曽我兄弟が飲んでたお酒ってどんなもの?

2021年6月14日

こんにちは!メルクリウスです。

このページは、わたしがAmazonキンドルで出版している「曽我兄弟より熱を込めて」に載っている「閑話休題」のページから抜粋しています。「閑話休題」では当時の酒とか食生活とか衣類とか……色々紹介しているのですが、案外評判が良いのでブログに乗せることにしました。

これを読んで面白いと思ったら、ぜひ本も読んでね。

閑話休題(かんわきゅうだい)――酒、食べ物の話

曽我物語は実に生真面目で、しばしば中国の故事(こじ)を持ち出して教訓を垂れる話なのだが、(しばしばと言うより、ムカつくほど多い)その端々に当時の武士たちのリアルな生活が透けて見える。
 
読んでいて、最も気になる素朴なポイント。
 
――この兄弟は、毎日飲みすぎじゃないのか? ということ。
 
浴びるようにとはまさにこのこと! 十郎、五郎はたいそうストイックで真面目な性格のはずだが、事あるごとに飲みまくっている。日頃、彼ら兄弟は曽我と鎌倉を行ったり来たりして、祐経(すけつね)のスキを狙っているが、こうして仇討ちに励んでいない隙間時間は常に飲んでいるのではないかと思われる。いやいや、祐経を探しに行ったはずの道中、大磯でも飲んでいる描写がある。休肝日など絶対に作らないタイプ。

さらに、驚きの事実。何とこいつらは仇討ちの直前まで飲んでいた。知り合いの武士二名から、酒と肴をプレゼントされた兄弟、

「さあ、早く早く注げ。五郎、お前から飲め」

と、二人楽しくじっくり腰を据えて飲む。二か所からもらったのだから、かなりの量であったはずだ。さらにその後、飯を食いながら、またもや銚子を次々と空けてゆく。こうして散々飲んでから、

「あまり飲んで、仕損じては大変だ。これくらいでやめておこう」

と言っている。……思えば昔の人は悠長である。しかし、これほど飲みまくっても、それから一時間しないうちに見事祐経を殺害したのだから、やはり世に名を残す武士は凡人とは何かが違うのだ。

……ちょっと話は逸れるが、十郎はいつも五郎と二人で飲むとき、「五郎、お前から飲め」と盃に注いでやっている。生れたときから、死ぬまで一度も兄弟喧嘩をしたことがないという曽我兄弟。兄の弟に対する情愛が、飲みの席ですらしのばれる。

 
さて、彼らは死んだとき、兄は二十二歳、弟は二十歳。

「この年齢でそんなに飲むのか……」

と現代人は驚くが、当時、平安末期から鎌倉初期にかけて、アルコールをたしなむ年齢は大変早かった。
 
例えばこの兄弟、十郎は十三歳で元服したから、少なくとも十三から飲んでいたはず。弟五郎はどうもハッキリしないが、十七歳の時の彼の証言によれば

「父の無念を思えば、酒を飲んでも何の味もしないのです」
とのこと。つまり十七歳以前から酒に親しんでいたはず。もっと言えば、仇祐経の息子は九歳で飲んでいる。

二人とも、十代からすっかり板についていたのだから、二十代でウワバミのような飲み方になったのは、まあ当然なのだろう。

 

さてここでお立合い。兄弟がかくも愛した鎌倉初期の酒は、いかなるものであったか?
 
この頃に作られていた酒は、大きく分けて二つある。「諸白(もろはく)」と「片白(かたはく)」である。諸白とは、簡単に説明すると、丁寧に精米したコメで作った透明な酒。現代の清酒に非常に近く、その味は「雑味なく、濃厚で甘い」らしい。片白は透明ではなく白濁していて、べたべたしているという印象。
 
透明な諸白を作っていたのは、意外や意外、酒造りの職人ではなくて、各地の大寺院であった。

平和そのものだった平安時代、酒は貴族たちが「酒造り司」という部署を設けて、そこに作らせていたのだが、保元の乱だ、平治の乱だ、源平の大合戦だと世の中がグッチャグッチャになると、「ひい、こんな物騒なところにはいられん」と、都から技術者たちが流出する。彼らが逃げていった先は、戦乱の手の届かぬ寺院。これぞまさしく駆け込み寺。
 
