保元平治物語に登場する刀剣をまとめてみた!

2024年10月10日

こんにちは!坂口螢火(けいか)です。

平家物語」の前時代を描いた「保元平治(ほうげんへいじ)物語」。古典の授業でも完全スルーされる、ビミョーに影の薄い作品なのですが、読んでみれば超絶面白い大傑作です!

このお話、「源氏が壊滅した!」という歴史の大事件を取り上げた軍記ものとして知られていますが、もう一つ面白い一面が……。

「源平の大決戦なので、数えきれないほど名刀が登場する!」

というお話なのです!

このページでは、保元平治物語に登場する刀剣たちを紹介します(^^)

ざっくりと!保元平治物語ってどんなお話?

保元平治物語は、「保元(ほうげん)物語」「平治(へいじ)物語」という二つのお話です。作者は誰だか分かりませんが、多分同一人物が書いてます。なんか皮肉ったらしい書き方が同じだし。(デブデブな貴族を超こきおしてたり)

取り上げた時代は、平家物語に出てくる登場人物(源頼朝とか、義経とか)の、親や祖父母の時代です!

この時代はですね、天皇家は上皇と天皇がバトルしてるし、摂関家(藤原家)はアニキと弟がバトルしてるし、もう朝廷はグッチャグッチャな状態。それぞれにお仕えしてる源氏と平家の武士たちが、権力闘争に巻き込まれてメッチャ殺し合う!というお話。だから刀剣が一杯登場するんですね~。終わりッ!

鵜丸(うのまる)

源頼朝(よりとも)のおじいさん、為義(ためよし)が崇徳(すとく)上皇からいただいた太刀です。為義は保元の乱で上皇側の総大将となったので、「大儀である!」と、ご褒美にいただいたんですね~。

さて、この鵜丸には、ある伝説が……。

その昔、白河上皇が神泉苑(しんせんえん)(内裏にある湖だよ)で遊んでたところ、鵜(う)(鳥です)が何かバカでっかいものをゴックンと呑み込んで、ヨロヨロと戻って来たんだとか。ギュウギュウと首を絞めて吐かせてみると、何と!長覆輪(ながふくりん)の太刀だったのです!

「こりゃすごい!パワーのある霊剣に違いない。鵜がくわえてきたから、鵜丸と名付けよう!」

ということで、鵜丸という名になったんだとか。どうでもいいけど、この鵜、よく死にませんでしたね……。

ちなみに、この鵜丸、持ち主の為義はすぐに殺されちゃって、行方不明になりました。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」(あずまかがみ)によると、その後九州で戦後処理をしていた源範頼(みなもとののりより)によって発見され、再び朝廷に献上されたということですが……また行方不明になって、今なお所在は分かりません。

小狐丸(こぎつねまる)

三条小鍛治宗近が作ったとされる、藤原氏伝来の名剣です。

小狐とは大変可愛らしい名ですが、これには大変メルヘンな伝説が……。

ある時、菅原道真(すがわらのみちざね。左遷されて死んじゃって、ヤベー祟り神になった人)が京都を呪いまくって、空で暴れ回ってました。恐怖におののいた醍醐天皇は、「あの祟り神、一体何者⁈」と、藤原忠平にご質問に。すると、忠平の佩刀の柄頭に、いきなりピカーッと白狐が出現!「稲荷大明神です!」と奉答したところ、怨霊はたちどころにいなくなったので、以来その佩刀を小狐の太刀と命名したんだとか。

記録によれば、この小狐丸、「仁平2年(1158)8月14日、左大臣藤原頼長(よりなが)が、これを佩いて石清水八幡宮に参詣した」「翌3年(1153)12年28日、頼長の嫡子:兼永、久寿元年(1154)11月25日、次男:帥長らの直衣始めのとき、ともにこれを帯びた」とあります。代々藤原家に伝わる名刀だったんですね。

ところが!「保元物語」には、実に奇妙な記述が……。

保元の乱の作戦会議のとき、藤原通憲入道信西(しんぜい)が「家ニ伝タル小狐ト云ムク鞘ノ太刀ヲ帯」びていたというのです!

