曽我兄弟の恋人について
こんにちは!メルクリウスです。このページは、わたしがAmazonキンドルで出版している「曽我兄弟より熱を込めて」の「閑話休題」からの抜粋です。「閑話休題」では、当時の食生活、学問、文化などについて紹介しているのですが、案外評判が良いのでブログに載せることにしました。
ぜひ本も読んでね。
閑話休題――兄弟と女性たちについて
五月二十八日――この日に降る雨のことを、曽我の雨、あるいは虎が雨と呼ぶ。この日は曽我兄弟が仇討ちを果たし、兄十郎が死んだ日なので、「兄弟をしのぶ雨」、「十郎の恋人、虎が流す涙」と言われているのである。
幼いころから仇討ちに執念を燃やし、成人後は貧困にあえいでいた兄弟。とても女を作れなさそうな環境だが、実は彼らの周りには結構女性たちの姿がある。
おそらく、幼少から母子家庭で育ったためだろうか。曽我兄弟は、十郎も五郎も揃って女性に親切だ。
女性に馬を貸してやるし、仇討ちの寸前には、
「祐経の宿では遊女たちも寝ているぞ。いいか、女は絶対に斬ってはならんぞ」
と言い合ったりしている。この親切さが、女性たちに大ウケしたようだ
ただし五郎の方は、親切さはあっても、とにかく気が短いので恋愛に向く体質ではなかった。彼は化粧坂の少将という遊女に心を寄せたことがあったが、ある日彼女が他の客を取っているのを見て幻滅する(遊女なら当たり前なのに)。「ちぇっ。やっぱり遊女なんて当てになるもんじゃない」とさっさと諦めてしまった。
一方、兄の十郎は親切な上に物静かで、大変気が長いときているので、半端じゃなく女にもてた。親戚のおばさんは美人を紹介したがる。遊女をはじめ、人妻まで彼に本気になるという始末。そのために危ない目に合うこともしばしば……。
その十郎が、死の前の三年間付き合っていたとされる女が、虎という大磯の遊女。
自分たちは仇討ちをして、早死にするだろうと思っていた兄弟。家庭を持てば、自分たちの死後、妻子が気の毒だからと考えて、まったく結婚の意思がなかった。――ところが、長男の十郎は母親から「いつまでお前は独り身でいる気だ」とありがちな説教を受け、仕方がないので大磯の遊女と関係を持つことにする。鎌倉と曽我の間に大磯がある。大磯にしばしば通えば、鎌倉にいる祐経の情報をゲットできるという作戦だった。
ここで、出会ったのが虎という女なのである。
容姿を買われて遊女となり、彼女目当てでこの宿にやってくる客もいたというから、かなりの美女であったことは確かだ。
出会ったとき、十郎は十九歳、虎十六歳。まだ幼さすら残る若さ。初めから死を覚悟している青年に、虎は遊女と客という立場を超えて真剣な恋に陥ってしまう。十郎の他に客を取ることも拒否するようになり、無理を言う客がいると
「遊女の身ほど辛いものはない。恋する人の元にいたいのに……」
とさめざめと泣く。
一途で情熱的な虎。一方、十郎の方はどうだったのか?
