあり、筋も見られる。恐ろしいことだ」

とのこと。「赤気」とはオーロラの和名。北国では青や緑で美しいオーロラであるが、日本や中国の緯度では真っ赤に見えるので、こんな名前が付いているのである。

……この時、京都の北の空は真っ赤に染まり、まるで大規模な山火事のように見えたそうだ。しかも戦国時代真っただ中だったので、まさにこの世の終わりとしか思えない雰囲気。

「山向こうが火事だ!」

「もう都も終わりだ! 火が迫ってくるぞ!」

と、京都は大恐慌に陥り、人々が泣き叫びながらありったけの荷物を抱え、都の外へ外へと逃げ出していったという。

オーロラの記録は日本に三件あり、推古天皇時代の飛鳥、天正十年の京都、江戸時代の長崎で観測された。どれも真っ赤だったのでパニック状態を引き起こしただけだったのが残念である。

 

さて、長々と我が国の天体記録について語ったが、ここで面白いのが、日本にはこれほど多くの記録が古くから残されているのに、ヨーロッパにはまったく記録が残されていないということだ。

その理由というのがいくつかあるので紹介すると……、

「ずっと曇りか雨だった」

という、まさかの神の怒り説。

「天体現象を見たことは見たけど、紙がないから記録できなかった」

との切実説。

「天体に無関心だったので、別にどうでも良かった」

という残念説。

……正解は「紙がない」の切実説で、ヨーロッパにおける紙の伝来は、藤原定家が超新星を記録した一〇五四年からおよそ二百年後のこと。それ以前に使われていた羊皮紙は、高価すぎて使えなかったのだ。記録しようにも記録できないという、何とも胸の痛む理由だったのである。

やはり、学問を後世に残すには、紙資源が欠かせない。皆さん、資源は大切にしましょう。

まとめ

長々とお疲れ様です。

平安貴族の日記って、古典の授業では「土佐日記」くらいしか読む機会ないですよね。でも、実は当時の貴族の日記はもともと「宮中で起こったことや、自分の家の記録を子孫に残すため」に書かれた者なので、面白い日記がたくさんあるんです!

有名どころでは愚管抄(ぐかんしょう)や玉葉(ぎょくよう)が見どころ満載。興味ある人は読んでみてね(^^)

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火