信西という坊さんは、小狐丸の持ち主、左大臣頼長の政敵!保元の乱は「上皇側 VS 天皇側」に、貴族も武士も真っ二つになった合戦なのですが、頼長は上皇側の首謀者、信西は天皇側の首謀者です。

もし、この「信西が小狐丸を帯びていた」という記録が真実なら、頼長家伝来のものとは同名異物、ということに……。太刀に「小狐」って名前を付けるのが流行りだったのかな?(それとも頼長が信西に小狐丸をプレゼントした?)

石切(いしきり)

源氏重代の超名刀です。有成についての記録は残ってないので、誰が作ったのかよく分かりませんが、「三条宗近一派の作品」だろうね~、と言われてます。

この太刀が登場するのは「平治物語」。源氏と平家がガチで戦った平治の乱です!

この時、源氏で最も強かったヒーローこそ、総大将源義朝(よしとも)の嫡男、悪源太義平(あくげんたよしひら)!当年、十九歳!

石切はこの最強の若武者に、「晴れの戦ぞ」と授けられました。

悪源太とはみょうちきりんな名前ですが、「悪」というのは当時「超強い」とう意味で使われていました。なので、「めっちゃ強い源太義平!」という意味です。

この義平の強さはハンパじゃありません!平治の乱では平家を相手に、ほぼ一人で戦ってます!平清盛の嫡男、重盛(しげもり)に目をつけると

「オレと貴様は互いに嫡男。良い敵だ。さあ組め!」

と、めっちゃくちゃに追い回し、大庭を七、八回はグルグルと駆け回ったという逸話も……。(平家は五百騎、義平は十七騎)

ですが、この平治の乱で源氏はボロ負けしてしまいます。義平は無念にも敗走。近江の国まで逃げたところで、平家の追手に見つけられました。

この最期の瞬間で、義平は石切を引き抜き、袴(はかま)の裾(すそ)をたくし上げて

「義平これにあり!我が手並みを見よ!」

と、単身、敵陣の中へ躍り込んでいきます……。心ある人は、ここで泣いてください!

十九歳の若武者は、石切を縦横無尽に振り回し、当たるを幸い敵をなぎ倒していきましたが、ついには捕えられ、首を刎ねられてしまったのでした。

この石切丸、現在は行方が分かっていませんが、同名の太刀が複数残されています。

髭切(ひげきり)

源氏重代の名刀にして、芝居にもしょっちゅう登場する、たぶん日本で一番有名な太刀です!(三種の神器は別として)

髭切が活躍するのは、「平治物語」の平治の乱。持ち主は源頼朝(よりとも)ですが、驚くべきはその年齢。当時十三歳です!

このことについて、「平治物語」から少々抜粋すると……

「三男の右兵衛佐頼朝は、十三歳。紺の直垂(ひたたれ)に、源太の産衣(うぶぎぬ)と呼ぶ源家十代の鎧を着て、白星の兜をしめ、髭切という太刀を帯び、(中略)頼朝の着けていた源太が産衣と髭切は、源家重代の武具の内でも特に秘蔵の重宝である。

(中略)髭切という太刀は、八幡太郎が前九年の役に、安部貞任(さだとう)、宗任(むねとう)を攻めた時、幾度にも生け捕った敵の兵千人の首を斬ったところ、みな髭まで一緒に切れたので、髭切と名付けたという。奥州の住人、文寿(もんじゅ)という刀鍛冶の作である。

この二つは、昔から源氏の嫡子に相伝してきたもので、今は嫡子の悪源太義平に伝えるべきであったのに、三男だが頼朝に授けたのは、のちに源氏の大将となる前兆である

さて、華々しく髭切をいただいて、十三歳の初陣を飾った頼朝でしたが……、この平治の乱は源氏にとって痛ましいものでした。

ボロ負けを喫した源氏は散り散りバラバラになって逃げ落ち、頼朝は最初のうちこそ必死に父の後を追いますが、途中で迷子に……。季節は真冬、雪降りしきる十二月二十七日の深夜でした。

