【雨月物語】エライ人の怨霊エピソード2選!

2022年5月23日

こんにちは!坂口です。

雨月物語には怨霊話が多いですが、ここでは「主人公が昔のエライ人の怨霊に遭遇エピソード」を紹介しましょう。

日本には昔っからこの手の話が多いですよね。エライ人だったのに政治でハメられて殺されちゃって、死後「ふざけるなア!」と怨霊になって復活。祟りをしまくって、人々から「ごめんなさい!」と神格化される。というストーリー。

雨月物語にも、そういうエピソードが二つあります。「仏法僧(ブッポウソウ」と「白峰(しらみね)」です。では始まり、始まり~。

仏法僧(ブッポウソウ)

これは江戸時代のお話。雨月物語のお話のほとんどは中世ですので、これはかなりのレアケース。主人公のマヌケな親父が京都に旅行したのですが、サイコーだったので浮かれまくり、調子に乗って高野山にハイキング。でもそこであろうことか、豊臣秀次の怨霊にバッタリ遭遇。というストーリー。

親父のマヌケっぷりと慌てっぷりが、かなりナイスです。

夢然(むぜん)親父、息子とハッピーな旅行をする

江戸時代は旅行が流行った時代です。長い長い戦国時代が終了。日本中太平楽になったので、どこでも旅行できるようになったのですね。

そこで、伊勢に住んでた、ある親父、「よし!老後の楽しみは旅行じゃ!日本中歩き回るのじゃ!」と張り切りまくります。別に何の不幸もなかったくせに、なぜか頭を丸めてボーズとなり、「夢然(むぜん)」と名乗り、手始めに京都旅行を思い立ちました。

旅行には別に興味のない息子をムリヤリ連れまわし、一人ヤル気満々で、さあ出発です!

さて、当初の目的は京都だけだったのですが、さすがは古都の京都。思った以上に最高!夢然のハッピー度は最高潮に!一カ月も京都を散策し、それから「吉野の桜も見るんじゃ!」と吉野へ行き、この桜も良すぎたので、またさらに浮かれっぷりはピートアップ!

「今度は高野山じゃ!」と、その足で高野山まで訪れたのでした。

マヌケな親子。宿が取れなくてガックリ

さて、旅行に行くには、いつの時代も下調べが肝心ですね。ところがこの親子、行き当たりばったりに行きたいところに行ってたので、まるっきり高野山事情を知らなかったのです。

じじいのくせに足腰達者な夢然、可哀想な息子を引っ張りまわして、高野山を登りまくり、

「お前は無粋だから知らないだろうが、この高野山は弘法大師の霊場で、うんたらかんたら……」

と、ガイドブックで付け焼刃の知識を披露しまくってるうちに、すっかり日が暮れてしまいました。

「そこら辺の宿に泊めてもらおう」

と、あちこちの宿を回ったのですが、ここで思いもよらない事態に!

「ええ?あんたたち知らないの?高野山では、お寺に縁のある人しか泊めちゃいけないってルールがあるんだよ?あんたたちは一般人だし、どこにも泊まれないよ。今からでも山を下りるか、野宿するしかないね」

と、断られてしまうのです!さすがの夢然親父も、これには大ショック!「ええ!そんなあ!わしはこんな年寄りなのに、ひどい!」とオロオロしますが、お山のルールは厳しいので、どうにもなりません。

しかたがないので、このマヌケすぎる親子、こんな寒い春先に野宿するのもキツイので、そこら辺のお堂に入って、一夜を明かすことになりました。

まさかの事態!突如、怨霊の大軍が出没!

さて、宿に泊まれず、寒いお堂の中で籠ることになってしまった夢然親父。辺りは深い山なので真っ暗。じとじとと夜露がひどく、何とも恐ろしい雰囲気。なのですが……このじじいは、このくらいのことじゃ凹みません!

