【忠臣蔵】堀部安兵衛ってどんな人?実は生涯に仇討ち三回!

2021年10月19日

忠臣蔵の中心人物と言ったら、まずは大石内蔵助、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、吉良上野介(きらこうずけのすけ)。そしてその次くらいに名前が挙がるのが、義士たちの中で堂々トップの人気を誇る堀部安兵衛(ほりべやすべえ)です!

江戸時代にしちゃ背が高い、五尺七寸(一メートル七十二センチ)。鼻が高く眼光涼やか。男が惚れる男前。赤穂藩一の剣術の天才です!

でもこの人物、実は仇討ちを果たしたのは忠臣蔵だけじゃないって知っていましたか?このページでは、安兵衛の人生と人物を分かりやすくご説明します。

簡潔に!堀部安兵衛の性格は?

すぐ怒る。短気。一徹。マジギレすると斬る。内蔵助としょっちゅう喧嘩する。大酒飲み(しかも半端じゃない)。すぐベロンベロンになってひっくり返る。子供好きでヒマがあると遊んでる。女はあんまり好きじゃない(男が好きだったらしい?)。実はマジメで筆まめ。

堀部安兵衛、大波乱の人生

堀部安兵衛の人生は短いです。享年三十三。しかし、そんじょそこらの三十三歳とは人生の濃さが違います!

安兵衛、実は赤穂の人じゃない!

安兵衛は実は越後の人です。元の名前は中山安兵衛(堀部は赤穂藩に入ってからの名前)。溝口信濃守宣直(みぞぐちしなののかみのぶなお)の家臣でした。

子供のころからタダモンじゃない剣術の才能。「小天狗」の異名を持っていたとか。しかし、ある時お父さんが政治の黒い癒着に巻き込まれて切腹に追い込まれてしまいます。

これにキレた安兵衛、まだ十五歳だったのに、仇の政治家たちを道端で待ち伏せ。バッサバッサと斬りまくって、そのまま越後をトンズラしたのでした。(これが一回目の仇討ち)

安兵衛、江戸で最低な生活をする

さて中山安兵衛、越後を出奔してからあっちの道場に行き、こっちの道場へ行き、ついに新陰流の奥義をきわめます(まだ十八歳)。

こうして流れ流れて江戸へたどり着くのですが……。ここでの安兵衛の生活は最低を極めます。

「二君に仕える気などないから仕官しない」とか言ってますが、こいつは働く気が全くありません!天才的な剣術の腕前を見込んで、連日「うちの藩に入ってください」とリクルートがやってきますが全部拒否。無収入ですから、住んでいる長屋の家賃は堂々と七年も踏み倒します!(酒代も)

出はどうやって食べているのかと言うと――あっちこっちで起こるけんかの仲裁をやって、無理矢理飯をおごらせて食つなぐ。しかも無類の酒飲みで、他人の葬式に勝手に参加して飲む。と、こんな感じで食ったり飲んだりしてたのでした。

こんな安兵衛なので、ご近所では「喧嘩安」「弔い安」「ぐでん安」と呼ばれていました。

安兵衛大出世!誉れは高き高田馬場

江戸でニートをはるかに超える迷惑千万な生活を送っていた安兵衛、二十五歳の時に、ついに人生の転機が訪れます。

江戸にいた親戚のおじさんが、高田馬場で殺されてしまったのです。

このおじさん、無収入安兵衛を見かねて時々生活支援をしてくれた恩人なのですが、馬術の試合でおじさんに負けた侍が逆ギレしたのが原因で、十八人の卑怯侍に囲まれてあえない最期……。これを知った安兵衛、「おのれッ」と刀を握って、高田馬場へ走ります!

一気に高田馬場へ走り込んだ安兵衛。おじさんは血まみれで死亡。十八人の侍たちは「ワハハハハハ」と高笑い。

「ええい、おじの仇、この場において討ち取ってくれん!さあ来い、犬侍ども。覚悟しろッ」

叫ぶや、安兵衛、勢い鋭く斬ってかかる!またたく間に十八人をなます斬り。これが名高い高田馬場の仇討ちです。(これが二回めの仇討ち)

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安兵衛、脅迫されて堀部家へ婿入り

高田馬場の仇討ちで一躍名を挙げた安兵衛。これに目を付けたのが、赤穂藩の武士、堀部弥兵衛じいさんです。このじいさん、とても不幸な人。一人息子に先立たれて、跡継ぎがいない。幸(こう。ホントは『ほり』と言う名前だったとか?)という一人娘がいるだけです。