落人を狙う強盗に命を狙われ、必死に髭切を抜いて戦う頼朝。何とか父に追いつこうと四苦八苦。見つからないよう女装までして、髭切は菰(こも)に包んで持っていくなど工夫したのですが、ついに青墓(あおばか)の宿(しゅく)で平家の追手に捉えられてしまいます。

「平治物語」では、この時「自害しようとしたところを、平家の追手に刀を奪い取られ、生け捕られた」とあり、髭切についての記録はここで途絶えます。

しかし、これだと髭切は平家に渡ったことになりますね?しかしながら、頼朝が平家を滅ぼしたとき、髭切は熱田神宮に収められていたことが分かっていますから、これはどうもおかしな話。

実は、これには別伝がありまして、「どうせ自分は逃げ切れない」と思った頼朝は、青墓の宿に着いた時、髭切を平家に渡さないために、お供に命じて熱田神宮へ届けさせたというのです。

これが本当だったら、十三歳とは思えない行動力。さすが後の大将軍頼朝ですね!

膝丸(ひざまる)

「平治物語」では「薄緑(うすみどり)」と記されています。これは、この太刀が幾度も名称を変えたためですが、ここではよく知られている「膝丸」で統一させていただきます!

膝丸が登場するのは「平治物語」の平治の乱。持ち主は源朝長(ともなが)、花の十六歳です。

この時のいで立ちが、実に立派。平治物語から少々抜粋すると、

「朽葉(くちば)色の直垂に、沢瀉(おもだか)という源氏重代の鎧を着て、白星の兜をかぶり、膝丸という太刀を帯び、生地のままの矢竹に白鳥の羽を付けた矢を負う」

う~ん、何と優雅な……。

しかし朝長、平治の乱で敗れた後、父や兄弟と共に東国目指して落ちてゆくのですが、その末路が何とも憐れ(泣)

朝長は父や兄弟と共に、雪降りしきる悪路を必死に逃げます!途中、雪が深くなり、馬が使えなくなったので、そこからは徒歩。鎧を脱ぎ捨てて進みます。朝長は戦で重傷を負っていたのですが、それでも命がけでついていきました。

が、青墓の宿に着いたところで、ついに力尽きて倒れてしまいます!

「ここからはバラバラになって東国を目指そう。悪源太義平は東山道を攻め上れ。朝長は信州へ下り、買い信濃の源氏を集めて京へ上るのだ」

父からそう言われ、重傷の身に鞭打って、一度は宿を出ますが、再び父のいる宿へ戻って来て、

「父上、わたくしはもう進めません。ここにおりますと、いずれは敵に生け捕られてしまうでしょう。どうかわたしを殺して、心残りのないようにしていただきとう存じます」

こう言って自ら斬られ、命を断ったのでした……。

この後、膝丸は源義経(よしつね)の手に渡るのですが――いったい、どのような経緯で義経に渡ったのかはまったく分かりません。

当時は悪質な商人がたくさんいて、義経は「これは義経様の叔父、為朝様が使っておられた鎧です!買って下さい!」と言われて、まんまと騙されて購入。家来に下賜した、ということもあったから、膝丸もこのような経緯で騙されて買ったんだ!という、絶対信じたくない説もあります……。本当に信じたくないですけどね。

↓膝丸と髭切の大活躍については、この本の中で紹介してるよ。気になったら読んでね

曽我兄弟より熱を込めて

抜丸(ぬけまる)

平家重代の太刀です。この太刀には、少々伝説が……。

ある時、平忠盛(ただもり。清盛のパパ)が六波羅の館でグーグーと昼寝をしていたところ、突然ガバーッっと庭の池から大蛇が出現!

「ヒャーッ」

と驚く忠盛!大蛇はシャーッと恐ろしい鳴き声を上げて、忠盛を一飲みにしてやろうと襲い掛かってきます!忠盛、絶体絶命です!