「お前は無粋だから知らないだろう。弘法大師が高野山に霊場を開いたのはそもそも……」

と、またしても雑学を披露。そのうち、夜が更けてブッポウソウ(夜にブッポウソウ~♪と鳴くと言われてる鳥)の声が聞こえてくると、またしてもハッピーに浮かれ出して

「あれは仏法僧の鳴き声じゃ!清い場所にしかすまないと言われる、ありがたい鳥なんじゃぞ!もう一度鳴かないかな。こんなところで思いがけず鳴き声が聞けるとは、実についてる!」

と騒ぎだし、その上「せっかくだから一句読もう」と

「鳥の音も 秘密の山の 茂みかな」

と一句ひねり出して、「ううむ、我ながらうまい!」と一人で悦に入っています。いや、この親父、実に人生を楽しんでますね。うらやましいほどのプラス思考です。

ところが……。親父がこんな調子でペラペラしゃべってると、突然、向こうからがやがやと人の話し声が。

「オヤ?」

と見てみると、何やら武士たちの一団がゾロゾロと、このお堂目指してやって来るじゃありませんか。「あれは一体!」と、親子がアワアワしていると、一人の若侍が駆けてきて

「その方たち、何者だ!殿下のお出でであるぞ。下へ降りろ!」

と激しい調子で叱り飛ばします。親子は縮み上がって「ひええ!」と平伏。その間にも、大勢の人々がやって来ました。その中でも、烏帽子(えぼし)、直衣(のうし)を身に着けた、ひときわ立派な貴人。足音も高くお堂の中へ入り、座り込みます。すぐさま四、五人のおつきの人が、その横に座をしめました。

「常陸介(ひたちのすけ)、遅かったな」

と貴人が一人の武士に言うと、「ははっ、殿下に差し上げる、御酒の肴を用意してまいりましたので」と答えます。貴人はそれを聞いて、

「ふむ、万作。酌をせい」

と、横にいた美貌の若侍に酒を注がせました。こうして、にわかに酒宴が始まったのです。

そのうち、酒宴が盛り上がってくると、貴人は大柄な僧侶を側に召して和歌の話を始めました。……この和歌の講義、けっこう長くて、それなりに面白いのですが……長いのでここでは割愛します。

とにかく、主演の間ず~ッと平伏してる夢然親子は気が気じゃありません!こいつらが何者か分かんないし、こんな真夜中にこんな場所で酒宴なんて、どう考えても変だしアヤシイし……。生きた心地がいたしません。

と、和歌で盛り上がってた貴人と僧侶、いきなりくるっと親父の方を向いて、

「おお、殿下!そういえば、この親父が先ほど、仏法僧の鳴き声を聞いて一句読んでいましたぞ。なかなかうまい句でございました」

「おお、そうか。では親父をここに呼べ」

こんな感じで、夢然親父はムリヤリ武士たちに引きずられて、貴人の前に座らされたのですが……アワアワと大慌て。「その歌を披露せよ」と言われても、それどころじゃありません!「ひ~!許してください!」と泣きの涙。

「そんな歌、頭が真っ白で忘れました!」と言ったのですが、謎の一団は容赦ありません。「思い出せ」と無茶な注文。親父は気の毒なくらい取り乱して、

「そもそも、あなたがた何者?ここで何してるんですか」

と、あまりにも今さらな質問。すると僧侶が答えて言うことには……

「殿下は関白秀次公でいらっしゃるのだ。ここに従う者は、木村常陸介、不破万作(ふわまんさく)、うんたらかんたら……」

夢然親父、それを聞いて、さらに茫然自失。秀次公というのは、豊臣秀吉の甥のことです。

ご存知の方も多いと思いますが、秀吉は自分の子供に恵まれませんでした。そこで、甥っ子の秀次を跡取りとして、関白の位につけていたのですが……晩年、秀頼という自分の子が生まれると、「秀次はもう邪魔者だ」と、ムリヤリ高野山で切腹させ、秀次の家族も皆殺しにしてしまったのです。

ちなみにこの家来たちも、「木村常陸介」とは有名な木村重成(しげなり。大坂夏の陣で死んだ人)のお父さん。不破万作とは、絶世の美少年で名を馳せた、男色相手の家臣です。

その秀次が今目の前にいるということは……これはまさしく怨霊!夢然親父のパニックは最高潮に!

