【忠臣蔵】大石内蔵助ってどんな人?ホントはすごい小男だった!
忠臣蔵の主人公と言えば、間違いなく大石内蔵助(おおいしくらのすけ)!浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した後、四十七士を率いて天下の大仇討ちを果たした城代家老。おそらく水戸黄門と張るレベルで有名人でしょう。
ですが……案外、彼がどんな人物だったかを知っている方は少ないのでは?このページでは、大石内蔵助の生涯、意外な人物像をざっくりとご紹介します!
定説。大石内蔵助ってこんな人
大石内蔵助は忠臣蔵大仇討ちの主役です!以下、彼の人生を簡潔に……。
大石内蔵助、吉良への仇討ちを誓う
江戸時代の元禄十四年。現在の兵庫県、赤穂(あこう)藩は財政も豊か。生真面目な名君浅野内匠頭のもとでみんな幸せに暮らしていたのですが……まさに青天の霹靂(へきれき)!浅野内匠頭はワイロを贈らなかったという理由で、幕府のお偉いさん、吉良上野介(きらこうずけのすけ)から壮絶なイジメに遭います。ついにキレた内匠頭、殿中で吉良をバッサリ斬ろうといたしますが失敗。
「殿中で刀を抜くとは不届き千万」
と、内匠頭は即日切腹させられてしまったのでした。
これに涙を流して怒り狂ったのは赤穂藩の家臣たち。城代家老大石内蔵助は忠義な家臣たちと共に、「必ず殿様の仇を討つ!」と、吉良への仇討ちを誓うのでした!
遊び回る大石内蔵助
さて、ドラマチックに復讐を誓った内蔵助でしたが、赤穂城を去った後、派手に遊び回るようになります。
これは仇討ちを怖れる吉良の目をごまかすためで……。内蔵助の周囲には常にスパイが張り付いていたので、「オレは仇討ちの意思はない」と誤魔化すためなのです。
内蔵助はごまかし作戦に苦労します。最終的には奥さんとも離縁。「奥さんを追い出すくらい遊んでる」と見せるためと、これから討ち入りしたら家族に迷惑がかかるからです。
必死の演技は功を奏し、数か月後に吉良のスパイたちは「大石に仇討ちの意思はない」とものの見事に誤魔化されてしまいます。
これを見た内蔵助、「ついに時は来た!」と江戸へ向けて旅立つのでした!
内蔵助、ついに仇を討つ!
江戸へ来た内蔵助、その他大勢の同志たちと吉良の様子をさぐります。そしてついに、
「来る十二月十四日、吉良は屋敷におります!」
という情報を入手。しかも屋敷の絵図面までゲット。同志を一堂に集め、最後まで残った四十七人で、吉良を討ち取る手筈を整えるのでした。
「ご一同!今更申し上げるまでもないが、今宵を最期と思い、存分に働くべし。万が一にも吉良を討ち漏らしたるその時は、屋敷に火を放ち、業火の下で恰幅のこと!」
内蔵助の下知のもと、吉良へと走る義士たち!内蔵助はドーンドーンと陣太鼓を打ち鳴らし、世紀の討ち入りです!
……討ち入りの様子は長くなるので省略。色々あって、とうとう吉良を捕まえました!内蔵助は吉良に短刀差し出し、
「いさぎよく、自害なされ!」
と進めますが、卑怯者吉良はイヤがって切腹しません。「では御免!」と、内蔵助が吉良を刺し殺したのでした。
内蔵助、切腹
さて、めでたく仇を討った四十七士でしたが、吉良を殺したことは犯罪に違いありません。幕府から「全員切腹」の御沙汰が命じられます。
ですが、切腹は最初から覚悟の上。内蔵助はじめ義士たちは臆することなく、全員見事に切腹したのでした。内蔵助、辞世の句は
「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
やっぱ、遊び慣れてんな~って感じの句ですね。
大石内蔵助、生前の噂は?
ドラマや映画では、最高の美中年が演じると決まっている大石内蔵助。しかし、実は同時代に彼の姿を見た人の証言では、彼の姿はかなり違っています。
「小柄で、足が短かった。風采が上がらなくて、あれが赤穂の家老だとみんなが指さして笑った」
実は小男だった内蔵助!何と彼は奥さんと息子よりも背が低かったというので、いわゆる「のみの夫婦」だったのでしょう……。
しかも、衝撃の事実。彼の日ごろの仕事ぶりも、家臣たちの評判によれば
「行進の途中、馬上で居眠りをして見物人に嘲笑された」
「いつものんびりしていて、仕事を全部やっているのは、もう一人の家老の大野九郎兵衛(おおのくろうひょうえ)だ。血筋だけで家老職についた奴だ。みんな、昼行灯(ひるあんどん)と呼んでいる。あってもなくてもおんなじ奴という意味だ」
……ずいぶん言われたい放題。ですが、まあ逆に考えてみれば、「トップの城代家老がバリバリ仕事をこなす必要がないくらい、当時の赤穂は平和だった」ということかもしれません。
遊びまくった真意は?