と、その時。そばに転がっていた太刀が、イキナリ鞘からスルッと抜けて、ヒューンと飛んで大蛇に猛突進!大蛇はスタコラ逃げて、池にドブンと戻っていきました。

やれやれ……と、忠盛はホッと一息。するとまた!大蛇はしつこく現れて、忠盛に襲い掛かってくるのです!どうしてこんなに忠盛を食べたいんでしょうか?よっぽど美味しそうだったのでしょうか⁈

と、再び例の太刀がスポッと鞘から飛び出し、大蛇を駆逐。大蛇が池に引っ込むと、ひょいひょいと歩いて(どうやって?)池のほとりに立ち、大蛇がまた出てこないか見張ってたのだそうです。

このことから、忠盛はこの太刀に「抜丸」と名を付けたのでした。

さて、この抜丸が登場するのは「平治物語」。持ち主は三河守頼盛(よりもり)です。

この頼盛、悪源太義平や朝長のいる門へ押し寄せ、必死に戦っていたのですが、ここに八町次郎という剛の者がいて、頼盛の兜めがけて「エイッ」と熊手を引っかけました。馬から引きずり下ろし、首を取ってやろうという作戦です!

ところが頼盛、熊手を引っかけられながらも必死に耐え、太刀を引き抜くや、はっしと熊手を叩き切ったのでした!

「何という刀だ!熊手を切って落とすとは!」

と、見ていた人々は感嘆したとのことです。

小烏(こがらす)

これも平家重代の太刀です。「平治物語」に登場します。持ち主は清盛の嫡男、平重盛(しげもり)。

小烏登場シーンは実に感動的で、勢ぞろいした兵たちに、重盛が

「年号は平治、都は平安城、我らは平氏!我らの勝利、疑いなし!」

と叫んだ時に、腰に佩いていたのです。カッコいいですね!

なのですが……ぶっちゃけ重盛、あんまり活躍してません。このすぐ後に源氏の嫡男、悪源太義平に散々追い回されて、死ぬほど恐ろしい目に……。追われまくってる場面ばっかり長々と続き、重盛自身はたいして活躍してないです。

この小烏、「平家物語」にも少々触れられています。

重盛が病死する時、長男維盛(これもり)を枕元に呼んで、太刀をプレゼント。維盛はてっきり

「これは、我が家に伝わる小烏?」

と思って開けてみれば、全然違う無紋の太刀。すると重盛は、

「これは大臣の葬儀の時に用いる無紋の太刀だ。父上(清盛)の葬儀の際、わたしが使おうと思っていたが、わたしの方が先に死ぬことになった。だからお前が、わたしの葬儀の時に使ってくれ」

と命じたのでした。

小烏がいつ、どのようにして平家に伝えられたのかはよく分かりません。「平治物語」では、平治の乱の時に重盛が持っていたことになっていますが、別伝では「もともと源氏に伝わる太刀であり、為義が(ためよし)が義朝(よしとも)に譲った。しかし平治の乱で源氏が敗れたため、平家のものになった」としています。

「小烏」の名の由来は、目貫に小さな烏を作って入れてあったことに由来するといいます。

↓「平家物語」が知りたかったら、こちら

平家物語より熱を込めて

忘れちゃいけない草薙剣!

ご存知ですよね(^^)

三種の神器の神剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。何しろ帝と上皇の戦いですから、三種の神器は帝が避難する度にお引越し。とっても忙しかったのです。実のところ、一番忙しかった剣かも?

まとめ

いや~、長々とお疲れさまでした。わたしも疲れました。

でも書いていて気付いたのですが、これほど古い刀剣だと、「誰が作った」とか「どのように伝えられたか」とかは、正直よく分かりませんね。伝えられたのが本当にその太刀だったのかも、実のところは不明であることも多いです。

ですが、不明点や別伝が多い分、ロマンも満載なのが古い刀剣の魅力かもしれません!

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

1月30日に、拙作「曽我兄弟より熱を込めて」が販売されます!立ち読みも大歓迎。ぜひ読んでね!

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Posted by 坂口 螢火