オロオロしつつも、「こりゃ、言う通りにしなきゃ殺されちゃうかも」と、さっきの歌を一生懸命メモに書き、

「こ、これです……」

と差し出します。すると秀次公、「ハハハハ……。うまいこと読みおったな」と大変ご満足。

さて、そうこうしているうちに時間が過ぎ、家来が大声で

「もはや修羅の時刻になったようです。阿修羅共がお迎えに参りました」

と叫びました。とたんに人々は鬼のように勇み立って、「さあ、今宵も石田(石田三成)、増田(増田長盛)の奴らに一泡吹かせてやろう(この二人は秀次をハメた人々)」と立ち上がりました。

秀次は親子を振り返って

「つまらぬ奴らに我が姿を見せてしまった。こいつらも修羅道へ連れてまいれ!」

と叫んだのですが、家臣たちがこれをいさめて「悪行をなさいますな」と申し立てたので、そのままかき消すように消えてしまいました。

夢然親子はそのままバッタリと気を失っていたのですが、朝になってフラフラと念仏唱えながら山を下り、一散に京都へ避難。「病気になったら大変」と、京都で鍼(はり)の薬だのの治療に精を出しましたとさ。(う~ん、この親子、いつになったら伊勢に帰るのでしょう?)

白峰(しらみね)

このお話の時代は中世です。雨月物語的に一番ありふれたパターン。

主人公は西行(さいぎょう)法師(古典の教科書で必ず出てくる、スーパー歌人。奥さんも子どももいたくせに、いきなり家族を捨てて出家。あっちこっち旅しまくって、歌を詠みまくった人)この西行が旅の途中、瀬戸内海の近くにある白峰という山に登り、はからずも崇徳院(すとくいん)の怨霊に遭遇!

しかも、この崇徳院の怨霊、最初っから最後までブチ切れ状態で「わしをハメた奴らは皆殺し!平家を滅亡させるぞ!」と復讐を予言。結果、その通りになって西行真っ青。というお話です。

西行、崇徳院のお墓に行く

東海道を旅していた西行法師、大阪から船に乗って、瀬戸内海を渡り、讃岐までやって来ました。色々と世話になったことがある、崇徳院の墓を詣でるためです。

天皇家の墓所は、皆、都に近い場所に設けられるものですが、崇徳院の墓は都からはるかに遠い、白峰という深い山の奥にあります。これは崇徳院が島流しにされ、ここで亡くなってしまったためです。

この崇徳院、それはそれは気の毒な身の上。院政(いんせい)が盛んだった平安末期、鳥羽天皇(崇徳院の父)が鳥羽上皇として隠居したのをきっかけに、崇徳天皇として即位。しかし、天皇なんて名ばかりです……。鳥羽上皇は権力を手放さず、崇徳天皇はタダの飾り扱い。

その上、鳥羽上皇は女御の美福門院(びふくもんいん)をメロメロに気に入っていて、彼女に皇子が産まれると、勝手に崇徳天皇を隠居させてしまうわ、順番から言えば崇徳院の皇子が帝位を継ぐはずなのに、勝手に無視して自分の第四皇子に帝位を継がせちゃうわ。まさにやりたい放題!崇徳院の存在を完全無視です!

……こんな感じで、とことん隅に追いやられてた崇徳院、鳥羽上皇が崩御した時、ついに怒り爆発。クーデターを起こします。これが、日本史の教科書で絶対出てくる「保元の乱」なのです。(ドロドロすぎてよく分かんなくって、受験生がキライな箇所ですね)

でも崇徳院、とことんツイてないです。結局クーデターは失敗。島流しの上、ド田舎で崩御……。

崇徳院は和歌が大変好きだったので、歌人の西行とは親しくしてました。それで、西行は懐かしくなってお墓を訪れることにしたのです。

「生前はご立派な宮殿でまつりごとをなさってたのになあ……。こんな鹿や狼しか通らない山奥に葬られてしまうなんて……。人間の世の中なんて分からないものだなア」

ボーさんらしく、そんなことを考えながら、深い山の中へ分け入っていくと、石を三つ重ねただけの粗末なお墓が。しかも、ツタが絡み、雑草が生え、掃除もされていません。

「これはひどい!これが仮にも天皇であったお方のお墓だなんて。供え物一つないとは……。せめて、今夜一晩はわたしがここで経を唱え、ご供養につとめよう」

こうして、西行は崇徳院のお墓をきれいにお掃除。前に座り込んで、経を唱え始めたのでした。

崇徳院の怨霊登場!西行、平常心で論争する

さて、一人で寂しい墓地に座り込み、長々と念仏を唱えていた西行。途中ちょっと疲れたので歌を詠みます。

「松山の 波のけしきは かわらじを かたなく君は なりまさりけり」

簡単に言うと、「海の波は昔と変わらないけど、あなたはもう亡くなってしまっている」という意味です。西行、この歌を詠んでしみじみと

「ああ、崇徳院は人々から慕われていたし、和歌がお好きな方で、わたしにも良くしてくださった。それがこんなに早く冥途に行かれるとは……」

と、考えていると……突然!