「あなたのことは来世までも忘れがたく思う」
と、語っているが、彼の言動をつぶさに見ると、案外冷めていたのではないかと思われる節がある。十郎は歌狂いで暇さえあれば歌を詠んでいるのに、彼女に作った歌はわずか二首。
しかも、虎が十郎と離れがたく泣いている間も、「いまごろ五郎が待っているだろう」と弟のことばかり考えていたりする。「死なばもろともに」と五郎と誓った十郎にとっては、女よりも弟の方が比重が重かったようだ。
しかし、十郎はともかく虎にとっては命賭けの恋。乱れる黒髪、あかぬ情けの悲しさ。夜を重ね、募る恋は淵となるほどであったが、運命は惨たらしく二人を引き裂く。
いよいよ仇討ちを決行する覚悟を決めた十郎。それとなく、虎に別れを告げに行く。
「わたしに成し遂げたい望みがあることは、すでにあなたは承知でしょう。いいですか、決してこのことを他に漏らしなさるな。わたしは明日に出発して、二度と再びこの里に戻ることはない。あなたとこの世で会うのは今宵限りです」
この言葉に、虎は床に突っ伏して泣き崩れる。
「どんなにしても、あなたを引き留めることができない……。取るに足らぬ我が身が悔しい……」
どうしようもない境遇。寄る辺ない身の悲しさ。せめて、今宵ばかりの手枕に、千の夜を今宵一夜で過ごしたいと泣きつつ、短い一夜を過ごすのだった。
十郎の死後、虎はその後を追って出家する。全国津々浦々をめぐりつつ、恋人の菩提を弔い、彼の武勇を人々に語るのであった。
……以上が、急ぎに急いで語った虎の人生である。彼女の名は、歴史書の吾妻鏡に「十郎の妾、遊女の虎」と出てくることから、実在の人物だったのではないかと虎のファンは主張している。
が、夢をぶち壊すようで恐縮だが、そもそも吾妻鏡は脚色や間違いが多いので、この一行だけで虎が実在したと考えるのは危ない。例えば、「五月二十八日は雷雨だった」と吾妻鏡には記載されているが、この年は記録的な日照り続きで、六月に大規模な雨乞いの儀式が行われていたことが分かっている。「仇討ちなんだから雷雨のほうが劇的だ」と、吾妻鏡を編集した人が勝手に脚色しちゃったのだ。……大体、妻でも家族でもない、ただの通いの遊女の名前を歴史書に書いてあること自体があやしい。
では、虎とは何者か? 民俗学者の柳田邦男によれば、「とら」とはもともと、盲目の比丘尼を指す言葉なのだそうだ。「とら」は各地を旅しつつ、様々な物語を語って歩いていた。
「曽我物語」が、盲目の尼たちが伝承してきた物語であることは前述の通り。彼女たちは、兄弟の仇討ちに、その周囲の女たちの悲劇を交えつつ、語って聞かせた。「虎」という十郎の恋人は、十郎五郎の人生を語った「とら」たちが、いつの間にか物語の中に入り込み、出来上がった人物だったかもしれない。そう考えると、虎が出家して旅をした、という後日談も納得できる。
若い命を散らす勇ましい男の影には、必ず女たちの涙がある。――長い黒髪とともに、辛い過去を捨てて出家した「とら」たち。「虎」の悲恋は、多くの「とら」たちの経験したであろう、やるせない悲恋が重なって産み出されたものだったかもしれないのだ。
生涯を若き日の短い恋に捧げた虎の最期は、なかなかに美しい。恋人の弔いをしつつ、年老いた虎は、いよいよ死期が迫ったその瞬間、満開の桜の枝の下に、にこやかに笑ってこちらを見ている、若いままの十郎の幻を見る。思わず、両手を差し伸べて走りよる虎。そのまま、彼女は倒れて死ぬのである。
恋した男は桜のように散ってしまった。残った女はその後長く辛い人生を送らねばならなかったが、「一途に思い続ける心は、決して無駄ではなく、いつかその魂を昇華してくれる」と教えてくれる物語なのである。
まとめ
「曽我物語」唯一のヒロイン、「とら」さんについてまとめました!(いつ読んでもロマンに欠ける名前だな……)
実はですね、わたしの「曽我兄弟より熱を込めて」には、とらについてはまるっきり書いてないです。その理由はですね、身もフタもなく申し上げますと、「読んででつまんなかったから」……。
メルクリウスが考えるに、曽我物語とは曽我兄弟二人の純情一途な兄弟愛が見どころであって、恋愛ネタはぶっちゃけなくってもいいんじゃないかと。だって、五郎は一人も女がいなかったのに、十郎だけが彼女を訪ねていって「これが今生の別れだ!」なんて泣いてるなんて、なんかシラケるんですよ。
そこで、柳田邦男の説を読みまして「そっか!とらって多分いないんだ!」とスッキリ。こいつはいなかったことにして、本書を書いたんですね。虎のファンには怒られそうですが……。
長々と述べましたが、興味ある方、ぜひ本も読んでね。立ち読みも大歓迎です。
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