じいさん、安兵衛を一目見てメロメロにホレてしまいます。「この男を絶対婿に入れるぞ!」と勝手に神様に誓い、安兵衛の長屋へ押しかけるのでした。

「どうしても婿に来てくれ!これほど頼んでも聞いてくれなかったら、この場で腹かき斬る覚悟じゃ!」

……ぶっちゃけ、脅迫です。じいさんのあまりの迫力に、安兵衛もタジタジ。ついに

「はい……」

とOKしてしまうのでした。安兵衛が赤穂藩の人になり、中山安兵衛から堀部安兵衛になったのは、こういう冗談みたいないきさつです。

内匠頭切腹!安兵衛、四十七士のメンバーになる

赤穂藩に入った堀部安兵衛。内匠頭にも気に入られ、幸福な人生を歩んでいたのですが……。七年が過ぎた時、突然の凶報。

内匠頭が吉良上野介のために切腹させられたのです!

内匠頭に忠誠を誓っていた安兵衛、深く嘆くとともに、吉良上野介への復讐を誓います。主君の遺骸を泉岳寺に埋葬し、その場で数人の家臣たちと共に

「必ずや、吉良の首を取って墓前に供えるぞ!」

と約束するのでした。

安兵衛、江戸のリーダーになる

内匠頭の葬式を終えて、すぐさま赤穂へ戻った安兵衛、大石内蔵助のもとに集まった忠義一途の家臣たちと共に、「必ずや仇を取るぞ!」と誓いの血判状を作ります。このメンバーが、後の四十七士となるのです。(この時は六十人くらいいたけど、病気したり死んだりして四十七人になった)

吉良は江戸に住んでるから、誓いを交わした後、すぐに江戸へ戻る安兵衛。他のメンバーも徐々に江戸に集まってきます。

安兵衛はメチャクチャ行動派です。リーダーの内蔵助は家老なので赤穂藩が潰れた後の後始末に追われている中、どんどん仇討ちの準備を進めていきます。江戸に集まった義士たちの住む場所を用意してやったり、吉良の動向を探ったりと走り回る毎日。「四十七士の、江戸でのリーダー」として働いていたのです。

また、安兵衛はこの間、内蔵助と手紙で大喧嘩しまくっています。内蔵助は石橋を叩いて渡るタイプで、「ひたすら時期を待て!」ってみんなに言うのですが、安兵衛はせっかち。

「あのじじい、いつ死ぬか分からないじゃないか!」

と、内蔵助に食ってかかっていたのです。

いよいよ討ち入り!安兵衛大活躍!

ついに四十七士の討ち入り、十二月十四日!安兵衛は吉良邸の裏門からまっしぐらに討ち入ります。

赤穂藩一の剣客の安兵衛、群がる敵をバッサバッサと斬り倒し、吉良側の用心棒、清水一学(いちがく)と小林平八郎を討ち取りました。(清水を討ち取ったのは不破数衛門という説も)……こいつら、「鬼と呼ばれた剣客」とかいわれたくせに、いやにアッサリ安兵衛に斬られてしまいますが……これは気にしちゃいけません!ただ単に、安兵衛が強すぎるからです!

さて、敵は全部ぶちのめし、今は吉良を斬るばかり……。どこかへ逃げた吉良を探し、血眼で駆け回る四十七士。と、その時、突如鳴り響く呼子の音。すわッと駆けつけた一同。見れば、物置の中から武林唯七(たけばやしただしち)が引きずり出した白髪の老人。これこそ、目指す上野介でした。

内蔵助がぐさりととどめを刺し、めでたく首を討ち取ったのでした。

安兵衛切腹

とうとう本懐遂げた四十七士ですが、その後、幕府に身柄を拘束され、四十七人は四つの大名屋敷に分けてお預けの身となります。安兵衛は松平家に引き取られたのですが、この時彼は非常に悲しんだと言います。

なぜなら、「親兄弟や仲良しは引き離す」という決まりだったので、義理の父の堀部弥兵衛と、親友の武林唯七と離れ離れになってしまったのです。このまま切腹しなければならないのですから、もう今生では二度と会えません……。