さて、忠臣蔵のドラマ、大石内蔵助の名場面と言えば……
「京都で遊びまくった!」
というシーンでしょう。一度でもドラマや映画をご覧になった方なら、忘れられないどんちゃん騒ぎ。茶屋を貸し切ってキレイどころのお姉さんたちをオビタダシク侍らせ、飲みたい放題、遊びたい放題……。
これ、「映画だからいくらか脚色でしょ?」と思っていらっしゃる方も多いですが、実話です!しかも、実際は映画よりすごい遊びっぷりです!当時の史料では
「大石内蔵助は、生来生命力に富んだ人物なので、京都で遊び回り色々とよろしくない行跡があった。金銀も惜しまず浪費した。古風な同志は大変当惑して必死に意見し、内蔵助の態度を残念がった」
また、あの大学者本居宣長(もとおりのりなが)も
「良い材木を集め、西の山村に結構な家をつくり、田地を買い、御蝋色のおごりを極めた。伏見の浮舟(うきふね)という遊女におびただしい金銀を遣い、またお軽という女にけっこうな衣装を着せて京都中を連れ歩いた」
他にも「いろいろのたわけを尽くした」だの「天下の人々に後ろ指さされ」と、ムチャクチャな言われようです。
なんで、こんなに遊びまくったかと言うと、
「吉良上野介に、仇討ちの意思はないと見せかけて油断させるため」
「別に大した理由はなく、ただ遊び好きだったから」
という二つの説があります。「遊び好き」を裏付ける証拠としては、「赤穂城引き渡しで連日激務だった内蔵助は、あまりのストレスで皮膚病になり、腕の皮が腐ったみたいになった」ため、その反動で遊びほうけていたのだろう、という見方もあるので、一概にでたらめとは言えないのです。
……しかし、一番の驚きは、「この遊びに使った大金はすべて内蔵助のポケットマネー」だった!ということかもしれません。
大石内蔵助、壮絶な家族関係
さすが家老。大家族です!ここで一挙公開。
奥さんとお母さん
ドラマには必ず出てきますね。ヨイヨイのおばあさんの実の母。それから奥さんのりく。討ち入り前に離縁しちゃったよ。(お母さん付きで追い出す。しかも奥さん妊娠中。この子がその後大石家を継ぐ)
大石主税(ちから)
内蔵助の長男。生真面目、しっかり者、しかも二枚目。まだ十五歳だけど討ち入りした、まるで白虎隊(びゃっこたい)の泣かせキャラ。
吉千代(きちちよ)
主税の弟。病気がち。内蔵助がりくと離縁した時、母親の里に引き取られる。でも病身だったため、出家。その後十九歳で死んじゃったかわいそーな人。
内蔵助の隠し子
何と内蔵助、遊びまくってるときに妾のかるを妊娠させます!しかもサッサと追い出す。親戚のおじさんに「後の始末お願いね」と全部丸投げ。これには主税も衝撃を受け、「あまりのご乱行、目を覆いたくなる……」と言ったとか。
大石内蔵助アイテム。これがあればあなたも内蔵助!
大石内蔵助と言えばこれだ!というアイテム。これを知っておけば、歌舞伎の時も役に立つ?
頭巾
討ち入りの時、内蔵助が被っていた紫の頭巾。討ち入り寸前に内匠頭の奥さんにプレゼントされたもの。
陣太鼓
山鹿流の陣太鼓。ギザギザ模様と巴の紋がカッコイイ!討ち入りの時に内蔵助が鳴らした太鼓。一打ち三流れとゆー打ち方だったらしい。
お守り
摩利支天(まりしてん)とゆー武運の神様のお守り。当時、武士たちは摩利支天をよく崇めていたらしい。このお守り札を内蔵助は髷(まげ)の中に秘かに隠し、討ち入りしたらしい。
曽我(そが)兄弟の墓石のカケラ
内蔵助はけっこうゲンを担ぐ性格。鎌倉時代に見事仇討ちを果たしたヒーロー、曽我兄弟の墓石をカンカン叩いて、そのカケラをお守りに持っていた。ハッキリ言って罰当たりな奴……。
まとめ
長々とお疲れ様です。
大石内蔵助、映画とかでは結構渋いキャラですが、やってることはかなり豪快ですね。「生来生命力に富んでた」と言われてますが、まさにその通り。激務はこなす、遊びまくる、仇討ち果たす、かなりのエネルギーの持ち主。
名を残す人はやっぱりどこか違います!
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