「西行、西行」

と、どこからともなく不気味な声。ふいに目の前に、やせ細った人影がゆらゆらと現れたのです!身の丈、およそ三メートル。顔や姿は、あまりに暗いのでよく分かりませんが、どう考えても人間じゃありません!

「西行よ、よく訪れてくれたな。もう何年もの間、わしを尋ねる者はいなかった。先ほどの歌の返事を詠むために、ここへ来たのだ。

松山の 波にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」

この歌の意味は、「波に流されてきた船は、そのまま腐ってしまった。都に帰れぬまま死んだわたしのように」ということ。これを聞いた西行、それはそれは驚いて「院の亡霊か!」と、慌てて平伏。

さて、この崇徳院の怨霊、「お礼の返歌に来た」と言ってるくせに、その後ペラペラと物騒なことをしゃべりまくります。

「いいか、西行、よく聞けよ。最近世の中ではあちこち戦が起こってるだろう。あれはわたしの祟りで起きてるのだ。わたしは生きてるうちから魔道に励み、死ぬ五年前にも平治の乱を起こしてやったんだぞ」

アッと驚く衝撃発言ですが……そこは修業を積んだ西行法師。驚きつつも平常心を失いません。「ううむ、院、それはいけませんね」と鋭く反論。

「院、考え直す必要がありますよ。生きてるうちは賢い方だと評判だったじゃないですか。正しい天子の道はよくご存じでしょ。

あなたは保元の乱のクーデターに破れて島流しになってしまいましたが、そもそも、あなたが保元の乱なんて起こしたこと自体がマチガイです。あれは自分の皇子を帝位につけたいから起こしたんでしょ?つまりは、名誉欲、権力欲、財の欲からきたことです。

欲望から親子、兄弟で争うことは人の道に外れてますよ」

こう正論を説く西行ですが、崇徳院の怨霊はこのくらいじゃ収まりません。

「よく聞け!わしは昔、父の鳥羽上皇に命令され、わずか三歳の近衛天皇に位を譲った。わしには何も落ち度がなかったし、位を退く理由なんか何もなかった。それでも父の命令に逆らうことはならんと、不平も言わずに譲ったのだ。これでも欲が深いというか。

それだけではない。近衛天皇が早死にされた後、順序から言えば、わしの皇子が帝位につくはずだった。それなのに、父は溺愛している女御の美福門院に言われるままに、ご自分の第四皇子を帝位につけてしまった。

天下の政治を、女に言われるままに行うとは何事か!一番罪が深いのは父君だ。だがそれでも、わしは親に対する孝行を失ってはならんと我慢を重ねたのだ。

その父君が亡くなった後、わしはようやく、誤った政治を正すためにクーデターを起こした。女が口出ししてメチャクチャになっている政治を治そうとしたのだ。その行動の何が悪い」

う~ん、これはフツーに考えて、ぜんぶ鳥羽上皇がひどい……。崇徳天皇が恨むのも当たり前だと思いますが……そこは西行、ボーさんなので「うん、そうですね。呪って当然」とは言いません。あくまで「それはダメです。成仏しなさい」の態度を崩しません。

「いいですか、院。昔、わが国でもこんなことがありました。父の帝が崩御した後、兄と弟がいましたが、どちらも譲って帝位につこうとしません。すると弟が『自分がいるから争いになるんだ』と自殺してしまったのです。どうです、お互いを思いやり、決して争おうとはしない。これが正しい道なのです。

親子兄弟は、何があったとしても、血肉を湧けた愛情を忘れてはいけません。鳥羽上皇が崩御なさっていくらもたたないうちに兵を挙げる。何と不孝なことでしょう。欲のために道を外れてはいけないのです」

崇徳院の怨霊、平家滅亡を予言する

すると崇徳院、「確かにそれも一理ある。だが、何としても恨みを消せないことがあるのだ」と、島流しに会ってからのことを語り出します。

「わしがクーデターで失敗した後、捕らえられて、この松山村に島流しにされた。三度の食事を運ぶ者以外は、誰に会うこともできない。

わしはつくづくと情けなくなり、自分はもはや二度と都へ帰ることはできないだろうが、島流しにされてからずっと書き溜めてきた、五部百九十巻の経巻だけは都へ送り、自分の筆跡だけでも都に残したいと考えた。そして願いを込めて、経巻を京都の仁和寺へと送ったのだが……。