翌年、二月四日に四十七士は全員切腹。安兵衛は享年三十三歳でした。

堀部安兵衛、詠んだ歌いろいろ

「雪晴れて 思いを遂ぐる 朝哉(あしたかな)」上野介を斬って、その夜明けに詠んだ歌だそうです。達成感が滲み出ますね~。

「梓弓(あずさゆみ) ためしにも引け 武士(もののふ)の 道は迷わぬ 跡と思はば」これは辞世の句。ちょっと読んだ感じ難しいですが……。大体の意味を言いますと、「自分は武士としての道を迷うことなく進んでいく。後に続く者は自分を見本にしろ!」って感じです。

堀部安兵衛、すごい名言

超、筆まめの安兵衛。リーダーの内蔵助と何通も手紙をやり取り(ぶっちゃけ、手紙で大喧嘩している)していますが、その中にすごいセリフが満載です。これはその中の一つ

「主君の仇は親の仇より重いというべきか。いつも心に重んじていることは主命の重さであり、主の言いつけとあらば、親の首でも取るほどのことと思い詰めております」

凄まじい執念を感じますね。何が何でも上野介を斬る!という決意がまざまざと現れています。

安兵衛、まさかの噂

安兵衛にまつわる、まさかなエピソードがあります。

切腹する時、義士一同は死に装束に着替えて座敷に並んで座り、順番に名前が呼ばれて切腹の場所へと行ったそうですが――この時、まず最初に名前を呼ばれたのは当時十五歳の大石主税(ちから。内蔵助の息子)でした。

主税が呼ばれて立ち上がったその時、安兵衛が

「すぐにわたしも参りますぞ」

と言いました。……これを見ていた松平家の世話係の人は、安兵衛と主税の間に男色の交わりがあることを確かに感じたのだそうです。これだけで何で分かるの?って気もしないでもないですが、分かる人には分かるのかもしれないですね。

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安兵衛と武林唯七、仲良しエピソード

安兵衛の生涯の大親友は、同じく四十七士の武林唯七です!この二人の間には仲良しエピソードが満載……。始まりはお互い十代のころからです。

同じ道場に通ってた

安兵衛が十八で江戸に来た時、江戸詰めで近所に暮らしてた唯七と仲良しになりました。同じ道場に通っていて、日々肩を組みながら通っていたとか。

しょっちゅう一緒に飲んでる

二人とも大酒飲みです。江戸にいる間、いつも二人で安兵衛の長屋で茶碗酒を飲んでました。でも唯七は安兵衛にはとても酒量で敵わなかったので、毎回潰されてたそうです。

赤穂藩に入るように唯七が説得

どこにも仕官しなくてぶらぶらしてた安兵衛。唯七は「赤穂藩に入れよ~」と常々説得。堀部弥兵衛を安兵衛に紹介して、弥兵衛じいさんに「安兵衛を赤穂藩に入れたいんですよ」と言ったのも唯七です。

唯七について詳しく知りたい方はこちら↓
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安兵衛アイテム。ぜひ揃えてみよう!

三回も仇討ちした大人気安兵衛。これがあれば君も安兵衛になれるかも?

赤鞘の刀

安兵衛と言えばこれ!朱塗りのやったらめったらに長い刀を持ってました。この赤鞘は凄く目立ったので、「赤鞘の安」というあだ名がありました。刀はお父さんの形見の伊賀守金道(いがのかみかねみち)。名刀らしいよ。

羊羹(ようかん)色の紋付き

安兵衛はビンボーです。着替えを全然持ってませんでした。いつもヨレヨレの垢じみた羊羹(ようかん)色の紋付きを着ていたそうです。元は黒かったんでしょうが、紫外線で色落ちしたかな?

襷(たすき)

高田馬場の仇討ちの時、袖(そで)が邪魔になるので持っていたヒモで襷がけをしようとしたら、ヒモがボロボロすぎてブチっと切れてしまいました。この時、さっと美少女が走り寄って襷を貸してくれました。これが将来の妻、幸(こう)だったとか……。

実にロマンチックなエピソードだけと、安兵衛はビンボーだったから、仇討ちが終わった後、さっさと襷を質屋に持って行ったんだよ。

まとめ

ヒジョ~に長くてすみませんでした。

安兵衛は有名人の人気者。エピソードが事欠かないので、語ろうと思うと一晩二晩じゃ足りません……。でもとにかくメルクリウスが言いたいことはですね、「安兵衛はカッコイイ!」ってことです!以上!

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火