こうして、日本各地の寺院で酒が造られるようになる。
 
寺が酒を造っていいのか? と思うが、当時の寺は派手に酒を造りまくり、その収入で寺院を大きく拡張。しかも自分でも大いに飲んでいた。坊主が飲酒なんてとんでもないことなのに、彼らは

「これは般若湯(はんにゃとう)という、世にもありがたい飲み物だよ。これを飲むと、悟りに至る知恵が得られるんだ」

と、堂々と言い訳。ハッキリ言って、それはただの酩酊状態で悟りではない。お釈迦様に謝ってほしいところだが、もう九百年も前の問題発言だから時効にしておこう。
 
ともあれ、彼らが作った酒は素晴らしい出来栄えだったらしくて、貴族たちがこぞって買い求めた。この僧侶たちが作った酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶ。かの豊臣秀吉も愛飲して、花見に集まった人々に大盤振る舞いしたそうだ。

この酒は今でも製造されている。大阪の「天野酒」という。興味のある方はぜひお試しあれ。

しかし、出来のいいものほどお値段が高いのが世の当然の理。

哀れや、生涯通じて大変貧乏だった曽我兄弟には、僧坊酒などとても手の出る代物ではない。

彼らが飲んでいたのは「片白」という酒だった。

これは透明な「諸白」に対して、真っ白な濁り酒である。諸白は精米したコメから作るが、精米技術の未熟な平安末期、庶民のコメは玄米だった。

玄米から作る酒はやたらとたくさん酒かすが出る。出来上がった酒は結構ドロドロで、アルコール度数は大したことなく、かなり甘口だったようだ。お値段も安価。現代人にとってのビールやチューハイ的な存在だったと思われる。

曽我兄弟は、とにかくこの片白が大好き。昼と言わず夜と言わず、酒がなくては何も始まらない。飯を食う時も、二人でペラペラおしゃべりする時でも、必ず三杯立て続けに飲んでようやく

「さあ、飯を食おうか」

と、落ち着いて食事を始めていた。

さて、せっかくなので、当時の武士たちが飲みながら何を食べていたかについても触れておこう。
 
いきなりだが、武士たちは大食いだ。基本的には「一日二食。朝と晩に食べる」と決まっていたが、日々武芸に励んでいる彼らが、二食で足りるわけがない。「戦の時や武芸の鍛錬をしたときは、三食から五食」だったらしい。でも彼らは毎日鍛錬していたわけだから、ほぼ毎日三食、五食食べていたはずだ。

食べるものは、山盛りの玄米。これに「溜(たまり)」という醤油の原型をかけて味付けする。

おかずは煮た昆布、魚など、ささやかな煮物系が出た。地方武士はもっとラッキーで、新鮮な野菜、魚にありつくことができた。自分で狩りをして得た獲物の肉もあった。案外、彼らは大変健康的な食生活を送っている。十代から浴びるように酒を飲んでも、健康を維持できるのは、この健康食のおかげかもしれない。

それにしても――兄弟は貧乏人だったはずだが、どうやって酒代を調達していたのだろうか? いかに片白が安価だったとしても、あれほど飲んでいたら、相当な出費になったはずだ。

その調達方法を三つ考えてみた。
 
一、可愛がってくれるお金持ちの武士から頂戴した。彼らは北条政子の父、北条時政(ときまさ)と仲良しだ。

二、親戚が大勢いたので、親切な人々に恵んでもらった。

三、衣服に当てる金を酒代にしていた。彼らはいつも見苦しいほどボロボロの衣装を着ていたようだ。いよいよ着るものに困ると、「借りる」と言って曽我の家から着物をもらって全然返さず、最終的には死んで踏み倒した。

いずれにしても、あまり褒められたことではない。

まとめ

お粗末様でした。

長々書きましたが、つまり言いたいのはですね……曽我兄弟は呑兵衛です!ってこと!武士はお酒が好きなんですってこと!

わたしも酒好きなんです。もうお気づきでしょうが……。

お酒好きな方、酒好きに敬意を表して、ぜひ本も読んでね。立ち読みも大歓迎ですよ。

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

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Posted by 坂口 螢火