何としたことか。その経巻がすべて送り返されてきたのだ。聞くところによると、信西(しんぜい。宮中で権威を振るっていた坊さん)が「これは朝廷を呪うために送って来たに違いない」と讒言して、急いで送り返したのだという。

にっくき奴ら!神も仏もあるものか!仇だ!片っ端から呪い殺し、恨みを晴らしてやるのだ!」

崇徳院の恨みの言葉は、この調子でどんどんヒートアップ。恐ろしい告白は続きます。

「それからわしは魔道に入り、仇はおろか、世の中の全てを呪ってやることにした。指を切って血書をしたため、経巻と一緒に海中へ投げ入れた。

以後、部屋に閉じこもり、魔の修行にが減んだのだ。呪う手始めは源氏の義朝(よしとも)それから信西……。わしは恨みを晴らすために、平清盛(きよもり)を利用することを考えた。

平治の乱で、清盛が勝利し、信西は六条河原に引っ張り出されて殺されただろう。おまけにさらし首だ。ああ、愉快でならん。わしはいい気味で、いい気味でならなかった。

源義朝も追いまくられ、とうとう家来に裏切られて殺された。信じている者から殺されるとは、これ以上救いようのないことがあるか。大成功だ。胸がスッとした。続いて、わしはあのでしゃばりの美福門院(びふくもんいん)も祟って、命を奪ってやった。

その後わしが世を去ったのは、いよいよ本格的に魔道に入るためである。源義朝や信西を呪い殺すために平清盛を利用し、そのために奴は競争相手をすべて殺していい気になっているが、見ておれよ、これも一時的なことだ。平家ももう長くはないぞ。

それに雅仁(まさひと。後白河法皇)!奴も島流しにされたわしに、本当に無情だった!やつもこのままではおかん……」

西行、ここまできてはもう何にもかける言葉もありません。

「わ、分かりました……。院はすでに極楽とは億万里も離れた、地獄の底におられるのですね……」

その時、山は激しく揺れ、風がどっと吹き付け、崇徳院の足元から真っ赤な鬼火が燃え盛りました。その姿は何とも恐ろしいばかり。ばらばらに乱れた髪は膝まで長く、白い眼は吊り上がり、口からは火を噴いています。手や足の爪は獣のように長く、恐ろしい悪魔の大王の姿。

「相模!相模!どこにおるのだ」

と崇徳院が叫ぶと、怪しい鳥が飛んできて「ご用は」と尋ねます。

「何をぼやぼやしておる。平家一門は欲しいままの生活をしておる。早く滅ぼさねばならぬ」

「しかし、今は清盛の長男、重盛(しげもり)が忠義心と孝心に厚いので、手出しができないのです。でもあの男も、あと十二年の寿命ですから」

「ハハハ……あと十二年で終わりか。それは愉快だ。だが、平家一門、ただの殺し方ではならぬ。一門が滅びるときは、このわしの墓から臨む、壇ノ浦の海に全員沈め、魚の餌食にしてやるのだ!」

西行はこの恐ろしい会話を聞きながら、必死に一つの歌を詠んで叫びました。

「よしや君 むかしの玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん」

昔立派な御殿に住んでいたとしても、死んでしまったらすべては空しい。死んだらすべての階級の差はなくなってしまうのだから、恨みは忘れて極楽へ行ってほしい。という意味です。

生前和歌を愛した崇徳院は、これを聞いて振り返り、生きていたころのような穏やかな顔をしたけれども……すぐにその姿は消えてしまいました。

翌朝、西行は山を下りましたが、夕べのことは忘れられるものではありませんでした。

十二年後、あの予言は的中します。平重盛がなくなったのです。そして平家一門はたちまち源頼朝に滅ぼされ、白峰のすぐ真下の海、壇ノ浦へと消えていきました。

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著者プロフィール

坂口 螢火
坂口 螢火
歴史専門のライターを目指しています。

古典と神話が好きすぎて、ついに家が図書館のように……。

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Posted by 坂口 螢火